こちらテニマガ編集部、
本日、部員Aは連載「私の履歴書」の取材に行ってきました。
この取材、とっても好きなんです・・・なぜかというと・・・
ゲストの皆さんのテニス人生をお聞きしている時間は
まるでテニス映画でも観ているように、ドラマティックだからです…

場所は、田園テニス倶楽部。
クレーコートをバックに、テラスでお迎えいただいたのは…

日本のプロテニス界のパイオニア、石黒修さんです。
現在は日本プロテニス協会副会長でいらっしゃいます。

幼少時に戦争を経験した石黒さんが、その後、テニス人生を選び、歩み、
日本テニス界の発展にどのように貢献したかをお聞きしてきました。

それにしても今日の取材は、特別なものでした。
何と言いますか、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今のテニスプレーヤーの皆さんが、テニスで生活をしていく
基盤を築いた方です。

また・・・私事ですが、高校時代、

初めて観戦した国際大会は
千駄ヶ谷の東京体育館で行われた
セイコースーパーテニス(男子世界ツアー)でした
初めて観た海外選手がマッケンローで、
あの機会があったから、
テニスにますますはまっていったわけです。

また、あの大会が生まれたことによって、
日本のテニスファン、そしてプレーヤーたちは、
世界の超一流のプレーに触れることができました。

そのトーナメントディレクターが石黒さんでした。

大会を立ち上げた当時の思いをお聞きして、
部員A、心の中で何度も「ありがとうございました」と言ってしまいました。

それにしても、石黒さんが、デ杯選手として戦った当時の様子を、
当時戦った場所である田園コロシアムがあった、
(現在)田園テニス倶楽部でお聞きしているという状況に
思わず時間よ、止まれ、と思ってしまいましたね。
まさに今日は「テニス映画」を観てきた気分、
夢のような時間でした。


詳細は、
次号テニスマガジン10月号(8月21日発売)を
ご覧いただくしかありません!

・・・おまけ

石黒さんがお持ちになったウインブルドン1961~63年のドロー。
中を見せていただくと、
当時から「デイリードロー」だったことがわかりました!

一番左の63年のドローの表紙に、エリザベス女王の姿があります。
石黒さんいわく、女王がウインブルドンに姿を見せたのは
このときが最初で(写真は62年の表彰式のもの)、
あとは75年に一度あっただけでしょう、とおっしゃっていました。
たいへん貴重なものですね。

石黒さんは、ウインブルドンは61年~66年まで6年連続で出場され、
63年に3回戦進出を果たしています。
61年のデビュー戦は、大会前に行われた前哨戦で
当時世界1位のニール・フレイザーを破ったことが評価されての
ウインブルドン本戦出場だったのです。

(編集部)

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