のちに、同期として幾度も対戦することになる二人をつなげたのは、“兄”という共通項だったという。

「お兄ちゃん同士が同じ大会に出ていたので、小1の頃から、コボリンのことは知ってました」

 清水綾乃(Club MASA)が、約12年前の日を鮮明に振り返れば、“コボリン”こと小堀桃子(橋本総業ホールディングス)も「そうです、よく覚えています」と笑顔で返す。

 清水と小堀は、ともに1998年生まれ。いずれも年上の兄が居て、その兄たちが参加する大会についていったのが、二人にとっての“テニス大会会場デビュー”だった。その頃は「〇〇君の妹」と呼ばれていた二人の少女は、ほどなく揃ってラケットを手に、自らがコートに立つようになる。すると二人を引き合わせた兄たちは、やがて「綾乃ちゃんのお兄ちゃん」「桃子ちゃんのお兄ちゃん」と呼ばれるようになっていた。小学上級生になる頃には、二人ともに、関東や全国大会上位の常連になっていたからだ。

画像: 清水綾乃(Club MASA)(写真提供◎大会実行委員会、撮影◎てらおよしのぶ)

清水綾乃(Club MASA)(写真提供◎大会実行委員会、撮影◎てらおよしのぶ)

 それでも、今季世界ランキング300入りの急成長を見せる清水は、最近までは「自分は、コボリンや千裕ちゃん(同じく1998年生まれの村松千裕)よりも下だった」との、淡いコンプレックスを抱いていたことを隠さない。ジュニアの頃にはそれら同期になかなか勝てず、16~17歳時には「勉強で大学に進学し、テニスはやめる」という選択肢も考えていたという。

 そこで昨年、自身にラストチャンスを与えるかのように、ジュニアではなく一般のITF(国際テニス連盟)大会を転戦して己を試す。結果、7月に香港1万ドル大会を制したときに、テニスを続ける心が決まった。

 そうして同期のトップに躍り出たとき、ふと気づいたことがある。

「ランキングや実績が下のときは、チャレンジャーとして向かっていけた。でも第1シードなど上の立場になると、勝つのは難しくなる。コボリンたちは、ずっとこのプレッシャーと戦ってきていたんだ……」

 自身も、そのような重圧と戦い苦心の経験を重ねた中で、「周囲の声やシード順を気にするのはやめよう」と迷いを振り切り第1シードとして頂点に立ったのが、先週の牧之原ITF25,000ドル大会。そのときの決勝の対戦相手こそが、奇しくも、小堀だった。

「すごく強いな~って、思いました」

 数日前の決勝戦を振り返り、小堀は屈託のない笑みを広げながら、素直に同期の友人を称える。今季は5月の軽井沢大会でも対戦し、そのときに圧倒された記憶も新しい。ベースラインからパワーに満ちたストロークを放つ清水のプレースタイルは、「ジュニアの頃から、変わらない」。ただ以前は波があり崩すチャンスも見いだせたが、最近は「すごく安定してきた」と小堀は友人を評した。

画像: 小堀桃子(橋本総業ホールディングス)(写真提供◎大会実行委員会、撮影◎てらおよしのぶ)

小堀桃子(橋本総業ホールディングス)(写真提供◎大会実行委員会、撮影◎てらおよしのぶ)

 自らを「負けず嫌い」と断言する清水とは対照的に、小堀は10年来の友人とは、今もどこか「ライバルというより、友達感覚」なのだという。その小堀も清水同様に、高校時代はテニス一筋のキャリアを追うか、あるいは大学進学から就職するかで「すごく迷った」。それでも昨夏、全日本ジュニアが終わったまさにその日、プロ転向を決意する。

「飽き性な私がここまで続けてきたんだから、やっぱりテニスが好きなんだろうな」

 今は、選んだ道に後悔はない。

 性格や、歩んできたキャリアに多少のすれ違いがありながらも、多くの共通項や同じ悩みを抱えてきた二人の足跡は、結果的には同じ道で重なり合う。それゆえの必然だろう……数日前に決勝を戦ったばかりの二人は、ここ浜松三ケ日国際では、2回戦で早くも再戦することに。

「また、やるんだ~」

 苦笑いする小堀はチャレンジャーとしての思い切りを、清水は連勝中の実績と自信を武器に、今季3度目の同期対決に挑む。

レポート◎内田暁(大会オフィシャルライター)

This article is a sponsored article by
''.