イズナーがズベレフを倒し、2007年プロ転向以来の最大タイトルを獲得 [マイアミ・オープン]


 アメリカ・フロリダ州マイアミで開催された「マイアミ・オープン」(ATP1000//3月21日~4月1日/賞金総額890万9960ドル/ハードコート)の男子シングルス決勝。

 ジョン・イズナー(アメリカ)は、大成功の喜びに浴しながらコートを横切って踊り、その驚くべき軽快さを披露することで、マイアミ・タイトルへの予想されていなかった進撃を強調して見せた。

 身長208cmのイズナーは、フロリダの太陽よりも明るい笑みを浮かべて跳ね回っているとき、実際の2倍は長身であるように見えた。彼はすべてのサービスゲームをキープし、アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)に6-7(4) 6-4 6-4で逆転勝ちして、2007年のプロ転向以来、最大のタイトルを勝ち獲ったばかりのところだった。

 今月33歳になるイズナーは、これまでATPマスターズ1000の決勝で3戦0勝だった。

「このような瞬間は再現できるものじゃない」

 イズナーは表彰式の最中にこうも言っている。

「僕はキャリアの晩年にある。これは僕のキャリアの最良の瞬間だ」

 イズナーの勝利は、ここキービスケーンでの最後のシングルスの試合でもたらされた。大会は来年からNFLドルフィンズ・スタジアムに居を移すことが決まっているのだ。

 第14シードのイズナーは、2010年のアンディ・ロディック(アメリカ)以来のアメリカ人チャンピオンとなった。

 土曜日に女子シングルスで優勝したスローン・スティーズンス(アメリカ)に合流したイズナーは、ロディックとセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)がチャンピオンとなった2004年以来の男女アメリカ人による大会制覇を実現させた。

 最後のゲームは、観客たちの『U-S-A!』の叫びで開始が遅れることになった。それから、イズナーはラブゲームでサービスをキープし、最後の3ポイントをエースで締めくくった。これでこの試合での彼のエースの数は18本となり、大会を通してのエース数は79本になった。

「僕には、この瞬間のための準備ができていた」と彼は言った。

「ここ(ATPマスターズ1000決勝)には今日以外にもう3度も来ていて、3度負けている。僕には、その(=タイトルをつかむ)準備ができていたんだ」

 イズナーは、2010年ウインブルドンでのニコラ・マウ(フランス)に対する第5セット70-68の勝利ゆえ、テニス界のマラソンマンとしてもっともよく知られていた。彼はおそらくテニス界でもっともパワフルなサービスの持ち主だが、一度もグランドスラム大会の準決勝に至ったことがなく、その理由は主に、動きがあまりよくないためにラリーで粘ることが困難だからだった。

 キービスケーンでの一連の勝利は、彼自身さえも驚かせた。というのも彼は今年、1勝6敗のお粗末な戦績とともに大会に至っており、その6敗には、世界ランキング60位、62位、78位、91位の選手に対する黒星が含まれていたからだ。

「この勝利を予定することなどできなかった」とイズナーは言った。

「(この大会に先立ち)僕は非常にお粗末なプレーをしていたんだ。でも、テニスとはそういうものなんだよ。少しの自信を得ることで、ことが自分によい方向に転がり始める」

 準決勝でのイズナーは、ほとんど非の打ち所のないプレーを見せて第5シードのフアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)を倒し、決勝では、第4シードのズベレフを倒すに十分なだけよいプレーをした。早咲きの20歳、ズベレフは、ここ12ヵ月で3度目のATP1000タイトルを目指していた。

 決勝は、ほぼ満席に近い観客を呼び寄せ、雰囲気はときに加熱した。緊迫した第2セットの最後のゲームでフォアハンドのウィナーを決めたとき、イズナーは、歓声を上げる観客を見回しながら人差し指を回し、喝采の音量をさらに高く引き上げた。

 その2ポイント後、双方のプレーヤーがネットに出ての激しいショットの応酬をズベレフがものにすると、今度はズベレフが両腕を観客席に向けて振り、ファンからのさらなる応援と喝采を促した。

 イズナーのサービスは、彼がリターンの不安定さ、連続で起きたボレーミス、決定的な瞬間でのおぼつかないプレーを克服する手助けとなった。彼は12度あったブレークポイントのうち2つしかものにすることができず、第1セットのタイブレークでは、最後の3つのサービスからのポイントを落としていた。

 しかし、同時に彼はズベレフに3度しかブレークポイントのチャンスを与えず、イズナーのサービスは終盤に最高レベルに至った。彼のファイナルセットでのファーストサービスの確率は83%だった。

 そして、そうしている間に、ズベレフのベースラインからのミスが増えていった。

「僕は今日、大会全体でやったよりも多くのミスをおかしたと思う」とズベレフは言った。

「僕はベースラインからまずいプレーをしたが、それではジョン相手の戦いは容易ではない。常にブレークされればセットを落としかねない、というプレッシャーを感じることになるからだ」

 第3セットでサービスゲームを落として4-5とリードされたとき、その許されるミスの余地のなさを知っているがゆえに、ズベレフのフラストレーションは沸騰し、あふれ出た。彼はラケットを地面に叩きつけ、拾い上げるとふたたび打ちつけて、それからねじ曲がった思い出として、それをそっとスタンドに放り込んだ。

 その4ポイント後にイズナーが勝利を決めたとき、彼もまたラケットを放り投げたが、それは勝利を祝うためだった。それから、ダンスのときがやってきた。(C)AP(テニスマガジン)

※写真はジョン・イズナー(アメリカ)
KEY BISCAYNE, FL - APRIL 01: John Isner of the United States celebrates to the crowd after his three set victory against Alexander Zverev of Germany in the mens final during the Miami Open Presented by Itau at Crandon Park Tennis Center on April 1, 2018 in Key Biscayne, Florida. (Photo by Clive Brunskill/Getty Images)

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