「カムバックを果たすのにこれ以上の場所はない」ウインブルドン優勝のジョコビッチ


「ウインブルドン」(7月2~15日/イギリス・ロンドン/グラスコート)の男子シングルス決勝。

 ノバク・ジョコビッチ(セルビア)は、自分が不安に駆られていたことを認めた。彼のコーチも同様だった。

 果たしてテニス界の頂点に戻れるのか? かつていたあの高みへ? 手術を必要とした右肘の故障で失った時間と、お粗末な成績に対する失望を脇に押しやることはできるのか? もう2年も続いているグランドスラム大会での不毛に、終止符を打つことはできるのか?

 これらすべてのやきもきした思いは、日曜日の夜には、場違いであるように見えた。自身のベストに戻ったジョコビッチは、ウインブルドン決勝で疲労したケビン・アンダーソン(南アフリカ)に対してすぐさまリードを奪い、終盤に押し寄せたチャレンジにも持ちこたえて、6-2 6-2 7-6(3)で勝って4度目のウインブルドン優勝を決めたのだ。

「フラストレーションを感じて、望むレベルに戻れるのか否か、自問したときもあった。でもそのことが、この旅路を僕にとっていっそう特別なものにしてくれた」とジョコビッチは言った。

「今、話すのは容易だ。振り返って感謝の気持ちを持つこともできる。でも僕は本当に、これらのこと…混乱した考え…動揺…疑いを抱いたとき…失望…フラストレーション…怒り…などをくぐり抜けることができたことをありがたく思う」

 それはジョコビッチにとって13番目のグランドスラム・タイトルであり、ロジャー・フェデラー(スイス)の「20」、ラファエル・ナダル(スペイン)の「17」、彼の子供時代のアイドル、ピート・サンプラス(アメリカ)の「14」に次ぎ、4番目につけるタイトル数となる。

 それはまた、生涯グランドスラム(キャリアを通じて4つの異なるグランドスラムで優勝すること)を完成させた2016年フレンチ・オープン以来のグランドスラム・タイトルでもあった。

「長い道のりだった」と31歳のジョコビッチは言った。

「正直、調子をピークに至らせ、カムバックを果たすのに、テニス界でこれ(ウインブルドン)よりいい場所は思いつかないよ」

 1年前のウインブルドンで、ジョコビッチは肘の痛みのため準々決勝の途中で棄権し、2017年の残りの期間をオフに充てた。今年2月に手術を受けたあとも、ジョコビッチの成績はぱっとしなかった。彼はのちに復帰を急ぎすぎたと気づいたのだという。

「僕は辛抱が足りなかった」とジョコビッチは言った。

 4月に、ボリス・ベッカー(ドイツ)、アンドレ・アガシ(アメリカ)の前に、ジョコビッチと何年もいっしょに働いていた元コーチのマリアン・バイダと、ふたたび手を組んだ。

「いつも疑念は抱いていた」とバイダは言った。「私は、本当にネガティブに考えていたんだ」。

 しかしバイダが説明したところによれば、彼らは『新しいノバク』を築いた。サービスを改良し、ほかのストロークも矯正した。それでもジョコビッチは、先月のフレンチ・オープンでの敗戦に落胆するあまり、敗れた直後にはグラスコート・シーズンをスキップするとさえ言ったのである。

 彼がその誓いを守らなかったのは、いいことだった。

 ほぼ10年ぶりにトップ20以下に落ちていたことから、ウインブルドンで第21シードとなったジョコビッチは、2001年のゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)以来、もっともランキングの低いウインブルドン・チャンピオンとなった。

 日曜日、柔らかく白い雲をちりばめた薄青の空の下、ジョコビッチは、かつてナンバーワンだった男のように見えていた。

「あの最初の2セットで、ノバクは僕のことをかなり手ひどく叩きのめしてくれたよ」とアンダーソンは言った。彼はかつてイリノイ大学で大学テニスをプレーしていた。

 アンダーソンは、疲労のため、と弁明することができたはずだが、それはしなかった。彼の準決勝は6時間半を要し、グランドスラム史上2番目に長い試合となった。ジョン・イズナー(アメリカ)に対するその試合は、第5セット26-24となるまで続いたのだ。それは、8度ウインブルドンを制したフェデラーに対する、第5セット13-11というやはり長い準々決勝に続くものだった。

 アンダーソンは、ややナーバスになっていたことも理由のひとつに挙げた。

 結局のところ、これはジョコビッチにとって22回目のグランドスラム決勝であり、アンダーソンにとっては2度目に過ぎなかったのである。昨年のUSオープンで準優勝したアンダーソンは、ウインブルドンで優勝した最初の南アフリカ人テニスプレーヤーとなることを目指していた。

 彼は活力を欠き、そのストロークはコントロールが悪く、ジョコビッチはわずか2本しかウィナーを奪えなかったにも関わらず、最初の10ゲームのうち8ゲームを取った。それ以上は必要なかったのだ。というのもアンダーソンが、その間に15本のアンフォーストエラーを献上していたからだ。

「望んでいたように、自分の本来の調子を発揮することができなかった」とアンダーソンは言った。彼は第1セット終了後、トレーナーを呼んで肘にマッサージを受けた。

「もちろん、フィジカル的にはすばらしい感じを覚えてはいなかったよ」

 序盤があまりに一方的だったため、観客たちは、おそらくチケットの値段に見合うテニスを見たいと願うあまり、アンダーソンのほうを応援し始めた。ウインブルドン決勝のチケットは210ポンドもするのである。

 そのおかげもあってか否か、アンダーソンは、なんとかしてプレーレベルを上げることに成功。5度に渡って第3セット獲得まであと1ポイントと迫り、もう少しで試合を第4セットまで引き延ばすことができるところだった。

 ジョコビッチは、そのたびに安定したプレーで応え、タイブレークでは、この午後の大半でそうだったように、彼は相手より上だった。

「故障から復帰してから、彼が果たした向上ぶりは間違いなく見てとれるよ」とアンダーソンは言った。

 終わって見れば、ジョコビッチの新しいサービスは、直面した7つのブレークポイントのすべてをセーブした。そのグラウンドストロークは、彼に13本しかアンフォーストエラーがなかった大きな理由だった。対するアンダーソンは、32本のアンフォーストエラーをおかした。

 アンダーソンは、最後にフォアハンドのリターンをネットにかけ、ジョコビッチは大きく息をついた。握手のあと、彼は屈んで芝を少しむしり、それを口に入れて勝利を祝うという、個人的な儀式を行った。

 同じことをジョコビッチは、2011年、2014年、2015年のウインブルドン優勝のあとにやっている。この日のカギとなる違いは、ふたりの特別なゲストの存在だっただろう。表彰式の観客席には、彼の肘の手術をした医師と、ジョコビッチの3歳の息子ステファンの姿があったのである。

 のちに彼らは広間で会い、ジョコビッチは息子を抱くためひざまずいた。

「素晴らしい気分だ」とジョコビッチは言った。

「僕の人生で初めて、『ダディ(お父さん)、ダディ!』と叫んでくれる誰かがいるわけだからね」

 ジョコビッチは、体を折り曲げての並外れたディフェンス力と、相手のサービスを読む能力で知られるが、彼はまた、試合中にラケットで自分の靴の横を荒々しく叩くような、芝居じみた大げさなジェスチャーを頻繁に行う人物でもある。彼は対ナダルのスリル溢れる5セットの準決勝でも、この“靴叩き”を行っており、勝利を祝うためにシャツを破いたこともあった。

 そしてこの日も、その点に違いはなかった。ポイントの間に音を立てたファンに腹を立て、彼は主審に派手な言葉を投げながら、観客に黙れと言うよう要求した。彼はあるポイントを勝ち取ったあとには「今、誰を応援しているんだ?」とでも言いたげに、耳に指を向けたのだ。

 しかし、出だしにアンダーソンの3つのサービスゲームのうち2つでブレークを果たしたとき、ジョコビッチはスコアボードの上の自分のゲストボックスのほうを穏やかな様子で見て、ただ握った拳を振っただけだった。電光掲示板上の明るい黄色の文字は、ジョコビッチがわずか18分の間にすでに4-1とリードしているところを見せていた。そしてその掲示板はまもなく、彼がチャンピオンとなったところを示すことになるのである。(C)AP(テニスマガジン)

※写真はノバク・ジョコビッチ(セルビア)
LONDON, ENGLAND - JULY 15: Novak Djokovic of Serbia holds the Gentleman's Singles trophy after beating Kevin Anderson of South Africa to win the Men's Singles Final on day thirteeen of the Wimbledon Lawn Tennis Championships at All England Lawn Tennis and Croquet Club on July 15, 2018 in London, England. (Photo by Visionhaus/Getty Images)

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