西岡良仁×船水颯人(ソフトテニス)次世代エース対談 vol.3

垣根を超えたスペシャル対談が、ついに実現! 硬式テニスからは西岡良仁、ソフトテニスからは船水颯人。日本のテニス界を牽引する同世代のふたりがテニスに関する熱いトークを繰り広げてくれた。7月21日発売のテニスマガジン9月号に掲載された「硬軟織り交ぜたテニス論」を含む、大盛り上がりのトーク全文を公開。今回はvol.3の内容を紹介しよう。

幼い頃からの夢、プロで勝負を貫く

――西岡選手はプロを目指そうと決断した時、不安はなかったですか。

西岡 周囲からは反対する意見の方が多かったと思います。一度、大学でやってからでも遅くないという意見もありましたが、自分の中では10歳でプロになると決めていました。自分は意志が強く、これをやりたいと決めたからこれしかないというタイプです。大学に行くならテニスをやめるし、プロになるなら大学は行かない。そう決めていたので、責任はすべて自分です。18歳でプロになったので、もちろん不安はありました。まずお金を稼いで、コーチ、トレーナーをつけたり、遠征に行ったりと自分に投資しないといけないので。これしかやりたくなかったので、気持ちが変わることはなかった。今思うのは、自分のやりたいことはやるべきということです。成功する成功しないは誰も分からない。世界58位のランキングまで上がると思った人は家族と数人ぐらい。アメリカでは絶対無理と言われ、契約はすべて切られていた。じゃあ日本でやるしかない。これは誰にも分からないことです。やりたいことをやる、そこに飛び込む勇気はいるかもしれないですが、何かあったら責任は自分が取る、と。

船水 今大学4年なので、いろいろと進路は悩みます。

西岡 軟式が好きなら、それで生活できる手段があればうれしいですね。新しい可能性はいろいろあると思いますし、挑戦はタフだと思いますが、いろんな方向を向いて考えていけば。どうやったら話題性が広がるのかなというのは自分でできることです。まず、自分でできることはやる。それができなかったとしても後輩に託す。今後ソフトテニスが大きくなっていくかもしれない。硬式も国内でここまで報道されるようになったのは、錦織圭さんのおかげ。一人の存在で変わったりすると思います。

船水 何をするにしても、ダメだった時のことを考えてしまいます。

西岡 自分はこの先よりも、今が重要だと思って生きている。もちろん将来は大事で、試合後もそれがどう次につながるかは考えます。でも、まずは内容どうこうよりも今勝ちたい。それが正解かは分からないですが、選択できる時はやりたいようにしてほしいです。

勝ち続ける難しさ、休養を入れる大切さ

――船水選手、この際だから聞いてみたいことはありますか。

船水 ソフトテニスでは国内の選手はマジメなタイプが多いのですが、韓国や台湾の選手たちは試合前でも途中までふざけていたりします。硬式ではどうなのですか。

西岡 日本人はマジメな人が多いです。極端な例ですと、キリオスは試合の15分前までスイッチ(ゲーム)をしています。良い悪いは別として、それで勝てるのならいいかと思います。負けたら自己責任ですし。日本人なら後輩で、まったく休まない選手がいます。“やりすぎだろ”と言っても、“やらないと不安になる”と言います。そこまでいくと重症かしれないです。自分は休みたいタイプで、テニスを半日、1時間半から2時間、トレーニングを1時間やって終わります。テニスに気持ちを置いているのは3~4時間ぐらい。それで十分だと思います。特に、日本に戻っている時は、リラックス、息抜きもしたいので。遠征になると、集中する時間も多くなる。だから、リラックスするのは必要です。

船水 自分たちはめちゃくちゃ練習時間が長いです。朝から昼までやって、2時間ほど休んで、夜までという日もあります。試合時間が短いのに、練習時間は長い。

西岡 それはすごい。真逆ですね。フェデラーの全豪前の練習のことです。試合時間と同じ4時間、ぶっ通しで練習したいというので、2人の選手と2時間ずつ練習したと聞いたことがあります。これはある意味、理にかなっています。でも、言われたように1日中そこまで長ければ、集中は続かない。自分なら、もう気持ちが乗らないなと感じたら、その日はやめます。

船水 今は余裕もできて、やらない方がいいと思ったらしません。以前は、最後にいい感じで終わりたいと思っていて、そういうふうに打てるまでやめないこともありました。ケガなどの経験もあり、今はそういう判断もできるようにはなっています。

西岡 トレーニングコーチに休養も大事だということを教わり、そこは大切にしています。ジュニアの頃はやらされていました。アメリカでも朝7時から練習が始まり、3時間やり、1時間トレーニングして、食事して学校に行く。16時に戻ってきて、そこから2時間半練習とか。学校がなければ、そこにトレーニングが入る。1日8時間ぐらいやっていました。その頃に、錦織選手を見ていると2時間ぐらいですべてが終了している日もあって、マジずるいと思っていました(笑)。

船水 大会が毎週あります。勝ち続けないといけない。調子のピークが難しいです。今はピークを年に3回だけにしていますが、非常に難しい問題です。

西岡 大変ですね。勝たないといけないのは分かりますが、自分たちも毎週はできないです。

船水 どうやって、狙った大会、4大大会だと思うのですが、調子を上げていくのですか。

西岡 大きい大会の前はあまり試合を入れないようにしています。今回のフレンチ・オープンなら1週間前は試合を入れず、現地で練習に時間を割いています。調整が中心ですね。勝ち続けるのは不可能なので、2、3大会のうち、1大会でいい成績が出ればと。

船水 勝つのは簡単なのですが、勝ち続けるのは難しい競技です。

西岡 自分たちも勝つのは大変ですが、簡単に負ける。だから、入替もあるし、トップシードも勝ち続けていると疲れもあり、負けますから。

相手が一番嫌がるのは? それを前提に作戦を練る

船水 シングルスで戦術をたてる上で何を重視していますか。自分の場合では、短期決戦なので考えすぎないように。イメージをしながらも、直感と相手の表情を見ながら戦います。硬式は長いですよね。

西岡 相手の試合を見て、戦術を変えます。ドローができて、1、2日でここが弱くて、こちらのコースが好きで、こちらは打てないなどとイメージしておきます。その後、コーチと意見を擦り合わせて、たぶんバックハンドのストレートはないから、捨てる。クロスがいいから、クロスからのこっちに打っての展開をとか、そういうのを作っておき試合に臨み、うまくいけばハマるし、そうでなければここは打てるのかと分かるので臨機応変に変えていく。序盤に作戦は練りますね。序盤は探り、ここは弱いなと感じたら、そこを徹底的に狙います。最終的には相手も慣れてくるので、そうなれば他に苦手なところを探して、狙いを変えます。

船水 試合時間が短かったらどうでしょうか。1セットマッチとか。

西岡 1セットだけなら、なおさ練りますね。打ってくるところまで考えて、こちらの得意のコースとこっちの嫌いなコース、フォアとバックを分けて。サービスで打ち方を見れば、ワイドが得意、センターが得意だったり、スライス系、フラット系、スピン系なのか分かるので、それを見ておいて、大事なポイントでこちらの割合が高いとかも頭に入れておく。自分は序盤の探り合いがもったいないような気がして、序盤で相手の手の内がもし読めていたら、リードできるじゃないですか。普段なら取れないのも、どちらに打つか分かっていれば取れるかもしれない。だから、序盤はしっかりと考えてやります。

船水 映像を見過ぎて、先入観が強くなり、そこしか動けなくなったことはないですか。自分はそういうのがあるので、あまり相手を見たくないのです。さらっと見て、どこに決めているかイメージだけは持っておきます。相手にチャンスボールが来れば、そこに打ってくる場合が多いですし。

西岡 自分のテニスをしたいから映像は見ないという選手もいました。もちろん、自分のテニスでねじ伏せられるのなら、それがいいです。自分の場合は、どうやったら相手が一番嫌がるかを前提に作戦を考えます。タイプによるでしょうね。正直、どれだけチャンスを作って、それを取れるか。それしかない。でも、序盤を取るのはより重要かもしれません。1セットを取れば、セカンドを奪われてもファイナルにかけることができる。復帰した時の全豪オープンもそうで、体力的に不安で、ファーストを良くて奪え、セカンドでブレークされたので、体力を使いたくなかったので、走るのをやめて。それも作戦の一つで、勝てればいいかなと思います。ソフトテニスと序盤の大切さは同じですね。

西岡良仁(写真右)=にしおか・よしひと◎1995年9月27日生まれ、三重県出身。左利き。小学6年生で全国選抜ジュニアU12、全国小学生大会、全日本ジュニアU12を制し、小学生3冠を達成。中学3年の夏から(公財)盛田正明テニスファンドの支援を受け、IMGアカデミーへ留学。2012年のUSオープンジュニアで4強入りし、プロ転向前の2013年には全日本テニス選手権でシングルス準優勝。2014年1月にプロ転向し、同年のUSオープンでグランドスラム本戦デビュー。直後のアジア大会では40年ぶりに金メダルを獲得

船水颯人(写真左)=ふねみず・はやと◎1997年1月24日生まれ、青森県出身。右利き。東北高に進学。2012年にインターハイ団体を制すると、14年には全日本高校選抜を優勝。現在在学中の早稲田大ではインカレ団体3連覇中(15~17年)。全日本は15、17、18年にシングルスで日本一に輝く。さらに天皇杯では16年に男子ダブルスで初優勝を果たした。同年アジア選手権も国別対抗戦・男子ダブルス・ミックスダブルスの3種目で金メダルを手にするなど、21歳にして日本の男子ソフトテニス界を牽引する

構成◎ソフトテニスマガジン編集部、テニスマガジン編集部
写真◎馬場高志

※この対談の一部はテニスマガジン9月号に掲載
※この対談の全文はソフトテニスマガジン9月号に掲載

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