「USオープン」(アメリカ・ニューヨーク/本戦8月27日~9月9日/ハードコート)の男子シングルス準決勝。

 ラファエル・ナダル(スペイン)は試合の序盤で、膝に焼けつくような痛みを感じた。彼が「悪い動き」と称したものの原因は、よく知っている痛み、何年にも渡って彼が断続的に対処してきた痛みだった。

 前年度優勝者はゲストボックスを見上げ、まずいことが起きていることを表情で示した。彼は続けようとしたが、最終的に断念せざるを得なくなった。

 ナダルはその金曜日の夜、最初の2セットを落としたあとにプレーを止め、フアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)をグランドスラム決勝に送り出した。それは、デル ポトロがフラッシングメドウで最初かつ唯一のグランドスラム・タイトルを獲得した、2009年以来のことだった。

「最終的に、これはテニスの試合ではなかった。ただ、ひとりの選手がプレーしていて、もうひとりはコートの片側にいただけだった」とナダルは言った。

「リタイアするのは大嫌いだ。でも、あと1セットあそこに留まり、こんなふうにプレーするというのは、僕にとって耐えきれないことだった」

 日曜日の決勝で、第3シードのデル ポトロは第6シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)と対戦する。ジョコビッチは同日の準決勝第2試合で、第21シードの錦織圭(日清食品)に6-3 6-4 6-2のスコアで快勝し、やはり決勝に駒を進めていた。

「はた目から見てどんなふうに見えたかは分からないが、僕はとても調子がよかったよ」とジョコビッチは試合後に言った。彼はニューヨークで、史上最多記録に並ぶ8回目の決勝に進出し、3度目の全米制覇と、グランドスラム14勝目を狙うことになる。

「素晴らしいインテンシティ、高い集中力、よいゲームプラン。もちろん、“行うよりも言うがやすし”だ。ショットを実践しなければならない訳だから」

 ジョコビッチは、最終的に2月に手術を必要とした右肘の故障のため、昨年のUSオープンを欠場していた。しかし彼は今、7月のウインブルドン優勝、そして13セットを連取しているここニューヨークでの進撃が見せる通り、自分のベストのレベルに戻ってきた。

「すべてにおいて、彼はとても堅固だった」というのが、ジョコビッチのサービスを一度もブレークすることのできなかったこの日の対戦相手、錦織による評価だ。2014年USオープン準優勝者である錦織は、このところのジョコビッチとの対戦で14連敗を喫している。

「サービスリターン、グラウンドストローク。彼のプレーはアグレッシブだった」

 デル ポトロは、ナダルが頭を振りながら棄権の意思を告げたとき、2時間のプレーのあとに7-6(3) 6-2でリードしているところだった。ナダルはここ半世紀のプロ化以降の時代で、USオープンの準決勝以上で途中棄権した最初の男となってしまった。

「もちろん、これは決してよい勝ち方ではない」とデル ポトロは言った。彼は、すべてが終わったとき、ナダルを温かく抱擁した。

「今日、彼がコート上で苦しむ姿を見るのは辛かった。このような結果になってしまって悲しいよ」

 世界1位のナダルは、膝の腱炎に繰り返し苦しめられた過去を持つ。第7ゲームのあと、トレーナーは彼の膝の関節の下にテーピングをほどこした。次のエンドチェンジの際に、ナダルはテープを引きはがし、それから第2セットで、彼は新たにテーピングをしてもらうためにメディカル・タイムアウトをとった。

 試合の終盤には、ナダルはやや足を引きずって歩いていた。線審のコールの遅れに文句を言うために主審の椅子に歩み寄ったとき、ナダルはついでに、自分は棄権するかもしれないと口にした。そしてほどなくし、彼はその決断を下したのだった。

 ナダルは、なかなか消えないその影響が、5セットと5時間の死闘の末にドミニク・ティーム(オーストリア)に競り勝った準々決勝からきているのかは、定かではないと言った。32歳のナダルは、3回戦のカレン・ハチャノフ(ロシア)に対する試合でも、膝に同じテーピングをほどこしていた。

 デル ポトロは、こうして思わぬ形で決勝の舞台に返り咲くことになった。9年前、彼は準決勝でナダルを圧倒し、決勝でロジャー・フェデラー(スイス)に対して番狂わせを演じて、20歳でUSオープン優勝を遂げた。当時の彼はライジングスターとみなされていたが、その後に起こった一連の手首の手術――利き腕の右手首に1度、左手首には3度――が彼のキャリアの進展を遅れさせ、彼は2年半もの間、グランドスラム大会で戦うことさえできなかったのである。

 デル ポトロは自身の持つ高いレベルを取り戻し、テニスのトップレベルにも戻ってきた。

「僕にとって、非常に大きな意味がある」とデル ポトロは言った。「ふたたびグランドスラム決勝に至れるとは、予想していなかった」。

 33度を超える暑さが2週間弱続いたあと、湿気は70%と変わらず高かったとはいえ、気温は20度台に落ちていた。ナダル対デル ポトロの試合を迎えたアーサー・アッシュ・スタジアムの照明は輝き、第1セットでの彼らは、いくつかの素晴らしい打ち合いを披露した。

 アルゼンチンから駆けつけた10人余りのデル ポトロの友人たちが、彼が重要なポイントを取るたびに歓声を上げ、頻繁に「オレ、オレ、デルポ、デルポ」と歌った。観客席からも、何千人ものファンがその歌に加勢し、一方の観客たちはナダルに声援を送り、その声を押し返そうとした。

 これらのファンたちは、デル ポトロが繰り返し手術をし直さなければならなかったもっとも厳しい時期に、彼を支えた。彼はうつ病にも苦しみ、テニスを辞めることを考えたこともあったという。

「自分がふたたびテニスプレーヤーになれるかどうか、わからなかったんだ」と彼は回顧した。

 ナダルがフォアハンドをワイドに外し、それからバックハンドをネットにかけて、第1セットがデル ポトロのものになったとき、彼はこぶしを振って、「バモス!」と叫んだ。

 デル ポトロが時速160kmを超えるフォアハンドと、時速210km以上のサービスで攻め続け、以前より上達した両手打ちバックハンドをうまく利用していくなか、ナダルは、ますます抵抗力を弱めていった。

 何かがおかしいことは明らかだった。彼はサービスをしている間、ほとんどポイント間に時間を取らなかった――ツアーでも、もっともサービスの準備がゆっくりな選手のひとりとして知られていた彼が、である。

 試合後、ナダルはどのくらいの間プレーを休まなければならないのかは分からないと言った。1週間かもしれないし、数ヵ月かもしれない。まだ、それを知るすべはない。

 現時点で確かなのは、彼のUSオープン2連覇の夢がついえた、ということである。そして、現在「20」のグランドスラム・タイトルを持つフェデラーに追いつこうとするため、グランドスラム18勝目を目指す試みも、一時お預けとなった。

 これは敗戦としても、記録に残るものだった。これはナダルが2018年にプレーした49試合で、わずか4敗目に過ぎなかったのだ。試合後の記者会見の最中にナダル自身が指摘したとおり、これは、彼が今季のグランドスラム大会で故障のため棄権を強いられるという事態の末に起きた敗戦としては、ふたつ目だった(もうひとつは、1月のオーストラリアン・オープン準々決勝で起きていた)。

 この記者会見は、ナダルが涙にむせんで話し続けられなくなったため、途中で打ち切られていた。

 間違いなくデル ポトロは、潜り抜けてきた数々の健康面での災難ゆえ、その種の挫折の苦しみを身をもって知っている。ジョコビッチも同様だ。

「僕はこの瞬間に至るために、多くの問題と戦ってきた」とデル ポトロは言った。「そして今、僕はここにいる」。(C)AP(テニスマガジン)

※写真はラファエル・ナダル(スペイン)
NEW YORK, NY - SEPTEMBER 07: Rafael Nadal of Spain is looked at by the trainer during his men's singles semi-final match against Juan Martin del Potro of Argentina on Day Twelve of the 2018 US Open at the USTA Billie Jean King National Tennis Center on September 7, 2018 in the Flushing neighborhood of the Queens borough of New York City. (Photo by Julian Finney/Getty Images)

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