大坂なおみ(日清食品)は、グランドスラム・チャンピオンになった興奮と悲しさの入り混じった思いを胸に、ネットに歩み寄った。

 彼女はセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)を応援して育ち、学校のレポートで彼女について書いたことすらあったという。彼女の夢は、USオープンで、自分のアイドルとプレーすることだった。

 それでは、彼女が実際にそれをやり、日曜日の夜に「USオープン」(8月27日〜9月9日/アメリカ・ニューヨーク/ハードコート)の女子シングルス決勝で、セレナを6-2 6-4で倒してグランドスラムのシングルスで優勝した初の日本人となったとき、何がそう難しかったのだろうか?

「なぜって、彼女が本当に24度目のグランドスラム・タイトルを獲りたいと思っていることを知っていたから」と大坂は言った。

「皆がそのことを知っている。それは広告にもあったし、(テレビ新聞雑誌など)あらゆるところに出ていたわ」

「コートに足を踏み入れると、私は自分が違った人間になったように感じる。私はセレナ・ファンではなく、ほかのテニスプレーヤーと戦うただのテニスプレーヤーとなるの。でも、ネットに歩み寄って彼女が私を抱擁したとき、私は再び自分が小さな子供になったように感じたた」

 自分の勝利とセレナの敗北を両手に抱え、いまだ押し寄せる感情に圧倒されて、大坂はその答えを終えながら、涙を流した。

 コートでプレーしている彼女に緊張しているような様子はまったく見えなかったとはいえ、それは、大坂(20歳)がいかに若いかを思い出させる出来事だった。2006年に当時19歳だったマリア・シャラポワ(ロシア)が優勝して以来、USオープンで、より若い女子チャンピオンは出ていない。

 もちろん、セレナの負け方は、この試合でもっと目を惹いた出来事だった。彼女と主審のカルロス・ラモスとの口論、そして3つのコード・バイオレーション(警告)ーーそのうちのひとつは、セレナが挽回しようと努めている最中だった第2セットで、大坂に5-3とリードを与える1ゲームを提供したーーは、多くの者にとってもっとも記憶に残る出来事となっただろう。

 しかし、セレナとラモスのやり取りを聞きさえしなかった、という大坂にとっては、そうではなかった。彼女の心に残るのは、試合後のネットでの抱擁、表彰式の際のセレナの言葉だったのである。セレナは表彰式で、ブーイングをする観客たちに、大坂の喜ばしい瞬間に気持ちを集中させるよう頼んだ。

「だから私にとっては……ずっと、私の愛するセレナを記憶することになる」と大坂は言った。

「私にとっては何も変わらない。彼女は試合後のネットでも、表彰台の上でも、本当に私に親切にしてくれた。何かが変わるとは思わない」

 その土曜日、大坂はナーバスになり、気持ちを落ち着けるために、パリにいる姉まりに何度か電話をした。試合の最中でさえ厳しい状況に直面するたびに、彼女は自分自身に、セレナがやるだろうことをやるように努めろ、と自分に言い聞かせ続けた。

 セレナは、疑いなく大坂から感銘を受けていた。

「彼女は本当に集中していた」と36歳のセレナは言った。

「私がブレークポイントを手にするたびに、彼女は素晴らしいサービスで応えてきた。正直言って、この試合の彼女から私が学べることはたくさんある。そこから、多くを学べるよう願っているわ」

 キャリア2つ目のタイトルを獲った大坂にとって、大会を通してことはそんなふうだった。USオープンでの7試合で1セットしか落とさなかった彼女は、ほとんどの場合、優勢を保ち、マディソン・キーズ(アメリカ)に対する準決勝で13回あったブレークポイントのすべてを凌いだあと、セレナに許した6回のブレークポイントも、5回をセーブした。

 それは、セレナがーー最多記録よりひとつ少ないだけのーー「23」のグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得する中で、頻繁に見せてきた類のタフさだった。それは、大坂が常に称賛していたセレナの資質のひとつであり、それゆえ彼女は数年前の学校のレポートのテーマに、セレナを選んだのだ。

「私は『彼女のようになりたい』と書いたの」と大坂は振り返った。

 その土曜日、彼女は、憧れのその人よりも優れていた。(C)AP(テニスマガジン)

※写真は大坂なおみ(日清食品)(撮影◎毛受亮介)

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