今年最初のグランドスラム「オーストラリアン・オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月14~27日/ハードコート)の大会13日目、女子シングルス決勝。

 本当に勝利のすぐ近くまで迫りながら、大坂なおみ(日清食品)は突然、決勝を指の間からこぼしてしまった。

 3つのマッチポイント――チャンピオンシップス・ポイントが逃げ去った。相当なリード? それさえもすぐに消えてしまった。

 そのときの大坂は、確かにまずいプレーをしていた。彼女は自分に向かって叫んだ。ボールを叩きつけ、ピンクのサンバイザーをぐいと引っ張った。セットの間には頭の上にタオルをかけ、ロッカールームに向けてとぼとぼと歩いていった。

 そして、それから程なくしてコートに戻ってきた大坂は、少し前に27ポイントのうち23ポイントを落としたのと同じくらい素早く、形勢を逆転させてみせたのである。

 ふたたび集中し、彼女らしい強さを際立たせた第4シードの大坂は、第8シードのペトラ・クビトバ(チェコ)を7-6(2) 5-7 6-4で倒した。そして彼女は、オーストラリアン・オープンで初めてのタイトルを獲得するとともに、2大会連続のグランドスラム優勝を記録した。

「どんな後悔もしたくない、と感じたの」と大坂は試合後に明かした。

「もし第2セットのあとに体勢を立て直さなければ、この試合を振り返ったとき、おそらく泣くことになったと思う」

 その上、この勝利によって大坂は、世界ランク1位に浮上するのだ。

「驚くべき偉業だわ」とウインブルドンで2度優勝した経験を持つクビトバはコメントした。

「間違いなく、彼女は偉大な選手よ。彼女の将来がどのようなものになるか、我々は直に目にすることになるでしょう」

 大坂は、先の9月にセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)を決勝で倒して獲得したUSオープンの優勝杯に、オーストラリアン・オープンのトロフィを加えた。

 そのUSオープン決勝は、セレナが審判と言い争ったあとに1ゲームを差し引かれた顛末で記憶されることになったが、その日とは違い、今回は混乱した観客たちからの野次はなかった。どんな騒ぎも、カオスもなし。スポットライトが奇妙な形で二分されることもなかった。

 こうして、いっそう明らかに自らをテニス界の明るい未来として知らしめた大坂は、2014年から15年にかけて4連勝したセレナ以来となる、2大会連続でグランドスラム大会に優勝した女子プレーヤーになった。

 しかしそれらは一時、実現の危機にさらされていたのだ。

 セットを先取していた大坂は、第2セット5-3からのクビトバのサービスゲームで0-40とリードを奪い、3つのマッチポイントを手にしていた。しかし、この試合で初めてといえるやや受け身の姿勢でプレーしたことも祟り、試合を閉じることができず。それどころか、完全に道を見失ってしまった。

 そのことがクビトバにカムバックを許し、彼女が5ゲームを連取して第2セットを取るとともに、第3セット1-0とすることを可能にしてしまった。

 クビトバがのちに明かしたところによれば、その時点での彼女は、状況は自分に有利な方向へ転がっていくだろうと考えたのだという。

「でも最終的には、そうではなかった」

 その後、1-1からクビトバはダブルフォールトを犯してブレークポイントを献上し、大坂はバックハンドクロスのウィナーでそれをものにした。

 もちろん、まだまだ大仕事が残っていたし、第3セット5-4から大坂が自分のサービスゲームに入る直前のチェンジコートで雨が降り出すなど、さらなるドラマもあった。

 しかし今回、大坂はたじろがなかった。彼女は、このリードを消えさせはしなかった。

「なおみがあの感情に対処することさえできれば、ペトラは長いこと踏みとどまることはできないと分かっていた」と大坂のコーチを務めるサーシャ・バインはいう。

「そして彼女は、それを見事にやってのけた」

 日本人の母とハイチ人の父を持つ大坂は、日本で生まれ、3歳の時にニューヨークに移住した。今、彼女はフロリダに拠点を置いており、二重国籍を持っている。

 大坂はすでに、男女を通してグランドスラム大会でシングルスのタイトルを獲得した唯一の日本人プレーヤーだった。今、彼女はまた、シングルスの世界ランクで1位に至った最初のアジア人となる。

 21歳の大坂は、ここ10年弱でもっとも若い世界1位ということになる。2010年に初めて首位に登ったときのカロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)は20歳だった。

 1年前に、大坂のランキングが72位だったことを考えてみてほしい。なんという上昇、なんと急激な飛躍だろう。

 クビトバはこの日、2014年ウィンブルドン以来のグランドスラム決勝を戦っていた。そしてそれは、2年以上前にチェコの自宅で不法侵入者にナイフで手を刺された事件以来のグランドスラム決勝でもあった。

 手術を必要としたクビトバは、オーストラリアン・オープンを含めた2017年シーズンの4ヵ月半を棒に振ることになった。当時の彼女は、テニスの頂点に戻ることができるのかさえ分からないでいたのだ。

「あなたは多くを潜り抜けてきた」と大坂は表彰式の際にクビトバに語りかけた。

「グランドスラムの決勝であなたと対戦できたことを、私は本当に名誉に思う」

 その曇りがちな、軽い風が吹く、気温25度程度の比較的過ごしやすい夕べ、ふたりの女性は可能な限り強くボールを打ち合っていた。ラリーはその大部分がベースラインからのもので、ネットぎりぎりを通る、ほとんど反射的にとらえて返すしかない、フラットでパワフルなグラウンドストロークの応酬だった。

 ここに、この試合がどのようなものだったかを測るひとつの目安がある。大坂とクビトバの双方が、33本のウィナーを記録していたのだ。

 ポイントは素早く決まり、ある意味で素っ気ないものだった。第1セットでの86ポイントのうち、ラリーが9本以上続いたのはわずか4ポイントだけだった。多くの強烈なサービスがあり、クリーンヒットとよい動きがあった。

 タイブレークを通して突破口を開き、5ポイント連取――うち4本はウィナーだ――により最初に前に出たのは大坂の方だった。その数秒後にクビトバがバックハンドをサイドアウトし、今大会で初めてセットを落としたとき、大坂はこぶしを突き出して「カモン!」と叫んだ。

 その瞬間は、どれほど重要だったのだろうか? グランドスラムでのクビトバは、ここまで第1セットを取った22試合に勝っていた。一方の大坂は、第1セットを先取したあとに勝った試合数は「59」という連続記録を手にこの日の試合に臨んだ。

 第2セットで大坂がブレークを果たして3-2とリードし、それから5-3としたとき、結果はもはや決まってしまったかに見えた。ところが実際には、まったくそうではなかったのだ。

 しかしもちろん、本当に重要なのは、勝つのに間に合うタイミングで、大坂が自分の軌道を正したということだった。

「それほど長い時間はかからなかったわ。私には、選択の余地がなかった」と大坂は振り返った。(C)AP(テニスマガジン)

※写真は大坂なおみ(日清食品)
MELBOURNE, AUSTRALIA - JANUARY 26: Naomi Osaka of Japan poses for a photo with the Daphne Akhurst Memorial Cup following victory in her Women's Singles Final match against Petra Kvitova of the Czech Republic during day 13 of the 2019 Australian Open at Melbourne Park on January 26, 2019 in Melbourne, Australia. (Photo by Scott Barbour/Getty Images)


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