広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第9回_ルールを守ればスポーツマンか?

あなたはスポーツマンシップの意味を答えられますか? 誰もが知っているようで知らないスポーツの本質を物語る言葉「スポーツマンシップ」。このキーワードを広瀬一郎氏は著書『スポーツマンシップを考える』の中で解明しています。スポーツにおける「真剣さ」と「遊び心」の調和の大切さを世に問う指導者必読書。これは私たちテニスマガジン、そしてテニマガ・テニス部がもっとも大切にしているものでもあります。テニスを愛するすべての人々、プレーするすべての人々へ届けたいーー。本書はA5判全184ページです。複数回に分け、すべてを掲載いたします。(ベースボール・マガジン社 テニスマガジン編集部)

その8

ルールを守ればスポーツマンか?

……必ずしもそうではありません。伝統や慣習を尊重することも重要です。

KeyWord
スポーツの歴史、伝統と慣習、意図的なファウル、意図的なフォアボール

スポーツの歴史を学ぶ意味

 スポーツは歴史的な産物であり、日々進化しています。ルールも決して固定化していません。あるスポーツや特定のゲーム、あるいは特定の大会などが歴史的にどのように形成されてきたかを学び、理解することは、スポーツマンシップを習得するうえで大切です。なぜならルールを尊重するには、今そこに書かれている規定を理解するだけでなく、それらの背景、つまりそれがどのような過程を経て現在にいたったのかを理解することが必要だからです。

ゲームの伝統と慣習を尊重する

 バスケットボールでよく見られる次の光景を思い出してください。接戦で迎えたゲームの終盤では、シュートしようとするプレーヤーに対してディフェンスが意図的にファウルをしてフリースローにもちこませる……。

 これはおかしなことでしょうか? これはスポーツマンシップに反した行為だというわけでもなく、非難すべきことでもありません。確かにルールに照らせばそれは反則ですが、戦略的な意図のもとにあえて意図的に反則を犯すことが慣習として定着しているからです。反則である以上、ルールにしたがって罰則の適用を受けるのは言うまでもありませんが。

 このように実際の競技場面でスポーツマンシップを評価する場合、その競技の伝統慣習による判断が必要となるため、その基準は必ずしも単純ではありません。正当に評価するには知識と経験と適確な判断力が必要とされます。

伝統や慣習も常に変化する

 さらに難しいことに、伝統や慣習は変化していきます。たとえば野球では、大量にリードしている側が盗塁をするのはあまり誉められた行為ではないと、かつては思われていました。今ではさして非難に値する行為とはみなされていません。

自分たちの行為が伝統になる

 すべての競技種目には固有の微妙なニュアンスのようなものが存在します。たとえば野球では、ダブルプレーを阻止しようと二塁にハードな滑り込みをすることは許されていますが、スパイクを高くあげて滑り込みをして野手を傷つけてしまったり、大量にリードしている側がスクイズを試みたりすることは不適切だとみなされます。

 秀でたプレーヤーとなるためではなく、良いスポーツマンになるためには、その競技の歴史的な成り立ちを理解し、その競技自体を尊重する心を持つ必要がある。このことを若いプレーヤーたちに教えなくてはなりません。

 そして歴史のあるものに参加するということは、その伝統を学び、理解し、自分をその世界に適応させることであり、同時にその参加者自身の判断と行為自体がまた新たにその伝統を形成していきます。したがって参加者一人一人が伝統に対して責任があるという点を認識させる必要があります。自分がゲームでどのように振る舞ったかが、将来のプレーヤーにとっては新たに学ぶべき伝統となるのです。

「皆がやっているから」を許してはいけない

 現実にはゲームの精神に反した行為なのに、「それもゲームさ」と言い訳されることがあります。そういう時には、一歩引いて冷静にその外側から考えてみる必要があるでしょう。

 つまり「たしかにその行為がゲームではよく行われているが、実はいけないことではないか」という、少しだけ上の次元から判断することが求められるのです。

 たとえばプロ野球のシーズン終盤、優勝が決定したあとに個人のタイトルに関連して意図的にフォアボールを与えたりすることがよく見られます。「皆がやっている」「昔からやられている」ということは、この行為を正当化する理由にはなりません。少なくともスポーツやスポーツマンシップという観点からゲームを尊重すべきだと考えるなら、ゲームの勝敗とは関係がない意図的なフォアボールは不適切な行為だと判断すべきです。

 若いプレーヤーたちには、自分たちの行為が次の世代にとって伝統や慣習になるという事実を教え、そのうえで自分たちの果たすべき責任を自覚させることが重要です。決して「皆がやっているから」という言い訳を許してはいけません。それは一見その競技に準じているようですが、スポーツの本質に反している以上、反スポーツ的な行為であることは明確なのですから。

実例7 大人たちの騒ぎをよそに、スポーツマンシップに徹したスーパースター 一ー松井秀喜選手が甲子園で経験した5打席連続敬遠

実例7

大人たちの騒ぎをよそに、スポーツマンシップに徹したスーパースター 一ー松井秀喜選手が甲子園で経験した5打席連続敬遠

 あの夏から、私は彼に畏敬の念を抱いている。

 あの夏とは、星稜高の4番打者として高校野球選手権に出場した彼(読売巨人軍・松井秀喜選手)が対戦相手の明徳義塾高から徹底マークされた末に、5打席連続敬遠された10年前の夏である。主催の新聞社が、「そこまでして勝ちたいか」とヒステリックに騒ぎ、日頃は教育的配慮を口にする日本高校野球連盟の牧野直隆会長が異例の会見まで開いて明徳義塾高を名指しで批判、ことさら“甲子園の悪役”にしたてあげ、知将と称された山下智茂監督が男泣き…。誰もが常軌を逸したなかで、18歳の少年はこう言った。

「(野球には)こういうこともあります」

 敬遠は野球をする上で認められたルールである。ルールに則り、勝ちを目指すと野球規則にある。それは高校野球といえど例外ではない。あの両校の選手を無視した大人たちの理不尽な騒ぎのなかで、それを冷静に受け止めていたのが松井選手であった。そして松井主将率いる星稜高は、勝った明徳義塾高に自分たちの千羽鶴を託し(結果的には明徳義塾高は大人たちの圧力でつぶされたが) 健闘を祈った。

 甲子園の取材現場でそれを目の当たりにし発言を耳にした時、私は、この20歳も年下の少年に畏敬の念を抱かざるを得なかった。

(出典:佐藤慎輔・産経新聞外信部デスク、『体育科教育』2002年6月号、大修館書店)

→この話は有名です。松井選手が野球、そしてスポーツの何たるかを若くして理解していたことを物語っていると言えるでしょう。しかしここでつけ加えておくことがあります。松井選手の5打席フォアボールは、相手チームが少なくとも「ゲームに勝つために」行ったという事実を指摘しておきます。たしかにルールの中で許されるぎりぎりのことをしたのであり、フェアプレ ーと言えるかどうかは議論の余地がありますが、「ゲームに勝つ」という最大の価値を尊重してはいるのです。翻ってプロ野球のシーズン終盤で優勝が決まったあとに行われる、個人タイトルをめぐるフォアボール合戦には、ゲームに対する尊重の念がまったく感じられません。そこで繰り広げられていることはスポ一ツにはまったく関係のないことなのです。

 これに関連した話を―つ。松井選手が生まれるずっと以前、米国メジャーリーグで“最後の四割打者”となった故テッド・ウィリアムズ氏は、四割を打てそうになった1941年、シーズン最後のダブルヘッダーを前にして、監督から打率を守るために試合を休まないかと言われました。 しかし彼はこの申し出を断ります。

「監督さん、私は最後のゲームまで四割が打てなかったら四割打者に値しないのですから、絶対に最後の2ゲームは出ます」

 試合に出場した彼は、二試合で8打数6安打と大当たりし、球史に残る最終打率4割6厘を残したのです。ゲームを尊重する精神を貫いたウィリアムズ氏の記録は、とても価値の高いもの。そしてこの工ピソードは、スポーツマンシップを語るに恰好の題材です。

『スポーツマンシップを考える』連載第1回から第8回 バックナンバーリスト

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第1回_序章「誰もが知っている意味不明な言葉」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第2回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その1「スポーツとは何か?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第3回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その2「スポーツマンシップとは何か?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第4回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その3「フェアプレーという考え方はどうしてできたのか?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第5回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その4「なぜスポーツマンシップを教えなければならないのか?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第6回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その5「なぜ戦う相手を尊重するのか?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第7回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その6「なぜ審判を尊重するのか?」

広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第8回_第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」_その7「なぜゲームを尊重するのか?」

著者プロフィール

ひろせ・いちろう◎1955年9月16日〜2017年5月2日(享年61歳)。静岡県出身。東京大学法学部卒業後、電通でスポーツイベントのプロデュースやワールドカップの招致活動に携わる。2000年からJリーグ経営諮問委員。2000年7月 (株)スポーツ・ナビゲーション(スポーツナビ)設立、代表取締役就任。2002年8月退社。経済産業研究所上席研究員を経て、2004年よりスポーツ総合研究所所長、2005年以降は江戸川大学社会学部教授、多摩大学大学院教授、特定非営利活動法人スポーツマンシップ指導者育成会理事長などを歴任した。※本書発行時(2002年)のプロフィールを加筆・修正

協力◎一般社団法人日本スポーツマンシップ協会

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