ビリー ジーン・キングがビーナスの“平等のための闘い”を高く評価

ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)がワールド・チーム・テニス(WTT)のクリニックで初めてビリー ジーン・キング(アメリカ)にいい印象を与えようと頑張ったとき、彼女はまだ小さな子供だった。

 それはまだ、彼女が世界ランク1位になる数年前のことだ。そのときのビーナスは、自分のテニスアイドルにいいところを見せようと躍起になっていた。

「自分が打つ番になったとき、私はとにかく自信満々で強気だったわ」とビーナスは笑いながら言った。

「バン!と打って、“よし、彼女は今のを見たわ!”みたいな感じだった」

 ウインブルドンを6度制した実績を持つキングは、すぐにビーナスのパワーと強がって見せようとしている姿に強い印象を受けた。

「すごくかわいかったわ」とキングは振り返った。

 かつてのビーナスはただテニスをプレーし、大会に勝ちたいと思い、その過程でいつか偉大な選手のひとりになりたいと願う子供だった。そして彼女はすぐに、記録だけでは表しきれないキングの偉大な足跡をたどることを切望するようになる。

 39歳のビーナスは、このスポーツにおける女性の平等と賞金の平等化を擁護するキングの遺産からインスピレーションを受けた。2005年ウインブルドン決勝をプレーする前日、ビーナスはグランドスラム委員会の役員たちと話し合う機会を持ち、ウインブルドンとフレンチ・オープンで男女の賞金を同じ額にするよう促した。

「どこかで始めたことでも、予定していなかった別のどこかで終わることがよくあるものよ」とビーナスは言った。

 金曜日の夜、キングとビーナスはフィラデルフィア・フライヤーズとサクラメント・キングスの代表も含まれるスポーツの女子委員会の会議に出席していた。ビーナスはWTTのワシントン・キャッスルでプレーするためフィラデルフィアに来ており、セントジョセフ大学のハーゲンフィールドハウスには2000人ほどのファンたちが詰めかけていた。

 彼女はWTTの対戦で、フィラデルフィア・フリードムのテイラー・タウンゼント(アメリカ)に対するシングルスに5-2で勝ち、コートでは比較的楽な時間を過ごした。

 最後にプレーした公式戦となるウインブルドンで、ビーナスは15歳のコリ・ガウフ(アメリカ)に番狂わせを喫した。彼女は代理人を通してこの敗戦に関する質問を拒否し、WTTに関することに集中したいとした。

続きを読むには、部員登録が必要です。

部員登録(無料/メール登録)すると、部員限定記事が無制限でお読みいただけます。

いますぐ登録

Pick up

Ranking of articles