レギュレーションボール(硬球)を採用して国際化した日本テニス界でしたが、1922(大正11)年に正式発足した日本庭球協会は軟球使用のテニス層を吸収できませんでした。すでに全国各地に根をおろしていた軟球愛好者たちは、さらなる紆余曲折を経て独自の統轄団体を組織することになります。

模索する軟球界の再編

 期待された国産の硬球ボールは実用レベルに達することができず、輸入せざるをえないボールには5割の税金が加算されて高価なままでした。これでは、おいそれと硬球使用のテニスに移行することはできません。当時、軟球の1ダース2円前後なのに対して、硬球は18円前後だったのです。

 しかし、国際テニス界を目指す体制づくりで精一杯の日本庭球協会は、「庭球」という競技名を踏襲したにもかかわらず、軟球部門をも包括する堅固な体制をつくることはできませんでした。

 そこで軟球使用のテニス愛好者たちは独自に、都下の8クラブと学生聯盟を組織して「東京軟球協会」を設立し、翌1923(大正12)年8月には第1回全日本軟球選手権大会を成功させます。

 関東大震災を乗り越えた東京軟球協会が、関西側の了解も得て、実質的に全日本を包含する「日本軟球協会」と名称変更したのは翌1924(大正13)年3月でした。《東京朝日新聞》(1924年3月8日付)に掲載された記事「軟球協会成立す/全日本を包含して斯道発達」は、「今後は硬球側と連絡をとり軟球発達の為めに努力することとなった」と結ばれています。

 日本軟球協会は競技方法を改めてオープントーナメント方式とし、同年7月に東京大学本郷コートで第2回全日本軟球選手権大会を開催しました。

 内務省による明治神宮競技大会の開催が新聞紙上に発表されたのも、1924(大正13)年春でした。《東京朝日新聞》(1924年4月19日付、夕刊)には「最近一般の運動熱は著しく盛んになり、文部省でも特に力瘤を入れているのと競争の形で内務省も愈具体的に体育奨励のため乗り出してきた」とあります。

 内務省は、国の警察・土木・衛生・地方行政などの内務行政を統轄した中央官庁でした。「明治神宮競技」という名称は、オリンピック競技がギリシャの宮殿で行われていたことに因んでいるとのことです。年に1回開催される大会の主会場は10月に完成予定の明治神宮外苑競技場で、全国各地から選手を集めて行われることになります。第1回大会の種目は水上競技、陸上競技、ホッケー、柔道、端艇、庭球、アソシエーション・フットボール、野球、ラグビー・フットボール、馬術、バスケットボール、バレーボール、弓道、剣道、相撲が予定されていました。

 庭球部門は、日本庭球協会設立当初からの理事であった鎌田芳雄が準備委員として参加することになります。そして6月27日に行われた第3回協議会で、鎌田委員は次のような発言をしています。

一、テニス
 軟球、硬球、男女を参加せしむる見込
 日数、最小限度一週間、大阪九州等の支部と参加方法につき交渉中
 競技場、外苑内に新設を望む
 軟球、千組にも上らむかと予想し居れり

 さらに第4回協議会(7月11日)で鎌田委員は、外苑内に新設を希望していたコートについて明治神宮造営局に交渉して実地検分し、臨時コート3面の予定地を提案して内務省で造ることができるかどうか打診したと報告しています。この時点でも、競技は「硬球にて単、複(男女)試合及軟球(男女)ダブルの試合」を予定し、規則に関しては硬球では国際ルール、軟球では「昨年出来たもの」を用いることになっていました。明治神宮コート設置不能の場合は「慶應、早稲田、帝大」のコートを予定しているとも補足してます。

 コートの確保についてはかなり苦労していたようで、第6回協議会(9月5日)では宮城内の新コートを交渉中であること、第7回協議会(9月26日)では宮城内コート(紅葉山コート)の了解が得られたので、帝大コートと慶大コート(大森射的クラブ内)とともに使用することが報告されました。

 第8回協議会(10月10日)では、議案として「一、軟球の件」が上げられていますが、軟球協会からすれば「庭球協会は軟球は庭球にあらず」ともとれる扱いなので、それならば「特別の部門として軟球を競技に加へられたし」と内務省衛生局長に申し込んだそうです。

 しかし、大会終了後の報告書には、「本件に就ては曩に当協議会の承認を経て硬球のみと決定発表したる関係もあり本大会に於ては現実に促はれす大局より国民に運動を指導し之か模範たらんとする点よりも硬球のみとしたしとの意見あり出席者多数此の説に賛同せり」と記録されています。

 参加できなかった日本軟球協会側の意見は「庭球会員並に同好の士に告ぐ」という見出しで、《東京朝日新聞》(1924年11月1日付)に横一段で掲載されています。「明治大帝の御威徳を追慕」する意義ある大会への参加準備を進めてきたが、「寝耳に水」の理解できない理由で参加できなくなったとの抗議をこめた経緯説明をしています。と同時に、「硬球は国際的見地より是の必要あり軟球は国民体育上最も重要なるものなり」との理解も示されていました。

 なお記事文中では、「軟球」「硬球」とともに、「軟式庭球」「硬式庭球」という用語も使われていますので、以下の文中(引用部分以外)では、わかりやすく「軟式」「硬式」と表記することにします。

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