広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第15回_第4章「スポーツマンシップを教える〈模擬授業〉」

あなたはスポーツマンシップの意味を答えられますか? 誰もが知っているようで知らないスポーツの本質を物語る言葉「スポーツマンシップ」。このキーワードを広瀬一郎氏は著書『スポーツマンシップを考える』の中で解明しています。スポーツにおける「真剣さ」と「遊び心」の調和の大切さを世に問う指導者必読書。これは私たちテニスマガジン、そしてテニマガ・テニス部がもっとも大切にしているものでもあります。テニスを愛するすべての人々、プレーするすべての人々へ届けたいーー。本書はA5判全184ページです。複数回に分け、すべてを掲載いたします。(ベースボール・マガジン社 テニスマガジン編集部)

「スポーツマシップ」と子供に聞かれて、過不足なく説明できる人はいるでしょうか? この章では、この問題を解決する具体的手段を提示します。

 以下は、「スポーツマンシップ」をテーマとした授業を小学校(5年生対象)で行うにあたり、私が実際に用意した原稿です。スポ—ツマンシップを子供たちに教える際、参考にしていただければ幸いです。

スポーツマンシップ模擬授業

導入|自己紹介〜授業の目的明示(何の話か)

 はじめまして。私は広瀬と言います。スポーツは中学校から大学までサッカー部でした。高校は静岡県の藤枝東というところで、高校サッカー選手権で優勝や準優勝を何回もしている名門です。ゴン中山(Jリーグ・ジュビロ磐田/当時)も高校の後輩です。

 もっとも昔は今ほどサッカーの人気がなく、一般の人はサッカーに関心がありませんでした。昭和50年に大学の合格発表の場で、ある出版社の取材を受けたときは、ショックでした。「出身は?」と聞かれ、「静岡県の藤枝東です」と答え、「ああサッカーの強いあの高校ですね」と言われると思ったら、「聞いたことありませんねえ」。それで「サッカーでは有名なんですけど」と言ったら、「ああサッカーね。東京にも強いところがありますよ」と言われました。そこで「どこですか?」と聞いたら、「国学院とか目黒とか…」。その人はサッカーとラグビーを間違えていたんですね。そんな時代でした。

 大学を出てから広告の会社に入ったのですが、会社ではスポーツの仕事をずっとやることになりました。サッカーのワールドカップには86年のメキシコ大会からかかわっています。メキシコ大会で優勝したチームはどこか知っている人?

 そうアルゼンチンですね。あのときアルゼンチンにはマラドーナというすごい選手がいて、相手チームは誰もマラドーナからボールが取れません。有名な「5人抜き」で、イングランドも負かしてしまいました。アステカ・スタジアムという大きなスタジアムで私はそこにいたのですが、目の前で何が起こったのかよくわかりませんでした。

 サッカーだけではなく、ゴルフや陸上などの仕事もしましたが、海外での仕事が多く、日本では当然だと思っていたことが、実はそうではないということをいろいろと発見しました。たとえば、皆さんが区営のプールに行ったりすると、「はい55分ですので皆さんいったんプールから出てください」なんて言われますね。あんなことは海外で見たことがありません。
 
 またスポーツの場での盛り上がりも、どうも日本と海外では違います。例えばよくサッカーではフーリガンのことが問題になります。フーリガンて知ってますか? スタジアムの中やその近所で興奮しすぎて大暴れする「ならず者」のことです。ヨーロッパや南米ではどうしたら観客の興奮を抑えられるかということが大問題なのです。そのヨーロッパのチームがトヨタカップで日本に来ると、盛り上げるために会場で花火のようなものまで使うのでビックリします。「こんなことして暴動が起きたらどうするんだ?」ってね。

 そういうことをずっと見てきて、どうも日本はスポーツについて特別な国なのではないかなと思い始めました。そう思ったら、他にもいろんなことが目について気になりました。今日は「どこが違うのか」「どうして違うのか」「違っていていいのか」という点について、皆さんと一緒に考えたいと思います。

スポーツとは何か?

スポーツとは何か?

 ところで「スポーツとは何か」と聞かれたら、皆さんはどう答えますか。

 おそらく「運動」とか「体育」と答える人が多いでしょうね。

 どちらも間違いではありませんが、どちらも十分だとも言えません。では何が欠けているのでしょうか。結論から言うとスポーツに対応する日本語はありません。だから「スポーツとはスポーツのことだ」と言うしかないのですが、それでは質問の答えになりませんね。なぜ「運動」や「体育」ではスポーツの説明が不十分なのでしょうか。そこから話を始めたいと思います。

 今からおよそ100年前(明治時代)にヨーロッパからいろいろな文化と一緒に“スポーツ”が入ってきて、最初は優秀な兵隊を育てるために、学校教育に取り入れられました。「右向け、右!」「前進!」という命令にちゃんと反応できる兵隊が必要でした。当時は国の力は「経済と軍事力」だと考えられていたので、「いい国」は「強い国」であり、そのためには優秀な兵隊が必要だったのです。ですから、スポーツは学校での「体育」として教えられて、皆がやり始めるようになり、普及し発展してきました。だから日本ではほとんどの人が、学校の体育として初めてスポーツと出会っています。でも大人になって学校を卒業してもスポーツをしている人は、「私は今も趣味で体育をしています」とは言いませんね。「体育」はやはり学校でする勉強の一つだからです。

 では「運動」はどうでしょう。

 小さな子供が歩けるようになると、お母さんたちはお医者さんに「なるべく運動をさせてください」と言われます。そして一日一定の時間を体を動かす「運動の時間」にあてますが、その時「赤ちゃんがスポーツをしている」とは言いません。また病気やケガをした後に回復のためにリハビリテーションということをしますが、「適度に運動して早く回復するようにしてください」と、やはりお医者さんに言われます。そして体を動かしますが、それを「スポーツ」とは言いません。なぜでしょうか。何が欠けているのでしょうか。(欠けているものは二つあります。)

 答えは、スポーツ=運動+「プレー(遊び)+ゲーム」

 スポーツに際して口にする言葉として「ゲームをプレー(play)する」などという言い方が使われます。ゲームの参加者のことを「プレーヤー(player)」と呼びます。スポーツというのは「遊び(プレー/play)」の一種です。

 遊びというのは仕事とは違って強制されたものではなく、自由な意志に基づいて行うものです。「強制されて遊ぶ」ということは不可能なのです。遊びにとって重要なのは、遊ぶことそのものを楽しむために、自由意志に基づいて行うという点が重要なのです。快楽が得られるから、遊ぶ(プレーする)のです。

 またスポーツは人間が体を動かす「運動」というだけではなく、勝ち負けを競うゲームだということが必要です。

 ですから、「スポーツとは何か?」という問題の答えは、「勝ち負けのつくゲームをする運動」だということができます。では「勝ち負けのゲームに必要なこと」は何でしょうか。

 それは、「ルール」「審判」「相手」の三つです。そのどれか一つでも欠けるとゲームができません。ゲームは「ルール」にしたがって「相手」と戦い、「審判」がルールに基づいて勝ち負けを判定するのです。

 登山などの「山岳スポーツ」は? と疑間に思う人がいるかもしれませんが、今のような解釈では、「相手」は人間でないといけません。人と馬が100m競走をしてもスポーツとはいいません。また、登山には審判もいないので厳密な意味では「スポーツ」ではありません。もちろんスポーツではないからといって、登山の価値が低いということではありません。気晴らしをレジャーと言ったりしますが、登山は立派なレジャーであり趣味だと思います。

 スポーツが世界に広まっていく中で、国や地方によっていろいろな形でスポーツは発展しました。スポーツは文化なので文化が違えば、スポーツの形も違っていいのかもしれません。例えばロシアでは一番の人気スポーツは「チェス」だそうです。

「サッカーとスポーツの誕生」

参考資料|サッカーとスポーツの誕生

 英国では19世紀の前半、パブリックスクールでフットボールというボールを蹴り合うゲームが大変流行っていました。ただし目的はゲームを楽しむことというよりも、むしろ勇気や荒々しさを競うものでした。そのころのルールには「靴の先に鉄などの金属を仕込んではいけない」というものがありました。なぜなら金属で蹴ると相手は大変なケガをするからです。

 ということは、そのころのフットボールでは、相手を蹴ってもいいことになっていたということです。また手でつかんで投げ飛ばしたりすることも許されていました。ケガも多く、上級生が下級生をいじめる場にもなっていたので、ラグビー校という学校のアーノルド校長先生が、手をいっさい使ってはいけない、相手を蹴ってはいけないなどのルールをつくり、野蛮なものからゲームをとおして立派な振る舞いをする教育的なものに変えていきました。そこで野蛮な運動ゲームではなく、弱いものいじめをしないでフェアプレー精神に則って立派な行いをすることが「スポーツ」だという考えが誕生して広まっていきました。

 ゲームを楽しむという考え方がだんだん広まっていき、各校もそれを採用していきました。そして1863年にロンドンで各校の代表者が集まって、フットボールの団体を作り共通のルールを定めました。それがサッカーのルールの始まりです。ただしかつてアーノルド校長先生のいたラグビー校は、「手を使わない」というルールに賛成せず、自分達は「手を使ってもいい」ルールでフットボールを続けることにしました。それがラグビーになりました。

 重要なことはスポーツの形式が場所によっていろいろ違っても、スポーツマンシップがスポーツにとってもっとも大切な価値であるということです。

スポーツマンとは?

スポーツマンとは?

 皆さんの中で「自分はスポーツマンだ」と思う人、手をあげてください。(挙手した子供に)じゃあ、君はどうして自分がスポーツマンだ、と思ってるんだろう。

〜「スポーツが好きだから」「足が速いから」等の回答が予想される。〜

 スポーツマンという言葉を国語辞典で引いてみると「運動能力に優れた人」と書いてありました。足が速かったり、サッカーがうまかったり、という理由で「自分はスポーツマンだ」と思ってる人、そのとおりでしたね。

 でもちょっと待ってください。どうですか、皆さん。「スポーツマン」っていうのは足が速かったり、速く泳げたりする人のことだと思いますか? だとするとスポーツマンらしさっていうのは足が速かったりすることですか? ちょっと変ですね。それでは「スポーツマンシップ」がわからなくなってしまいます。そこでオックスフォードというイギリスの有名な国語辞典でスポーツマンという言葉を調べてみたら、何と「Good Fellow」と書かれてありました。これは「良い仲間」という意味です。日本の国語辞書とだいぶ違いますねえ。

「スポーツマン」という言葉を聞いたことがある人?

「スポーツマンシップ」ってどういうことか、聞いたことがある人?

(「フェアプレー」と答えた子供がいれば、ほめたうえでそれだけではなく他にもいろいろな意味が含まれていることを教える。)

 皆さんのお父さんお母さんも、ほとんどの人は「スポーツマンシップ」という言葉をどこかで聞いたことがあり、知っています。スポーツマンシップというのは「スポーツマンらしさ」という意味です。日本には「気質(=かたぎ)」ということばがあります。「職人気質」という言葉は、職人さんが「職人らしさ」に誇りを持って言うときに使う言葉です。スポーツマンシップは「スポーツマン気質」とも考えられ、スポーツをする人が「当然身につけるべきこと」とか「めざすべき理想の姿」というふうに理解できます。

 では具体的にその中身は? と聞かれると、たいていの大人の人も(皆さんと同じように言葉の意味を説明してもらったことがないので)、説明できません。お父さんやお母さんに聞けば、言葉を知らないという人もいないでしょうが、何のことかちゃんと説明できる人もほとんどいません。みんなが知っているけれど、みんながその意味を知らないという変な言葉です。

スポーツは自分で決めて参加するもの

スポーツは自分で決めて参加するもの

 スポーツマンが「良い仲間」のことだとするなら、「スポーツマンシップ」(つまりスポーツマンらしさ)というのが、スポーツをする人にとって「身につけるべき素晴らしいことだ」ということがわかりますね。

 さらにどこかに「スポーツマンシップ」の説明がないかな、と思ってかなりしつこく探しました。そしてやっと見つけました。何と東京オリンピックの前の年に出版された本でした。東京でオリンピックが開かれたのは皆さんの両親がまだ赤ちゃんのころですから、ずいぶん前の本です。

 ここには「スポーツの主な価値は精神的なもの、つまりスポーツマンシップ」だと書いてあります。また「スポーツマンシップとは、煎じつめると尊重(respect)するということだ」というヨーロッパの言葉が紹介されています。

 尊重するとはどういうことでしょうか。「意味」を理解しその意味を大切に考えるということです。「意味を理解する」ということは、「決まっているから」とか「守らないと怒られるから」というのとは違います。それぞれの人が個別に独立して「その意味を理解して、その価値を判断したうえで認める」ことが尊重するということです。

 そして、スポーツでは尊重するものとして「ルール」「審判」「相手」の三つをあげています。先ほどスポーツと運動の違いで出てきた三つですね。覚えていますか。この三つがないと、ゲームはできません。そしてスポーツは勝敗を決める体を使ったゲームでもあるのです。だからこの三つを大事にしないとスポーツができません。

 この三つを尊重するということは、その競技を尊重することであり、その競技の価値を認めるということなのです。その価値を理解しないのなら、スポーツをする意味がありません。スポーツをしなければならない理由はありません。それぞれの人が、そのスポーツの意味を認め、「やりたいな」と判断し、「勝ちたいな」と思って頑張ること。それがスポーツの基本なのです。強制されてすることはスポーツではないのです。この点は大変重要なことですから、よく覚えておいてください。だからスポーツをする人には、まず自分の判断力が求められるのです。

「スポーツの歴史とアマチュアリズム(対象:小学校高学年以上)」

参考資料|スポーツの歴史とアマチュアリズム(対象:小学校高学年以上)

「尊重」することがスポーツマンシップにとってもっとも大切だ、ということには理由があります。スポーツが誕生したころにさかのぼってその理由を探してみましょう。

スポーツの誕生

 現在行われている競技種目のほとんどは(クリケットを唯一の例外として)、19世紀の後半から20世紀の初めにかけてルールが統一されたり、その統一ルールに基づいてゲームを開催する競技団体ができています。例えばサッカーのW杯を主催する国際サッカー連盟(FIFA)は1904年にパリで設立されています。

 オリンピックの生みの親と言われているクーベルタン男爵という人を知っていますか。

 フランスがドイツに戦争で負けたときに、「原因はフランス人の体格と運動能力だ」と言う人たちが現れ、フランスの体育を盛んにすべきだという声が高まったのですが、クーベルタンもその中心人物でした。

 クーベルタンはどうしたらスポーツを盛んにすることができるか、一生懸命考えました。そして二つのアイデアを思いつきました。古代ローマに行われていた「オリンピック競技大会の復活」と「金銀銅メダル」の授与です。特に単なるスポーツの国際大会創設を「古代オリンピックの復活」としたことが、成功を収めたキーポイントでした。

アマチュアリズム

 スポーツという語はもともとフランスの古語で「気晴らし」と意味するdesportからきていると言われています。「貴族」という身分の高い人たちが、気晴らしとして「狩り」を中心とした活動を指すようになり、さらに気晴らしのための運動そのものを指すようになったそうです。その後18世紀にイギリスの紳士階級のレクリエーションとして好まれ、スポーツは紳士がするべきものとして普及していきました。クリケットやゴルフや乗馬のクラブが設立されたのも18世紀の中期から後期にかけてのことでした。

「アマチュア選手」という言葉を知っていますか。プロのようにプレーでお金を稼がない選手のことを言いますね。もともとは「好きな人」という意味です。好きだからスポーツをする人はスポーツでお金を稼がない、と考えられていたために使われるようになりました。

 アマチュアという言葉が生まれたイギリスには、曰本の「武土道」に似た「騎士道」というものがありました。侍がいなくなっても「武士道精神」は残ったように、「騎士道精神」は残ったのです。そしてスポーツは、騎土道を教え身につけるものとして考えられていたので、騎土道に必要な「堂々と戦う=フェアプレー」や「我慢する」といった態度が、スポ一ツでのアマチュアにも必要なことだということになり、アマチュアこそがスポ一ツの精神だと考えられるようになったのです。日本でも長い間スポーツに必要なのはスポ一ツで何かを得ようとしない「アマチュア精神(アマチュアリズム)」だと考えられていました。

 ところで19世紀の英国には、貴族やお金持ちの子供たちは「パブリックスクール」という学校に行くことか普通でした。パブリックスクールでは立派な「紳士」になるように教えられ、そのためには「ルール」を重んじ、「フェア」に振る舞い、友人を大事にして、社会のためになることをせよと教えられていました。そして、これらを身につけさせるためにスポ一ツは重要な役割を果たしたのです。このバプリックスクールがスポ一ツの普及に果たした役割は大きいものでした。というのも当時のイギリスは世界中と商売をしており、世界のいろいろなところにスポ一ツ好きなパブリックスクール出身のイギリス人が進出したため、そういう人たちを通じてスポ一ツが世界に広まったのです。

スポーツマンシップと学校教育

スポーツマンシップと学校教育

 こうしてみると、日本のスポーツが学校の体育として始まったのも自然だったのではないか、とも考えられます。ただし、「体が強くて、規律をよく守る」兵隊を育てるという目的があったため、相手(チーム)を思いやるフェアプレーだとか、「友人を大事にする思いやり」などの部分が欠けていたことが問題でした。そして、「社会のためになることをする」のではなく、「国のために優秀な兵隊になる」ことが重要だと教えられたことも大きな違いでした。本当は、「スポーツマンシップ」を身につけることこそが、「スポーツ」の最も重要な役割であることを知ってもらいたいと思います。

スポーツマンかどうかは態度で決まる

 単純に足が速かったり、泳ぐのが上手だったりする人が、そのままスポーツマンだとは言えないのです。その人の態度が立派かどうか、が一番重要なのです。

 ルールを守って「フェア」で「思いやり」のある人は、いい人だし「カッコいい」と思いませんか。仲間になりたいと思いませんか。だからスポーツが生まれたヨーロッパやアメリカでは、「スポーツマン」は「良い仲間」という意味になるのです。

 体育の授業で「速く走ろう」とか「高く飛ぼう」と言われたりすることがあります。運動会の練習などで「皆に合わせて手足を動かしましょう」と教えてもらうこともありますね。それらも大事なことですが、もっと大事なことは、「ルールを守ること」や、「フェアプレーをすること」や、「相手を思いやること」などです。

 アメリカのサッカー協会が発行している「ジュニアのためのサッカークリニック」という本があります。その中にコーチがジュニア選手(君たち)に許してはいけないことがいろいろと書いてあります。例えば「ゲーム中、交代させられた選手が、まだできるのに! とふてくされた態度を示すことがあるが、これを許してはいけない」と書いてありました。この中でそういうことをしてしまったことがある人。

 いけませんねえ。ではそういうときに怒られた人?

 ではその理由は、何だと思いますか(挙手〜回答させる)。

体育が苦手でもスポーツマンになれる

体育が苦手でもスポーツマンになれる

 日本では「フォア・ザ・チーム(チームのために)」とか「監督の指示に従わなければいけないから」などが、その理由だとすることが多いのですが、その本に書かれている理由は「交代で入る選手への尊重(思いやり)」なのです。

 交代を言われたら次に交代で入る仲間に「頑張れよ」と励ますこと。これが「仲間への思いやり」です。スポーツで大切に考えなければならない三つのものの中で「相手」ということがありましたが、これは相手チームだけではなく、自分以外のプレーヤー、つまり自分のチームメイトも含まれるのです。「自分以外のプレーヤーに対する尊重(大切に思う心)」。これがない人はスポーツマンとは言えません。いくら速く走れたり、高く飛べたりしてもそれだけでは「運動能力のある人」というだけであり、「スポーツ能力」(という言葉があればそれ)が低い人をスポーツマンだとは言えないのです。

 残念ながら、私も皆さんのご両親も、こういうことをきちんと教わってこなかったのです。だから国語辞典を開くと、スポーツマンを「運動能力の高い人」と書いてあったりするのです。大きな誤解ですが、それは辞典を作った人が悪いのではなく、日本ではスポーツが運動と区別されていなかったという証拠ですね。

 それにしても、先ほど英語では「スポーツマン=良い仲間」と書いてあると言いましたが、「運動能力が高い人」というのとはずいぶん大きな違いですね。この中で「自分は体育が苦手だからスポーツマンにはなれない」と思い込んでいた人はいませんか? 心配しないでくださいね。スポーツマンらしさを身につければ、誰もがスポーツマンになれます。ただし、スポーツが好きであることは必要です。皆さんはスポーツが好きですか?

「勝つ」ことが第一の目的

「勝つ」ことが第一の目的

 では皆さんはなぜスポーツが好きなんでしょうか? スポーツをする目的は何でしょうか? 「楽しいから」だと思う人は手をあげてください。

「手をあげた人、正解です!」。スポーツは楽しくなければなりません。したいからする。見たいから見る。誰かにさせられることは、スポーツとは言いません。難しい言葉で言うと、「自主性」ということが大変重要なんです。「自主性」というのは自分で判断して決めるということです。一人一人が自分で「楽しい」「したい」と判断して行うことがスポーツの基本です。

 うまくなるために、あるいは勝っためには、苦しい練習をしなければなりません。「練習は楽しくない」と思う人もいるかもしれませんが、スポーツはうまくなって勝つことが一番楽しいことですから、そのためには努カすることが必要です。それでも我慢できるのは、やはり何より自分が勝ちたいと思うからです。

 スポーツはうまくなって勝つことが一番だといいました。試合に勝つことがスポーツの第一の目的です。だから「勝つ」ために努力することに価値があります。もちろんルールにしたがわなければ、「勝つ」価値はありません。また「勝つ」ことと関係のないこともスポーツには不必要です。たとえば野球では、勝つために敬遠することがあります。これはルールで許されています。しかしプロ野球で自分のチームメイトに首位打者を取らせるために、相手チームのライバルを敬遠したりすることがしばしば行われます。これは「勝つ」こととは何の関係もありませんので、「ゲーム」に対する尊重を欠き、スポーツでは許されない行為です。

 また「勝とう」としないこと、あるいは「勝つ」ことをあきらめてしまうこともスポーツでは許されません。だから試合が終了していないのに、得点の差がついてしまい勝つ可能性が低くなったと思ってあきらめたりしてしまうのも、スポーツマンシップに反することになります。なぜなら、あきらめた相手に勝っても意味がないからです。相手も自分も「勝つ」喜びを得る可能性が平等にあること、それがフェアプレーです。「勝つ」可能性が平等でないと、「勝つ」意味がありません。皆さんは、次の三つのチームのどこに勝った時に一番うれしいでしょうか?

(1)自分たちより年下のチーム
(2)主力がケガでいないチーム
(3)同じ学年で、すごく強いチーム

 当然(3)ですよね。

 スポーツで一番重要なのは「勝つ」ことだと言いましたが、それは「勝つ」ことに意味があるという前提があるからです。相手が一生懸命戦ってくれなければ、「勝つ」ことの喜びは得られません。それは相手も同じです。自分が一生懸命にやらなければ、相手が勝って喜ぶこともできないのですから。

 スポーツで戦う相手は敵ではなくて、そのスポーツを一緒に楽しみ、自分たちが勝利の喜びを得る可能性を与えてくれるパートナーなんです。だから相手を理解し、評価し、大切に思うこと、つまり尊重することができるんですね。反対に一生懸命すぎて、ズルや反則をすることも、「勝つ」ことの意味をなくさせる行為なのです。ズルをして勝ってうれしいと思う人は、スポーツをする資格がありません。繰り返しますが、相手がルールを守って、一生懸命プレーしてくれて、審判が一生懸命ルールを守らせようとして、それで初めて「自分が一生懸命プレーする」ことに意味ができて、「勝つ」ことがうれしくなるのです。

負けたときの態度が最も重要

負けたときの態度が最も重要

「勝つ」ことがスポーツをする第一の目的だと言いました。でも「勝つ」ことだけにしか価値はないのでしょうか。誰でも常に勝ちつづけることはできません。また大会でチャンピオンになるのは一人か1チームしかありませんから、残りは全部負けた人になります。もし勝つことだけにしか意味がないとしたら、スポーツは今のように世界中で人気にはならなかったでしょう。ほとんどの人は負けるのですから。

 スポーツの第一の目的は「試合に勝つ」ことです。そのために逆に「負ける」ことは大変つらくて悔しいことになります。ほとんどの人が経験する悔しい「負け」が決まったとき、どういう態度を取るかということがものすごく重要になります。はっきり言うと、負けたときの態度がスポーツマンらしさを判断する最高の基準になります。

 このときに潔い態度を取れる人を英語で「Good Loser」と言います。「良い敗者」という意味です。勝ったときに喜ぶのは当たり前です。勝ったときは気持ちがいいので余裕があり、負けた相手を励ますのもそれはど難しいことではありません。負けたときに悔しがるのも当たり前です。しかし負けて悔しいときに、素直に(いさぎよく)負けを認め、相手を称えるような態度をとるのは大変難しいことです。そういう人は、本当のスポーツマンだと言われることになります。

 そういうことができるのは、よく自分をコントロールできる立派な人だけです。自分自身をコントロールできる人は、次の試合に備え、練習でどんどんうまくなり強くなることができます。そういう人になるためには、大変な努力が必要になります。そういう努力をして、「良い敗者」になれる人は、社会に出ても立派に振る舞うことができる人です。そういう人は周りから信頼され、友人も多くて、皆に尊敬されるカッコいい大人、つまりスポーツマンになることができるのです。

 では、スポーツマンになりたい人、手をあげてください。

 ではスポーツマンになるためには、どうしたらいいか。今までお話ししたことをおさらいしましょう。

 第一に、勝つためには、上手になること。そのためには努力すること。

 第二に、試合で尊重しなければならないことが三つあります。「ルール」と「審判」と「相手」です。試合ではルールを守るだけでなく、フェアプレーをすること。反則をしないこと。審判に文句を言わないこと。相手に汚いヤジを飛ばしたり、馬鹿にしたりしないこと。

 第三に、これが一番重要なことですが、負けたときの態度。ふてくされないで相手を称える。味方のミスを責めない。つまりゲームに参加した人すべての努力を称えること。そして負けた原因を反省して、そこを練習で直して次に備えること。ここで一番目に戻りました。

 これを繰り返すと、立派なスポーツマンになれます。皆さん、どうか頑張って素敵なスポーツマンになってください。そうすればもっとスポーツが楽しくなり、好きになります。

ジーコと加藤久さんの話

ジーコと加藤久さんの話

 最後に、今度日本代表の監督になったジーコの話をします。皆さんジーコは知っていますか?(注:当時の話題)

 1982年のワールドカップ・スペイン大会、ブラジル代表にはジーコと鹿島監督の卜ニーニョ・セレーゾ等の4人で中盤を組み立て、「黄金のカルテット」と呼ばれました。今でも史上最高の中盤と言われます。カルテットとは音楽の四重奏のことですが、まるで音楽を演奏しているようなリズム感のあるゲーム運びで、優勝候補ナンバー1でした。ところがイタリアに準々決勝で負けてしまいます。落胆しているはずのジーコが、試合後着替えて帰るイタリアチームのバスに乗り込んで、試合中自分をマークし殺し屋と言われていたジェンティーレという選手に言葉をかけました。

「君たちのプレーは素晴らしかった。イタリアの優勝を祈っている」。

 実は日本のサッカーにもそういう立派なことをした人がいました。1985年11月3日。日本代表が韓国のソウルでワールドカップの予選最終ゲームを戦いました。そのころ韓国はサッカーで日本に負けることは国民の恥だと考えていました。だから日韓戦はまるで戦争のような雰囲気でした。最終戦は韓国が1-0で勝ちました。敵地で負けた日本代表たちは大急ぎでロッカールームに帰りました。その中で一人だけキャプテンの加藤久さんは、勝った韓国チームが帰ってくるのを廊下で待っていました。それは相手のキャプテンと握手をするためだったのです。

 あの時の韓国の選手達は現役を引退した今でも加藤さんを友人として覚えています。ワールドカップが日韓の共同聞催に決まった直後、韓国の代表OBたちは久さんに「両国の友情のために僕たちがOB戦をしよう」と提案しました。それで鹿島スタジアムで初めて日韓のOB戦が行われました。スポーツマンどうしは一生の友達になれるのですね。

まとめ「Good Loser」

まとめ

スポーツマンとはどういう人のことを言うのか考えてみよう(特にGood Loserについて)

1|規則(ルール)にしたがう

2|相手を尊重する

3|勝つために最善の努力をする(勝つことよりも最善の努力をする過程が尊い)

4|良い試合をする……勝敗にこだわりすぎない(Good Game!)

5|負けたときの態度……相手を称え、うなだれ落胆することなく、次に備える

6|フォア・ザ・チーム……チームの良き一員として協調し助け合う

7|審判を尊重する

8|フェアプレー……ルール違反などの卑怯な方法で相手より優位に立とうとしない

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