AUSTRALIAN OPEN INDEX~これでオーストラリアン・オープンが100倍楽しくなる!!

すでに開幕しているオーストラリアン・オープン。大会をより楽しめるように44 個のインデックスを紹介します。ただし2015年バージョン。ちょっと古いですけど面白いですから、そこんとこよろしく!【2015年3月号掲載】

FILE.01
全豪オープン、あるいはその前身のオーストラリア選手権の男子シングルスで、もっとも勝ち進んだ日本人選手:佐藤次郎(1932年にベスト4に進出)

FILE.02
全豪オープン、あるいはその前身のオーストラリア選手権の女子シングルスで、もっとも勝ち進んだ日本人選手:伊達公子(1994年にベスト4に進出)(※2019年に大坂なおみが優勝で記録更新!)

FILE.03
錦織圭の全豪オープンにおける、ここまでの最高成績:2012年のベスト8 (※2015、16、19年もベスト8)

FILE.04
2014年の全豪オープン男子シングルスで、オーストラリアの19歳ニック・キリオスが第27シードのブノワ・ペールに敗れる前に、キリオスのホームページに起きたこと:12時間の間に25万以上のヒットを記録し、クラッシュした

FILE.05
スタン・ワウリンカが、36回のグランドスラム大会出場経験の果てに、2014年の全豪オープンで初めてタイトルを獲った後に言った言葉:「僕はいまだ、自分が夢を見ているのだと思っている」

FILE.06
ワウリンカが2014年の全豪オープン男子シングルスで優勝した際に泣いた歴史的偉人:ロッド・レーバー

FILE.07
ワウリンカが、2014年の全豪オープン男子シングルス決勝において6-3 6-2 3-6 6-3でラファエル・ナダルを破る以前に、彼がナダルに対して喫していた連敗数:12

FILE.08
ワウリンカが、2014年の全豪オープン男子シングルス準々決勝でノバク・ジョコビッチを倒す以前に、彼がジョコビッチに喫していた連敗数:14

FILE.09
2014年の全豪オープン男子シングルス準々決勝でワウリンカが前年度覇者のジョコビッチを2-6 6-4 6-2 3-6 9-7で破った番狂わせマッチの最中、5セット目5-5の時点で、ロジャー・フェデラーがツイッターに流した言葉:「これ以上に素晴らしい成り行きはない」

FILE.10
2014年の全豪オープン女子シングルスでベスト4をマークした19歳のユージェニー・ブシャールについて、彼のマネージャーであるサム・デュヴァルが言った言葉:「彼女はマリア・シャラポワより市場価値の高い存在になり得る」

FILE.11〜20 ナダルに向かって観客席の女性が掲げていたメッセージ

FILE.11
ナダルがグリゴール・ディミトロフを3-6 7-6 7-6 6-2で倒した2014年の全豪オープン男子シングルス準々決勝の試合の最中に、観客席の若い女性が掲げていたメッセージ:「ラファ、私と結婚してくれる? 父は賛成しているわ」

FILE.12
2014年の全豪オープン男子シングルスで4 回戦に進出し、皆を驚かせたラッキールーザーで、世界119位のステファン・ロベールが、トーナメント中、どうやってリラックスしていたか:メルボルンのクラウン・カジノでルーレットをプレーし、ドフトエフスキーを読むことによって

FILE.13
気温が42度に至り、選手たちが嘔吐し、ボールボーイが気絶し、9人の選手が試合を途中棄権した2014年全豪オープンの最初の火曜日に起きた、2013年の同ラウンドと比べた場合の観客動員数の減少ぶり:1万5000人減

FILE.14
2014年全豪オープンにおいて、最高43度と言う極暑にもかかわらず、医療責任者のティム・ウッドがプレー続行を命じた理由:「人類は、このような気候条件の下、アフリカの高原の上で8時間の間アンテロープ(カモシカに似たウシ科の動物)を追いながら、進化してきたのだ」

FILE.15
3人のカナダ人選手にシードがついた、史上初のグランドスラム大会:2014年全豪オープン(ミロシュ・ラオニッチ、バセク・ポスピショル、ユージェニー・ブシャール)

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2014年の全豪オープン女子シングルス優勝者、リー・ナが決勝に至る過程で倒した世界トップ20位以内の選手の数:0人

FILE.17
2014年の全豪オープン女子シングルス準優勝者、ドミニカ・チブルコワが決勝に至る過程で倒したトップ20位以内の選手の数:4人

FILE.18
独特のキャラクターを持つリー・ナが、2014 年の全豪オープン女子シングルス決勝でチブルコワを6-0 7-6で倒したあと、トロフィー授与式で感謝の念を表すために言った言葉:「マックス、私の代理人、私をお金持ちにしてくれてありがとう。そして、ヒッティングパートナーで、飲み物を作ってくれ、ラケットを運んでくれる、私の夫(ジャン・シャン)。彼はいい人よ。それに彼は、私を手にできて、ラッキーでもあるわ」

FILE.19
引退した偉大なダブルス・プレーヤー、トッド・ウッドブリッジの息子、ボーが、2013年の全豪オープン男子シングルス決勝の前に、オーストラリア国家を歌ったときの年齢:10歳

FILE.20
2013年全豪オープンの初めに、セキュリティ・ガードにプレーヤーパス(写真入りのプレーヤーの入場許可証/身分証明バッジ)を見せるように言われた際に、前年度覇者のビクトリア・アザレンカがしたこと:悪戯っぽく、歴代チャンピオンの写真が飾られた壁の上の、自分の写真を指で指し示した

FILE.21〜30 親切なフェレールが言った名言

FILE.21
アザレンカがリー・ナに対し、4-6 6-4 6-3で勝った2013年の全豪オープン女子シングルス決勝で、アザレンカがつかんだ12のブレークポイントのうち、ものにしたポイントの数:

FILE.22
アンディ・マレーに対する2013年の全豪オープン男子シングルス決勝でジョコビッチが決めたネットでのポイントの確率:85 (41回ネットに出て35回をポイントにした)

FILE.23
2013年の全豪オープン男子シングルスの準々決勝で、ニコラス・アルマグロが、同胞のスペイン人ダビッド・フェレールにフルセットの末敗れた試合の3セット目、アルマグロが行った非常に珍しいリクエスト:2セットダウンだったフェレールに、疑わしいライン・ジャッジに関してチャレンジを使ってよいかと尋ね、親切なフェレールは「ボールは本当にアウトだったからチャレンジを無駄にするな」と答えた

FILE.24
2013年の全豪オープン男子シングルスの2回戦でジャージー・ヤノビッチが、ライン・ジャッジに抗議するため怒鳴り、警告を生んだ暴言や不適切な行為、彼の新しいキャッチ・フレーズ「(ミスジャッジを)何回やれば気が済むんだ?」などなどを見せた精神的崩壊のシーンがYOUTUBEで視聴された回数:1億1000万回以上

FILE.25
元世界ランク1位のレイトン・ヒューイットが、2013年の全豪オープン男子シングルス1回戦で敗れた直後にしたこと:自分のプレーヤーパスをメディアパスと取り換え、オーストラリアのテレビの解説者として働いた

FILE.26
オープン化後の時代で全豪オープン本戦のシングルスの試合に勝った最年長女子選手:クルム伊達公子(2013年に第12シードのナディア・ペトロワを6-2 6-0で、シャハー・ピアーを6-2 7-5で下して3回戦に進出)

FILE.27
2013年の全豪オープン女子シングルスの試合での勝利のあと、リー・ナがコート上のインタビューで、30歳でこうもいいテニスをしていることについて尋ねてきたレネ・スタッブスに、言った答え:「実際のところ、私はあなたより若いんだけど」

FILE.28
2013年、全豪オープンのメインドローに入った最初の中国人男子プレーヤーとして歴史に名を刻んだことについて、プレッシャーを感じているか、と聞かれたディ・ウーの答え:「もう何度となくその質問をされた。僕はナーバスじゃない。でもこう何度も何度も聞かれると、今やかなりナーバスになった気がしてくる」

FILE.29
2006年全豪オープンの際に、友人でありイスラエルのスターでもある新進気鋭のシャハー・ピアーとダブルスを組まないことを決めたことについて、サニア・ミルザが挙げた理由:イスラム教徒の暴力的抗議が怖いから

FILE.30
1977年の全豪オープン女子シングルス決勝で実現した、名字が同じふたりの女性の対戦:イボンヌ・コーリー(旧姓グーラゴング)と、ヘレン・コーリー(旧姓グーレイ)

FILE.31〜44 1980年大会で優勝したブライアン・ティーチャーの身に起きたとんでもないこと

FILE.31
1980年全豪オープンにおける第18シードのブライアン・ティーチャーの男子シングルス優勝が、特に意外と思われ驚きを誘った理由:トーナメント開始直前にティーチャーは妻のキャシーから電話を受け、離婚手続きをすると宣告されていた

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マーガレット・オズボーン・ドゥ・ポンドが、ウインブルドン優勝を遂げた年だった1947年に、オーストラリア選手権に出場しなかった理由:彼女はこの年にウイリアム・ドゥ・ポンドと結婚したが、夫がトーナメントが彼の休暇期間とバッティングしているという理由から、もし彼女がオーストラリアに旅をするならば離婚すると脅したため

FILE.33
結婚の前と後の両方で全豪オープンの混合ダブルスに優勝した唯一のカップル:結婚前だった1930年と、結婚後の1936、37年に優勝したハリー&ネル・ホップマン(旧姓ホール)

FILE.34
全豪オープンの男子シングルスで4度にわたって優勝したアンドレ・アガシが2015年に、「いまだに我が人生最大の後悔のひとつ」と打ち明けたこと:1987年から1994年まで全豪オープンに出場しなかったこと

FILE.35
2010年の全豪オープン女子シングルスで準決勝進出を決め、ドローを見たときにセレーナ・ウイリアムスが言った言葉:「オーマイゴッド! 準決勝にロシア人がいないじゃない」

FILE.36
オーストラリアの『チャンネル7』が全豪オープンの生中継を提供している国の数:200ヵ国以上

FILE.37
全豪オープンのシングルス・タイトルを獲った(1908年)最初のアメリカ人、フレッド・アレクサンダーが、船によるオーストラリアへの長い旅の中で、最良の出来事だったと言ったこと:「カンガルーを見に、動物園に連れていってもらった」こと

FILE.38
2008年の全豪オープン女子シングルスで、アナ・イバノビッチがリターンのときに立てるキューキューというシューズの音(イバノビッチの準決勝の相手だったダニエラ・ハンチュコバが「いかさま」と呼んだ煩わしい音)に対し、マリア・シャラポワが立てた対策:決勝前の練習で自分の練習パートナー、マイケル・ジョイスに足でコートをこすることでキューキューいう音を真似てもらった

FILE.39
伝統的なクラシックの訓練を積んだソプラノ歌手、マリリン・ヴォンドラがニューヨークタイムズに送った手紙の中で主張した、2012年の全豪オープン女子シングルス決勝の際の、ビクトリア・アザレンカとマリア・シャラポワの喚き声の音高にぴったりマッチするピアノのキー:「アザレンカの叫び声はハイG、シャラポワの叫びはハイAフラット」で、ふたりともが「ソプラノ」

FILE.40
レオ・ギニーが、1937年から1951年の間に6度にわたって全豪オープンの女子シングルスで優勝したナンシー・ボルトンに対し、17歳から彼女が引退する35歳までの間に行ったテニス・レッスンの報酬として要求した金額:ゼロ

FILE.41
1992年の全豪オープン男子シングルスでの優勝を祝うため、ジム・クーリエと彼のコーチ、ブラッド・スティーンが飛び込んだ、ヤラ川の汚染レベル:許容され得る限界の18倍

FILE.42
2007年の全豪オープンで、ロジャー・フェデラーが「かなり面白い」と見なしたもの:「君ら記者たち」

FILE.43
2002年の全豪オープンで観客が買った、ハイネケン・ビールのボトルとソフト・ドリンクのボトルの比率:5:1

FILE.44
レイバンのサングラスの他はほとんど何も身に着けていないという、1999年全豪オープン・ダブルス王者のパトリック・ラフターのセクシーなポスターを手に入れるために、オーストラリアの過激なファンがやったこと:(ポスターを掲示している)国中の屋根付きバス停をぶち壊して、ポスターを盗んだ

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