シリーズ「家族の証言」は、そのタイトル通り、選手の家族に選手の小さい頃の話や思い出を存分に語ってもらって構成したもの。家族だからこそ知る、話せる、貴重なエピソードの数々は非常に興味深い。今回は添田豪選手について、母・真理子さんが語ってくれた。【2012年8月号掲載】

添田豪 ※プロフィールは当時のまま
そえだ・ごう◎1984年9月5日生まれ、神奈川県出身。4歳でテニスを始め、全小、全中、インターハイで優勝。2003年4月プロ転向。2008、2009年全日本選手権優勝。デ杯代表としても活躍中。現在(2012年6月11日付)世界ランク単54位。空旅ドットコム所属

「昔からまったく手のかからない子。
意志が強く、負けず嫌いでした」

昔から考え方が大人だった

 豪は3人兄弟の末っ子です。8歳と6歳、兄2人とは年が離れて生まれましたので育てるのが楽でした。3人目ですしね。主人は今度こそ女の子が欲しかったようで、占い師さんにも「次は女の子でしょう」と言われたのですが、私は自分が男っぽい性格なので次も男の子だろうなと思っていました。

 私は高校時代、テニスをしていたのですが、育児もあってしばらく休んでいたんです。久しぶりに始めようかなと、豪をベビーカーに乗せて母とテニスコートに連れて行き始めたのが、豪とテニスの出合いだったと思います。そのうち豪もボール遊びとか、壁打ちをやり始めたのですが、これがなかなか上手で。素質あるのかな? なんて思ったりして、SSC(荏原湘南スポーツセンター)に入れたのです。嫌だと言い出したらやめさせればいいかなと。

 ただ、小学校の頃はテニスよりもサッカーに夢中でした。兄2人もサッカーをやっていましたから、その影響も大きかった。FWで点を取ることが好きで、キャプテンもやっていました。それでもだんだんとテニスの時間が多くなっていって、小学6年生になる頃、サッカーをやめると言いました。テニスの方が面白いからと。自分で考え、自分で試合を組み立てる方が性に合っていたのだと思います。

 豪は少し喘息でした。小学生の頃は、まだ体力もありませんから、すぐに息がハア、ハアとあがって。鼻水が垂れてくると、すぐに病院に連れて行ったものです。高校までは喘息の予備薬を持たせていました。ほとんど使わなかったですけど、万が一のためですね。

 とにかく負けず嫌いで、負けることをあまり考えていないような子でした。遠征の準備をしているときも「決勝はこのシャツを着よう!」とか言うんです。私は決勝まで行けるのかな? と心配で。負けたら大変でした。小学1年生のとき、初めてのショートテニス大会で決勝に進んで、「ここまで来れば優勝も準優勝も同じくらい立派なことだよ」と声を掛けたら、「優勝しないと意味がない」と言って優勝したこともあります。

 小さい頃から手のかからない子で、親に迷惑をかけるということがありませんでした。ずっとそうです。そろそろ反抗期だろうと主人と話していたこともありましたが、それもなくて。それが逆に心配だと主人がよく言っていました。淡々と見えますが、意志が強く、考え方が大人っぽい子でした。

小学4年生、PKを蹴る瞬間(写真◎私物)

「僕はもうプロだから!」

 プロになるときも特に相談されませんでした。大学からの誘いも自分で断り、もう決めていたようです。三男坊ですし、私もお好きなようにという気持ちでした。反対したところで聞かないでしょうし、自分の人生ですから。

 今までで一番うれしかった勝利は全日本選手権の優勝です(2008年)。いつかは獲らなければいけないタイトルでしたから、うれしいというよりはホッとしました。負けて泣いたことは何度もありましたが、豪が勝って泣いた姿を初めて見ました。それだけ重かったのだと思います。私はもう(全日本には)出場しなくてもいいかなと思って、豪にもそう言っていましたけど「これは獲っておかないといけないタイトルなんだから」と。逃げなかったですね。翌年も優勝して2連覇したんですが、もう優勝していましたから、そのときは別に負けてもいいかなと思って見ていて楽でした(笑)。

 一度だけ、豪にものすごく怒られたことがあります。ある試合でサービスの調子がとても悪かったことがありました。ちょっとトスが低いね、トスの上げ方が悪いね、とメールを送ったんですが、返信がなくて。それで翌日、勝てる試合だったと思うんですけど、ちょっと荒れて負けてしまいました。コートから出て私の横を通り過ぎるときに「僕はもうプロなんだから、余計なメールはしなくていい!」と吐き捨てていきました。あんなに怒った姿を見るのは初めてで、私もどうしていいかわからなかったですね。

 できるだけ長く現役を続けて戦ってほしい。トップ100をキープして34~35歳までいけたらなと思っています。トップ100にいれば常にグランドスラム大会に出られますから。引退後はどうやって生活していくのか少し心配。でもそれは豪の方が考えていることだと思いますから。

 お寿司やお刺身が大好物。小さい頃は食が細かったんですが、それだけは熱があっても食べていました。野菜はあまり食べませんでしたね。今でも長い遠征から帰ってきたときには、成田(空港)から「お寿司を用意しておいて」と連絡してきます。帰国したときは兄の子供たちと会うのが楽しみなようです。少しの時間でも会いたがります。癒しになっているのでしょうね。子供好きですから。

27歳にして自己最高54位をマーク。プロ10年目に入り、さらなる高みを目指す(写真◎井出秀人)

※トップ写真はGetty Images(2020年1月撮影)

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