ノバク・ジョコビッチの復調を阻む6つの要因

右肘の痛みからようやく解放されたが、いまだにトップフォームからほど遠い状態のジョコビッチ。2016年に見せた無敵の姿はもう見られないのか? その姿を追い続けるセルビア人記者が復調できない6つの要因を挙げる。【2018年7月号掲載】

文◎ネボイシャ・ビスコビッチ 翻訳◎池田 晋 写真◎Getty Images

Nebojsa Viskovic/スポーツジャーリスト歴25年を誇り、主にテニスを専門にしてやってきた。グランドスラムやATPファイナルズ、マスターズとビッグトーナメントは欠かさずにカバー。テニスのほかにもサッカーやオリンピックなども現地取材

元世界最高の選手がキャリア最大の困難に直面

 セルビアにはとてつもなく意地悪な呪いの言葉がある。直訳すると、「君がすべてを手にすることを願うよ。そしてすべてを失うんだ」

 最初に聞いたとき、そこまで悪い意味ではないと思うかもしれないが、よく考えると――とんでもない意味になる! 私たちは、個々で違いはあれど、誰もがそれを人生で経験しているはずだ。自分がもっているものを失うほど、最悪なことはない。

 ノバク・ジョコビッチは今回、この呪いの言葉の主人公になる。誰が言い始めたのか、何か邪悪な力が働いているのか、誰にもわからない。現実に起こっていることは、少し前に世界最高のテニス選手だった男が、キャリアの中でもっとも困難な時期を迎えているということ。2016年にフレンチ・オープンを制した絶頂期には、彼の限界は空の高さだけだと思われた。しかし、下降が始まった。そして今も続いている。

 “ノバクはすべてを手にしていたが、今はほとんど何も残っていない”

 もちろん、ノバクの物語は何もユニークなことはない。ほとんどの有名な物語は、主人公が目標を達成したときに終わる。有名になる過程におけるすべての努力は、その人物が有名になる前に報われるものだ。本当か? もしかしたら、名声を手にするのはそれほど難しくないのかもしれない。本当に難しいのはある一定の成功を収め、そのレベルを長く維持することだ。急に登場したライジングスターにとってもっとも大きなチャレンジは、落ちることなくトップの座に居続けることなのかもしれない。

 ノバクは、落ちぶれることを阻止するのに必要なものをすべてもっていたのに失敗した。一体、なぜなのか? その理由として考えられることを順に紹介していく。

要因1右肘のケガ

オーストラリアン・オープンのチョン・ヒョン戦の途中に右肘の治療を受ける

 ノバクの崩壊は、16年のフレンチ・オープンを制して、生涯グランドスラムを達成したときに始まった。続くウインブルドンで3回戦敗退、リオ五輪で1回戦負け、USオープンでは決勝に進みながらタイトルを逃し、ツアーファイナルも決勝でアンディ・マレー(イギリス)に敗れ、年間1位の座を逃した。

 2017年に入っても調子は戻らなかった。ショッキングな負けの連続はウインブルドンで最悪の事態に発展した。準々決勝のトマーシュ・ベルディヒ(チェコ)戦で第2セットの第2ゲームを終えた時点で棄権した。試合後の記者会見では、長期に渡り苦しめられてきたケガだと明かした。どのように解決するのか問われると「休息が必要だ。手術で治るとは思わない!」。

 私はこの会見を目の前で取材していたのだが、自分の耳を疑った。私は彼を尊敬しているし、愛情もある。だが、21世紀に入って、プロ選手が手術を信じないのは、ショックだった。どちらにせよ、それから2018年の開幕まで、彼は欠場した。

 2018年のオーストラリアン・オープンで復帰するも、4回戦でチョン・ヒョン(韓国)に敗れた。右肘に痛みを抱えながら、前年同様の早期敗退が続いた。ようやく問題を解決するには手術しかないことに気づき、決断した。術後、もうノバクは痛みを感じていないという。しかし、遅すぎたかもしれない。キャリアの中の8ヵ月を無駄にしてしまった……。

要因2食習慣の変化で痩せすぎている

マドリッド・オープンのエドマンド戦。数年前に比べると明らかに痩せすぎだ

 多くの変化の中で、もっとも大きかったのは栄養摂取だろう。ジョコビッチは自身の食事から肉を排除した。実質、ベジタリアンになったのだ。トップアスリートでベジタリアン? 聞いたことがあるか?

 スイスの有名な栄養学者によると、ジョコビッチは摂食障害を患っているのではないかという。健康でいたいという気持ちが強すぎて起こる種類の障害で、実際に体に必要なすべての栄養素が取り入れられていないのだ。自分が有害だと判断して拒否したものの中には、有益な栄養素も含まれており、それらをほかの食品で補ってもいない。このような行動で強迫観念にとらわれ、心理社会的障害に発展してしまうこともある。

 話が大きくなりすぎたから、この辺でやめておこう。ノバクの振る舞いは何もおかしいわけではない。ただ、体に明らかな変化が見られるのは事実だ。一言で言うと、痩せすぎなのだ。ボディビルの世界大会に出場するジョコビッチを見たいと思う人は誰もいない。しかし、スポーツ界でトップを争うために必要な体はつくらなければならない。インディアンウェルズとマイアミを戦う彼の姿は、見るに耐えがたいものだった。たった数ゲームをプレーしただけで、息を切らしていたのだ。ノバクは、まずベースとなる健康な体を取り戻さなければならない。そこから、ほかの要素も復活できるはずだから。

 ここに書いたことをノバク本人に聞いても、彼は「そのことについていろんな噂が飛び交っているけど、私は気に留めていない」と答えるだろう。

 この物語には逆説もある。ノバクは飲食店を営む両親の下で生まれ、その中で“食”はいつでも大事な役割を果たしてきた。ノバク自身も2つのレストランを経営している。ひとつはモンテカルロにあるEqvita(エクビタ)で、健康な食事のみが提供される。ベオグラードにあるもう一方には2種類のメニューがある。ベジタリアン食か、ステーキやチキンのグリルから選べる。ノバクはグリルのほうを食べたことがないのではないだろうか?

要因3頻繁すぎるコーチの交代

オーストラリアン・オープンでスタンドからジョコビッチの姿を見つめるステパネク(右)とアガシ

 テニスは個人競技だが、コートの下を探ってみれば、実際はチームのスポーツであることがわかるだろう。選手の周りには、コーチ、フィジオセラピスト、代理人など大勢の人がいる。全員がチームの一員となり、大きな成功には彼らの存在が欠かせない。ノバクは、完璧なチームを構築した。マリアン・バイダ、ゲブハード・フィル–グリシュ、ミルヤン・アマノビッチ、近年はボリス・ベッカー。彼らは皆、完璧に近い仕事をした。彼らのうちひとりでもスタンドに欠けると、チームは完全ではなくなってしまった。

 それゆえ、ノバクがチーム全体を解体したのは、まったく予想できないことだった。彼はその動きを“ショック療法”と表現し、ふたたび軌道に乗る方法を探った。しかし、ファンは否定的に見ていた。「あれほど信頼できる人たちがふたたび集まるわけがない」。人々の予想は的中した。

 それでも、ノバクがアンドレ・アガシを新コーチに迎えたとき、多くのポジティブな意見も出た。「これほどのビッグネームなら間違いない! ノバクの助けになるに違いない」と人々は考えた。そこにラデク・ステパネクが加わり、勝利のコンビネーションが出来上がったと期待された。しかし、「人生に絶対は“死”以外にはあり得ない」というセルビアの諺どおりになってしまう。

 彼らとの関係は短期のうちに終了してしまった。その理由は公に発表されることはなかった。ニュースに出てくる第三者の言葉を見たところで、誰の決断だったのかはわかりえない。“相互の同意による”という言葉も出てきたが、それはほとんどすべての選手とコーチが別れるときに使う言葉だ。いっしょに仕事ができたのは特別なことだったと、チーム全体が強調した。

 しかし、この話全体を大きな影が覆っている。言葉の裏側を読み取れば、問題は明らかだ。誰もが言うのは、ノバクがコーチの指示をコートで表現することができなかったのだ。まだトップレベルに戻るには、体の状態が万全ではなかった。F1カーを時速50㎞で走らせているようなものだ。力をフルに使えないとどうなるか? その状態で、どこにチャレンジがあり、どこに喜びがあるのか?

要因4妻エレナと不仲との噂

2016年にエレナと2人でミラノのイベントに出席

 ノバクの転落が始まったとき、プライベートに問題があるのでは? と多くの噂が飛び交った。「検証」「部内者」といった情報が人々の想像力をかき立てた。しかし、それ自体は大きな問題ではなかった。悪いのは、それらを書く週刊誌やメディアの伝え方だった。

 彼はマスコミを避けたため、自分自身にすべてのことが降りかかった。もちろん、その影響はよくなかった。スクープを見つけようとメディアは躍起になり、彼に大きなダメージが与えられることなど気にしなかった。これらの噂のうち、裏が取れているのはどのくらいか? ノバクの家族や友人など親しい人にしか答えはわからない。

 一番大きく取り上げられているのは妻エレナとの関係だ。当然だ。誰もが覗き見したい部分だから。2人がいっしょにいる姿は、色眼鏡で見られ、家族関係の悪化のヒントになるどんな些細なことも、マスコミにとっては格好のネタになる。ソーシャル・ネットワークにノバクやエレナが投稿する2人の仲睦まじい姿は、すべてがうまくいっていると見せかけるためのものだと思われてしまうのだ。

 夫婦間での意見の相違は日常茶飯事だ。しかし、ノバクとエレナというビッグカップルになると、どんな些細な口論も“離婚”という言葉につなげられてしまう。そんな状態がもう2年間も続いている。それでも彼らはまだいっしょにいて、新たに赤ちゃんも生まれた。さあ、あとは自分で答えを出してくれ。

 最後にまとめよう。どんなに精神的に強い人間でも、何年もかけて築き上げてきたものを危険に晒すような噂が続くと、耐えがたいものだ。その中にいくつ真実があろうとも、変わらない。

要因5テニスに合わないペペの哲学

セルビア国民の間ではベテン師と呼ばれ嫌われているペペ

 ビル・クリントンとぺぺ・イマズ。セルビアではどちらも人々の敵とみなされている。アメリカの元大統領はユーゴスラビアへの空爆を声高に主張した人物で、スペインのペテン師は、ノバクの脳に入り込み、大きなダメージを残した。スポーツについて語るとき、すべてのセルビア人が同じことを言うはずだ。

 ぺぺは悪い人物ではない。彼の哲学は“ラブ&ピース”の言葉に集約され、彼の精神論を表している。それはそれでいいだろう。だが、スポーツではダメだ! 真の勝者は木を抱きしめる(ぺぺの教えのひとつ)からトップに立てるのではなく、対戦相手への敬意と勝利への飽くなき欲求を完璧なバランスで備えているからだ。ノバクは今その中間で燻っているところだ。

 彼は相手を嫌うけど、同じくらい愛している。そんなことが可能か? ノバクは両方のバランスをとろうとしているが、この状態では簡単にどちらかに傾いてしまう危険性がある。バイダとグリッチは戻ってきたが、まだぺぺがいる。同じ皿に砂糖と塩を乗せるようなものだ。そんなものは食べられない。比喩的かつ皮肉を込めて言えば、ノバクは最高のご馳走になる。必要なのは、正しい材料を選ぶことだけだ。

要因6復活を願う国民の大きな期待

セルビア国旗を掲げ、声援を送るファン。国民的ひーろーん復活を国民は待っている

 ノバク・ジョコビッチは誇り高きセルビア人。彼をもっとも傷つけるのは、母国からの批判だ。しかし、悪意のある批判と、彼にふたたびトップに返り咲いてほしいと願う人々からの厳しい激励は分けて考えなければならない。

 “ノバクに何が起きているのか?”という問いは、人々にとって“給料日は何日?”という質問よりも頻繁かつ重大な質問になっている。彼が獲得した数々のトロフィーは、人々のポケットを満杯にしていないが、同じくらい重要なものを満たした。それは人々の魂と心だ。彼の数々の勝利はセルビア人に、この数年のすべての敗北の慰めとなっている。

 彼らはノバクに勝ってほしくないが、相手を引き裂いてほしいと思っている。支配だけが認識される。今や、これらがすべて消えたために、彼の復活が何より大事なテーマになっている。またそれはノバクにとって大きな負担になっている。

 しかし人々は身勝手なものだ。彼らはいつも、自分の内側の欲求を満たそうとしている。

 こうしよう。ノバクは自分が幸せを探していると言った。それを質問して、彼が人生でどんな問題に直面しているのかを聞く代わりに、彼の姿勢に敬意を表せばいいじゃないか。彼は私たちの所有物ではない。彼には彼自身の人生と権利がある。コート上では、彼は十分すぎるほど多くの勝利をものにしてきた。たとえ、今後のキャリアでひとつもタイトルが獲れなくても、十分な数だ。

 彼はセルビアのどのスポーツ選手よりも多くの希望で人々を満たしてきた。今度は我々の番だ。彼がそうであったように釈然とした態度でいよう。そして彼が自分で進む方向を、それがどんなものであろうと、見つける姿を見守ろう。

データ・成績から見る3年間の転落

2016年、フレンチ・オプンで初優勝を果たし、長年の夢であった生涯グランドスラムを達成した

2017年、ウインブルドンのベルディヒ戦を右肘痛のため途中棄権。17年は残りのシーズンを棒に振った

2018年、オーストラリン・オープンで右肘のケガから復活も、苦戦が続いた

 5月までにツアー優勝5回を記録してフレンチ・オープンを制し、絶頂を極めた2016年、徐々に調子を落とした17年、復活を目指す18年。この3年間についてのシーズン序盤の、オーストラリン・オープンから主な5大会の成績を比較した。これを見れば、いかに成績が下降しているかがわかるだろう。

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