グランドスラム大会シングルス4度優勝のアシュリー・クーパーが83歳で死去

グランドスラムのシングルスで1958年オーストラリアン・オープン、ウインブルドン、USオープンを含む4つのタイトルを獲得したアシュリー・クーパー(オーストラリア)が他界した。83歳だった。

 テニス・オーストラリア(オーストラリアテニス協会)は金曜日、世界トッププレーヤーとして活躍したあと協会の理事を長期間に渡って務めたクーパー氏が、長い闘病生活の末に亡くなったと明かした。

 現役時代のクーパー氏はオーストラリアのデビスカップ代表チームをアメリカに対する勝利に導き、1957年にタイトルを防衛した。しかし次の年にアメリカに敗れて逆の結果になると彼は自責の念にかられ、国に大きな恩義があると感じたためにプロ契約を辞退することすら考えたのだという。

 1959年に背中の故障のためにプロとしてのキャリアを終えたあと、クーパー氏はブリスベンに戻ってビジネスの世界に進み、選手の育成に尽力した。彼はクイーンズランド州のメインとなるテニスセンターを、オーストラリアン・オープンと3つのデビスカップ決勝の会場だったミルトンからテニーソンに移した。テニーソンのクイーンズランド・テニスセンターはパット・ラフター・アリーナを擁し、毎年恒例のブリスベン国際の会場となっている場所だ。

「アシュリーは素晴らしいプレーヤーであり、同時に有能なリーダーでもあるテニスの偉人だった。彼がいなくなってしまい、本当に残念だ」とテニス・オーストラリアの最高経営責任者(CEO)を務めるクレイグ・タイリー氏はコメントした。「アシュリーはチャンピオンの中でもっとも謙虚で、非常に家族思いの人物でもあった」。

 同国の偉人であるロッド・レーバー(オーストラリア)は、ソーシャルメディアにクーパーへのオマージュを投稿した。

「彼はコート内外で、素晴らしいチャンピオンだった。それに、何と素晴らしいバックハンドだったことだろう。多くの大切な思い出がある」とレーバーは敬意を込めて言葉を送った。「さらば、友よ」。

 クーパー氏は50年代から70年代にテニス界を支配したケン・ローズウォール(オーストラリア)、フランク・セッジマン(オーストラリア)、ルー・ホード(オーストラリア)らを含むグループの一員だったとレーバーは語った。

 右利きでサーブ&ボレーのプレースタイルを信条としたクーパー氏は、アマチュア時代にグランドスラムでシングルス4勝とダブルス4勝を挙げた。1958年にグランドスラム大会で彼が落とした唯一の試合(シングルス)は、フランス選手権(プロ化する前のフレンチ・オープン)準決勝のみだった。(C)AP(テニスマガジン)

※写真は1958年ウインブルドン優勝時のアシュリー・クーパー(オーストラリア)(Getty Images)

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