思い出深きフレンチ・オープンの試合『2002年セレナ対ビーナス』【AP Was Thereシリーズ②】

スポーツの大会はさまざまな理由で、人々にとって忘れがたいものになる。番狂わせ、歴史的重要性、劇的な瞬間、大逆転劇など…ときにいくつかの理由が重なることもある。

 新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックによりフレンチ・オープンが9月に延期された今、AP通信はパリで伝説的な試合がプレーされたときに報道されたいくつかのストーリーをふたたび紹介していく。

 この「AP Was There」シリーズは、過去40年からのロラン・ギャロスの試合で際立ったものをピックアップしている。

姉妹のグランドスラム

 2002年女子シングルス決勝で、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)はビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)を7-5 6-3で破った。セレナはこの大会にグランドスラム大会優勝歴1度の選手として臨んでいたが、今や彼女は23度の優勝回数を誇る。これは姉妹でグランドスラムのタイトルを争う“シスタースラム”の始まりであり、このあと4度連続で起きた家族対決となったグランドスラム決勝でセレナは姉のビーナスを倒した。上記のパリでの決勝の2日後、ビーナスは世界1位、セレナは2位となった。同じ家族内のふたりが世界ランキング1位と2位を占めるというのは、テニスの歴史を通して1度しか起きていない。

 歴史的重要性を持つそのほかの思い出深き瞬間は、ヤニック・ノア(フランス)がマッツ・ビランデル(スウェーデン)を6-2 7-5 7-6(3)で倒した1983年男子シングルス決勝だった。ノアはこの瞬間、母国のグランドスラム大会で優勝した1946年以来のフランス人男子選手となったのである。

 1999年男子シングルス決勝でアンドレ・アガシ(アメリカ)はアンドレイ・メドべデフ(ウクライナ)を1-6 2-6 6-4 6-3 6-4で破り、フレンチ・オープン初優勝を遂げた。こうしてパリで生涯グランドスラムを達成したことにより、アガシのキャリアはその価値を変えた。

 パリで生涯グランドスラムを達成した選手には、アガシ以外にもロジャー・フェデラー(スイス/2009年)、マリア・シャラポワ(ロシア/2012年)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア/2016年)がいる。(APライター◎ハワード・フェンドリック/構成◎テニスマガジン)

※写真は2002年のフレンチ・オープン女子シングルス表彰式でのセレナ・ウイリアムズ(アメリカ/左)とビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)(Getty Images)

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