スポーツの大会はさまざまな理由で、人々にとって忘れがたいものになる。番狂わせ、歴史的重要性、劇的な瞬間、大逆転劇など…ときにいくつかの理由が重なることもある。

 新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックによりフレンチ・オープンが9月に延期された今、AP通信はパリで伝説的な試合がプレーされたときに報道されたいくつかのストーリーをふたたび紹介していく。

 この「AP Was There」シリーズは、過去40年からのロラン・ギャロスの試合で際立ったものをピックアップしている。

ケイレン

 1989年男子シングルス4回戦、マイケル・チャン(アメリカ)はイワン・レンドル(当時チェコスロバキア)を4-6 4-6 6-3 6-3 6-3で破った。これはテニス史上に跡を残す番狂わせとして、特筆する価値がある試合だろう。このとき17歳だったチャンは深刻なケイレンに苦しみながらも、当時世界ナンバーワンとして君臨していたトップシードのレンドルから金星を挙げたのである。チャンは苦肉の策でアンダーサーブを打ち、そのポイントを取った。そして彼はマッチポイントのリターンで、サービスラインのすぐ近くで構えるという果敢さを見せた。レンドルがダブルフォールトを犯して試合に終止符が打たれ、そのあとも勝ち進んだチャンは同種目におけるグランドスラム大会で最年少のチャンピオンになったのである。

 もうひとつの思い出に残るカムバックは、1984年男子シングルス決勝でレンドルがジョン・マッケンロー(アメリカ)を3-6 2-6 6-4 7-5 7-5で倒した試合だ。この試合は当時「無冠の帝王」と呼ばれていたレンドルにとって、重大なターニングポイントとなった。この試合に先立ち、レンドルはグランドスラム決勝で0勝4敗だったが、彼は最終的に8つのグランドスラム優勝杯とともに引退したのである。

 1993年女子シングルス準々決勝で、メアリー ジョー・フェルナンデス(アメリカ)はガブリエラ・サバティーニ(アルゼンチン)に1-6 7-6(4) 10-8で競り勝った。フェルナンデスは一時1-6 1-5の劣勢に立たされていたが、5つのマッチポイントを凌いで大逆転に成功した。(APライター◎ハワード・フェンドリック/構成◎テニスマガジン)

※写真は1989年のフレンチ・オープンでのマイケル・チャン(アメリカ/左)とイワン・レンドル(当時チェコスロバキア)(Getty Images)


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