グランドスラマーとは? それぞれの“偉大なる記録”

2019年オーストラリアン・オープンの表彰式で、ロッド・レーバー(左)から優勝トロフィーを受け取るノバク・ジョコビッチ


 テニスのグランドスラムといえば、全豪(オーストラリアン・オープン)、全仏(フレンチ・オープン)、ウインブルドン、そして全米(USオープン)という4大大会を制することを指し、達成者をグランドスラマーと呼んでいる。かつては一年間に4大大会を制する者をグランドスラマーと呼んでいたが、あるとき、1984年4月を境に国際テニス連盟(ITF)が2年にまたがっても連続して勝てば、その選手をグランドスラマーとして認定すると発表したのだ。そんな歴史を振り返りつつ、2021年、その大記録がかかっているノバク・ジョコビッチ(セルビア)の戦いに目を向けてみよう。歴史が大きく動くかもしれないのだ。(1988年9月5日号掲載記事)

文◎小山敏昭 写真◎BBM

グランドスラム・ヒストリー〜テニスプレーヤーの夢、それぞれの“偉大なる記録”

マルチナの記録の特異性

 1984年4月、国際テニス連盟(ITF)理事会は、それまでのテニス界の“常識”を破るような、画期的な見解を発表した。
 
 それは、『これから、グランドスラムの4大イベントを、たとえ2年にまたがっても連続して勝てば、その選手をグランドスラマーとして認定する』というものだった。

 この発表は、昔のテニスを知る人たちの猛反発を受け、かつてのグランドスラマーたちを怒らせた。

『グランドスラマーは、一年間のうちに4大大会を制してこそ、価値があるもの。2年に渡っていてもいいというのはおかしい』

 しかし、ITFはこれらの反対を押し切って、強引に世間に公表してしまった。もっとも、それにはやむにやまれぬ事情があった。

 実はこの年、女サイボーグの異名を持つあのマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)が、6月に始まる全仏オープンを制覇すれば、2年にまたがって4大大会を、連続して勝つチャンスが巡ってきたからである。

 当時、といっても今からたった4年前のことだが、ITFは『ナブラチロワにグランドスラマーになってもらわなくては、もう今世紀にグランドスラムを達成できる選手は現れないだろう』と考え、そrを固く信じきっていた。『なんとかしてナブラチロワを全仏で勝たせたい』『なにがなんでも、ナブラチロワをグランドスラマーにしたい』と考えたITFは、こうした温情のこもった見解を発表したばかりか、なんと、グランドスラム達成者には、100万ドルの特別ボーナスを支払うという、大サービスまで付け加えてしまった。

 これだけまわりがサービスしてくれれば、ナブラチロワが奮起するのは当たり前で、ITFの期待に見事に応えて全仏を制し、女子では史上3人目、男子を入れると5人目のグランドスラム達成者となった。もちろん、100万ドルもしっかりと手中にしたナブラチロワは、84年には獲得賞金額が史上最多の200万ドルを超えた。

『自分たちの時代にグランドスラマーが誕生した』と、ITFの役員たちも大満足だったという。


1983〜84年 Martina Navratilova
83年のウインブルドンから84年の全仏(写真)にかけて、2年ごしのグランドスラムを達成したナブラチロワ

 ところが、このITFの役員たちは、とてつもない新人の登場に目を白黒させ、改めて自分たちが“常識”を破ってしまったことを、後悔せざるを得なくなってしまった。その新人こそ、シュテフィ・グラフ(西ドイツ)だったのである。

 神様が贈ってくれたテニスの申し子、と言ったらピッタリの、まだ少女のあどけなさの残るグラフが、今年、全豪を制したのに続いて全仏、ウインブルドンに勝ち、これで今月の全米オープンをとれば、本当のグランドスラムを達成することになったのである。ナブラチロワの2年にまたがったのと違って、正真正銘の年間グランドスラムである。

“スーパースター”のビヨン・ボルグ(スウェーデン)や“悪童・天才児”ジョン・マッケンロー(アメリカ)ですら成しえなかったテニス選手の最高の夢を、19歳の少女が実現しようとしているのだ。


1988年 Steffi Graf
シュテフィ・グラフがグランドスラムの歴史を変えていく……(写真は1988年全豪、全仏と優勝して臨んだウインブルドン)

輝けるグランドスラマーたち

 これまでに、シングルスのグランドスラマーになったプレーヤーは、ナブラチロワのほか、わずかに4人しかいない。男子では、年間のグランドスラムを一番最初に達成したドン・バッジ(アメリカ)。そして1962年と69年の2回もグランドスラマーになったロッド・レーバー(オーストラリア)のふたりが、輝かしい記録を保持している。


1938年 Donald Budge
史上初の年間グランドスラム(一年間に4大大会すべてで優勝すること)を達成したドン・バッジ(写真は1937年のもの) 


1962、69年 Rod Laver
リストワークを使った強力なグラウンドストロークで一時代を築いたレーバー。1962年、69年(写真)と2度グランドスラムを達成しているのは、(2021年現在も)レーバーただひとり

 今の若い人たちは、バッジもレーバーも知らないだろうが、バッジは、グランドスラムを成し遂げる前の年にも、ウインブルドンと全米オープンをとり、ビッグイベントを6つも連続して優勝した強豪である。

 レーバーも62年のときは、ロイ・エマーソンやニール・フレーザーらと、第1期のオーストラリアの黄金世代をつくり、また69年のときはジョン・ニューカム、ケン・ローズウォールらと、第2期の黄金世代を築いた名プレーヤーだ。このレーバーが2度もグランドスラマーになったのとは対照的だったのは、なんと言ってもローズウォールだろう。

 日本にもすっかりおなじみの選手だが、彼は全豪を4度、全仏を2度、全米を1度勝ちながら、ウインブルドンの壁にさえぎられ、決勝で4度も敗れ去って、ついにグランドスラマーの名誉を手中にすることができなかった、悲劇のプレーヤーであった。

 女子のグランドスラマーは。ナブラチロワを除けばふたりいる。“リトル・モー”の愛称で呼ばれたモーリン・コノリー(アメリカ)とオーストラリアが世界に誇る“名花”マーガレット・っ子ーとがその人。コノリーは1953年に年間グランドスラムを達成し、コートは1970年に偉業を成し遂げている。


1953年 Maureen Connolly
正確で破壊力のあるストロークで“リトル・モー”と呼ばれたモーリン・コノリー。しかし、グランドスラム達成の翌年、不慮の事故によってテニス生命を絶たれてしまった


1970年 Margaret Smith Court
1970年にグランドスラムを達成したマーガレット・コート。ウインブルドンのビリージーン・キング(アメリカ)との決勝(写真)は、14-12 11-9という死闘だった

 コートは、この勲章を人一倍大切にしており、誇りにしている。だからこそ、ナブラチロワが2年間にまたがってグランドスラムを達成したとき、強硬に異議をとなえたのも、頷ける。

 ところで話は少しずれるが、グランドスラムという称号は、ゴルフにもあるのを知っているだろうか。ゴルフでもテニスと同じように4大大会があり、これをすべて制覇したプレーヤーをグランドスラマーと称している。ゴルフの場合の4大大会はマスターズ、全米オープン、全英オープン、そして全米プロを指す。

 しかしテニスと違うことは、この4大大会を1シーズンすべて制覇した選手がひとりもいないことである。1930年に“球聖”と言われたボビー・ジョーンズ(アメリカ)が、現在のようなプロのトーナメントになる前に、全米アマと全英アマの両オープンを勝ち、また全米と全英の両オープンも優勝して、年間4冠になったことはある。

 だが、ベン・ホーガン、ジーン・サラゼンをはじめ、新旧の名ゴルファーたちの中には、誰ひとりとして1シーズンで勝っている者はいない。そこで仕方なく4大大会を、年度を変えても勝てばグランドスラマーと呼ぶことにした。そのおかげで、サラゼンやジャック・二クラウス(アメリカ)ら4人が、この称号を持っている。

無限大の可能性を秘めたグラフ

 話を元に戻して、テニスのグランドスラマーのことを続けよう。これまでは、シングルスのことを紹介してきたが、グランドスラマーにはダブルスの選手もいるし、ジュニアの選手もいる。特にジュニアでは、今や人気ナンバーワンのステファン・エドバーグ(スウェーデン)が史上初のジュニアのグランドスラマーになっている。

 もっとも、このエドバーグが本当に初のグランドスラマーかどうかも、一時はITF内で議論になったものである。というのも、1958年にアメリカ人のアール・ブッチホルツが全豪、全仏、ウインブルドン、全米のタイトルを独占した。ところが、全豪、全仏、ウインブルドンは一般の大会と並行して開催されたが、全米だけは全米オープンとは別々に行われ、参加選手はアメリカ勢ばかりだったのである。

 このため、ブッチホルツの記録は、本当のグランドスラム達成とはいえず、1983年にエドバーグが4大会を制したのが、最初にみられるようになった。このときエドバーグはまだ17歳。その後、85、87年位全豪のタイトルを手にし。今年はついにウインブルドンの栄冠をものにした。男子のテニス界で、これからグランドスラムを達成できる可能性を持つプレーヤーといえば、これはもう、なんといってもエドバーグが筆頭といえるだろう。

 そしてまた、グラフに話を戻せば、彼女こそが、これからのテニス界の先頭に立って引っ張っていく選手になっていくだろう。今回もし、グラフがグランドスラムを達成したなら(間違いなくグランドスラマーになるものと確信している)、その勢いは衰えることなく、レーバーの記録を抜いて3度も4度もグランドスラマーの栄誉を、獲得するに違いない。

 そしてグラフは、これまでのテニスの歴史を、大幅に書き換えてしまうだろう。



1988年 Steffi Graf
シュテフィ・グラフがグランドスラムの歴史を変えていく……

1938年 Donald Budge
1962年、ふたり目のグランドスラム達成者となったロッド・レーバー(左)を祝福するドナルド・バッジ。バッジ自身のグランドスラムから、4分の1世紀後のことである。 

1953年 Maureen Connolly
正確で破壊力のあるストロークで“リトル・モー”と呼ばれたモーリン・コノリー。しかし、グランドスラム達成の翌年、不慮の事故によってテニス生命を絶たれてしまった。

1962、69年 Rod Laver
リストワークを使った強力なグラウンドストロークで一時代を築いたレーバー。62年、69年と2度グランドスラムを達成しているのは、レーバーただひとりである(2021年現在も)。

1970年 Margaret Smith Court
1970年にグランドスラムを達成したマーガレット・コート。ウインブルドンのビリージーン・キング(アメリカ)との決勝は、14-12 11-9という死闘だった。

1983〜84年 Martina Navratilova
83年のウインブルドンから84年の全仏にかけて、2年ごしのグランドスラムを達成したときのナブラチロワ

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