古今東西テニス史探訪(12) 長崎外国人居留地のテニス物語

『1億人の昭和史 第13巻:昭和の原点 明治(中)』(1977年刊、毎日新聞社)の第180ページ掲載。【原写真は長崎歴史文化博物館所蔵】



※ここに掲載されているすべての画像の無断使用を固くお断りいたします。

 
本へのテニス伝来ルートには諸説ありましたが、現在では初めてのローンテニス・コートは横浜外国人居留地に設置されたという説が定着しています。この探訪記の連載第4回でも、そのルートを辿ってみました。それはそれとして、長崎外国人居留地でも早くからローンテニスが楽しまれていたことがわかっています。

■ローンテニスを楽しむ人々、そして「LLTC」と「NC」の旗

 ここに掲示した写真は、『1億人の昭和史 第13巻』(1977年刊)の第179ページから始まる「滞日50年 T・グラバー家のアルバム」の中に掲載されています。キャプションには「グラバー邸での長崎在住外人のテニス(10年代末) 長崎にはビリヤード ボウリング場もあり 乗馬とともに外人のレジャーだった」と書かれていました。

 初めてこの写真を見つけたのは、1999(平成11)年夏です。調べてみると、1985(昭和60)年に発行されていた『日本庭球史―軟庭百年―』の第7ページにも、「グラバー邸にある石造りローラー」の写真とともに掲載されていました。石造りローラーには「明治の初期、フレデリック・リンガー氏がこの邸内に造った日本最初のテニスコートに使用した石造りローラーである」との説明板が付されています。

 集合写真の背後には2枚のフラッグ(旗)が写っています。右側の「NC」は男性たちのクラブ「Nagasaki Club」のものでしょう。長崎の外国人居留地でも、地域生活を守り、住民の福祉をはかる男性たちのクラブがあり、競漕会、ボーリング、そして演劇、音楽会などの親睦活動もしていました。

 左側の「LLTC」と描かれたフラッグは、横浜の「 Ladies’ Lawn Tennis and Croquet Club 」のイニシャルではないかと思い、『テニス明治誌』(1980年刊)の著者で同クラブの歴史に詳しい鳴海正泰氏におたずねしましたが、その可能性はほとんどないとのことでした。むしろ長崎の外国人女性たちもレディーズ・ローン・テニス・クラブをつくっていて、その旗の可能性もあるのではないかとのアドバイスをいただきました。

 さらに県立長崎図書館郷土課への照会結果として、〈撮影は明治10年頃ではなく、場所もグラバー邸ではなく、雲仙のテニスコートと思われます〉との回答内容も教えていただきました。回答には〈雲仙テニスコートの開設は1913年〉とも付されています。そして〈幕末・明治初期における長崎居留地でのテニスについては、現在のところ不明ですが、本館所蔵の英字新聞ローカル欄に何らかの記事があるかもしれません〉とのことでした。

 しかし当時は茨城県在住だった筆者にとって長崎は遠く、関東地域では長崎の英字新聞を閲覧することができません。気になりましたが、さらに調べることはできませんでした。


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