古今東西テニス史探訪(2)ウインブルドンで成長
ウインブルドンで成長
1877年、ロンドン郊外のウインブルドンで開催された第1回選手権大会(the Lawn Tennis Championship)の種目は男子シングルスだけでした。女子シングルス、そして男子ダブルスが加わったのは1884年のことです。
選手権大会を主催したのは1868年に設立され、1870年に第1回クロッケー選手権大会を開いたオール・イングランド・クロッケー・クラブ(All England Croquet Club)です。理事長はローンテニスの話題を盛り上げていた《THE FIELD》誌主筆のJ.H.Walshで、クラブは1875年からローンテニスとバドミントン用のコートも設けていました。このときはメリルボーン・クリケット・クラブによる改訂ルール(M.C.C.改訂ルール)を採用しています。
つまり、得点は1点、2点と数えるラケッツ方式で、コートの形もまだ砂時計型です。また、「晴天の場合はカバード・ボール(布でカバーしたボール)を使用すること」となっていますから、ゴムボールも使用していたことになります。さらに、「コートの大きさや形はプレーヤーの能力や設置場所に応じて変更してよい」と注記されていました。まだ社交ゲームとしての名残がみられます。
しかし1877年、クラブの名称を「the All England Croquet and Lawn Tennis Club」と改称し、6月に選手権大会を開催することにしたときには独自の競技ルールを制定することになりました。ルール制定小委員会は、ゲームのルール制定に詳しいHenry Jones、中世以来のテニス史を著したJulian Marshall、そしてプレーヤーのC.G.Heathcoteで構成されています。
制定されたルール(1877年ウインブルドン・ルール)の特徴は、次の通りです。
●スコアリングは中世以来のテニス方式で、得点を15(フィフティーン)、30(サーティ)、40(フォーティ)、そしてGame(ゲーム)とする。
●5ゲームス・オール以後は次のゲームでセットを決する。
●セットの終了毎にエンドを交代する。
●コートは長方形で、タテ78ヤード(23.77m)、ヨコ27ヤード(8.23m)とする。
かくて1877年7月9日、第1回選手権大会(以後、ウインブルドン大会と略す)が始まりました。参加した選手は22名です。7月19日に行われた決勝には約200名の観客が集まりました。「Three sets love, and the match」で優勝したのは27歳のS.W.Goreで、ラケッツ経験のある彼はときおりネットに出て巧みなボレーで得点したそうです。
ルール制定小委員会は大会毎に試合経過を分析し、競技としての公平性と興味を高めるためにルールを少しずつ改定しました。コートが現在と同じ形に整った1882年にはクロッケーの人気を越えていたので、名称から「croquet」を外して「the All England Lawn Tennis Club」と変えています。(その後、1899年に「the All England Lawn Tennis and Croquet Club」と3度目の改称をして、現在に至っています)
ボールは初めの2年間「Jefferies and Co.」提供品が使われましたが、1879年から1901年までは「F H Ayres」製が使われています。Ayresのウインブルドン大会用のボールはメルトン布でカバーされた規格品(Regulation)で「The Wimbledon」と命名されていました。
女子シングルスと男子ダブルスが加わった1884年には、大西洋を越えた米国から3名の参加者を迎えます。James Dwight、Arthur Rives、そしてRichard Searsは初の海外参加者でした。ローンテニスは西へ東へ、世界各地に広がってゆきます。
【今回のおもな参考文献】※原本の発行順
・C.G.Heathcote「Lawn Tennis」(『Tennis, Lawn Tennis, Rackets, Fives』1901年刊、Longmans, Green, and Co.、所収)
・『the Illustrated London News』(1997年復刻版、柏書房)
・John Barrett 『WIMBLEDON: the Official History of the Championships』(2001年刊、Collins Willow)
・Brian Simpson with Hugh Barty-King 『Friends at Court: Wimbledon and Slazenger since 1902』(Quiller Press)
・Bruce Terran 『George Hillyard: the Man Who moved Wimbledon』(2013年刊、自費出版)
=ちょっと寄り道=
中世以来の「テニス」と、近代に登場した「ローンテニス」とは別の競技です。しかしローンテニスが普及して、中世以来のテニスより広く認知されるようになると、ローンテニスがテニスと呼ばれるようになりました。今では中世以来のテニスはリアル・テニス、ロイヤル・テニス、コート・テニスなどと呼ばれ、イギリス、米国、フランス、オーストラリアの主に室内コートで行われています。1913年に設立された「国際ローンテニス連盟(ILTF)」も、1977年には名称から「ローン」を外して「国際テニス連盟(ITF)」と改称しました。
「ラケッツ(Rackets または Racquets)」は、かつてイギリスの学生たちに人気のあった競技で、スコアリング(得点の数え方など)はローンテニス考案時の参考にされています。ラケットで壁に打ちつけるところは現在のスカッシュ(Squash)に似ていますが、別の競技です。
クリケット(Cricket)は英国の国技ともいわれる球技で、米国の国技ともいわれるベースボールと同じルーツを有していると考えられています。一方、クロッケー(Croquet)は19世紀中頃、女性たちが庭園でプレーできる社交ゲームとして流行しました。競技方法は、現在のゲートボールと似ています。
そのほかにも、ラグビー、サッカーなどのルールが整えられた19世紀のイギリスは、近代スポーツの萌芽期でした。
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