大坂なおみ_ニューヨーク・タイムズ・マガジン特別特集「日出づる国のライジングスター(前編)」
日本選手としてUSオープンでグランドスラム初優勝を成し遂げた。その開幕前、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』では、大坂なおみの特集記事が掲載され、大きな注目と話題を集めていた。まさに大偉業を達成する直前、生まれ育ったアメリカで、大坂なおみは、どのように報じられていたのかを紹介する。【テニスマガジン2019年3月号掲載】
文◎ブルック・ラーマ―(c) 2018 The New York Times 翻訳◎池田 晋
「史上最高の存在になりたい」
ボカラトンの気温が32度を超える中、エバート・テニス・アカデミーのコートサイドで、大坂なおみは夏のハードコート・シーズンに向けてのトレーニングを行っていた。レギンスにタンクトップ姿で、アディダスのキャップから金髪に染まり、パーマのかかった髪の毛が飛び出していた。そこで強烈なスピンのかかったボールを打ち込んでいた。
相手はセルビア系ドイツ人のサーシャ・バイン。セレナ・ウイリアムズのヒッティング・パートナーを8年間務めたことで知られている。コート横の日陰で見守るのは、デニムのオーバーオールを着てサングラスをかけた日本人の母、環(たまき)。
彼女の足元にはオーストラリアン・シェパードの小さな犬がいる。コート脇の芝生の上を歩いているのはハイチ生まれの父、レオナルド・フランソワ。野球帽をかぶった無口な男は、なおみを3歳の頃から指導し、今も彼女のすべてのショットをチェックしている。
子供のサポートに協力的な両親、才能に恵まれた子、メトロノームのように次々と打たれるボール。これは世界中のテニスコートやスポーツフィールドで見られる光景だ。ただし、ここでは両親の異なる国籍が、現在のスポーツ界でも大きな注目を集める才能の開花につながった。
この選手は、ひとつの国(アメリカ)で育ち、ほかの国(日本)を代表する選手となり、世界の多文化未来を象徴するような存在だ。同一民族の島国の国旗の下で大坂は、どのような状況で二人種の人間が本当に日本人として認められるかに挑んでいる。
彼女自身はシャイで少し風変わりだが、汚れのない純粋さを持ち合わせ、“セレナ二世”になることに集中しているようだ。彼女がレポーターに語った野望は「史上最高の存在になりたい」だった。レポーターが少し困惑した表情を浮かべると「ごめんなさい。これはポケモンの主題歌に出てきた言葉なの。でも実際、最高の選手になりたいし、いけるところまでいってみたい」と語った。
この焼けつくような暑さの中、大坂はショットのスピードを徐々にアップさせた。「90秒!」とコンディショニングコーチのアブドゥル・シラーがストップウォッチに目をやりながら叫んだ。大坂とサーシャは、実際の試合の平均よりも10本ほど多いベースラインからのラリーを3分間打ち合うメニューの最中だった。
この練習では、選手のグラウンドストロークのスピードやプレースメントに影響を及ぼすことなく、足と肺に大きな負荷をかけることができる。さらに大坂の負けず嫌いな性格にも火をつけられる。私が数える限り、80本くらいのラリーが続き、彼女もサーシャもミスをしていなかった。時計の針が進み、シラーが「2分!」さらに「2分半!」と叫ぶ。お互い、相手が根負けするのを待つ我慢比べだった。
相手の深いボールに対し、大坂は悲鳴を上げながらダウン・ザ・ラインに打ち返した。そして3分が経とうとするころに、大坂がクロスコートへフォアハンドのウィナーを放った。「8年間、毎日のようにセレナと打ち合ってきたけど、なおみの武器は彼女に匹敵するぐらいすごい」とサーシャは言う。「主役になることを恐れていないし、だからこそ彼女の中にあるすごさを信じられるんだ」と続けた。
今週始まるUSオープンで、大坂を優勝候補に挙げるのは時期早々かもしれない。しかし、この予想は完全に的外れなわけでもない。20歳で彼女は世界のトップ20の中で最年少選手だ。そして、ここ10年での日本人女子最高ランクを記録した。セレナは2年前に大坂のことを「すごく危険」と表現した。だからこそ、3月にインディアンウェルズで世界トップ経験者を3人も粉砕して自身初のWTAタイトルを獲得したのは、大きなサプライズとは言えなかった。
これらのアップセットによって、彼女は2017年の最終ランキングを68位から、8月初旬には17位にまで上昇させた。「大きな舞台でトップ選手相手に、これほどいいプレーを見せたことはない」と彼女はコート上の姿からは想像できないような、高い、か細い声で私に話してくれた。共同通信の吉谷剛記者は「なおみは過去の日本人選手とはかけ離れた存在。グランドスラムを勝ち獲る最初の日本人選手になると思う」と話していた。
根室から大阪へ
大坂のブレークは不思議なテンションで報じられている。彼女は日本人とハイチのハーフだが、彼女の家族の歴史をつくり、ひとつの民族で構成された国の国籍を選んだ。日本に生まれたが、3歳のときからアメリカで暮らしている。日本語をあまり流暢には話せない。
だが、10年近く前から父は2人の娘たちがアメリカではなく、日本を代表する選手になることを決めていた。先見の明がある、素晴らしい判断だった。大坂の成功――そして彼女が日本のアニメや映画が大好きなところと、女性のテニススターを求めていた日本人ファンを結びつけたのだ。
日本にとって大坂の存在が複雑なのは、多くのファンと世界中のブランドを惹きつける彼女の魅力だ。恐ろしいフォアハンドと時速200㎞を超えるサービスは、ただ単に女子テニスの未来を築くだけではないかもしれない。「15年先の未来を見ると、なおみは素晴らしいキャリアを送り、グランドスラム・タイトルにも恵まれているはず」と語るのは、IMGで代理人を務めるスチュアート・ダギッドだ。
「それだけでなく、彼女が日本にいる“ハーフ”の人々の文化的な感覚さえも変えることを私は期待している。テニスやスポーツの分野においてだけでなく、社会全体の人々にとっても大きな扉を開け、未来を切り開いてくれるのではないかとね。彼女は変革の大使になれるはずだ」
6月中旬、大坂の母・環さんは、これまでツイートしてきたテニス、食べ物、犬などとはまったく別の画像をアップした。3枚の写真をコラボしたものだった。出会ったばかりの頃の白と黒のジャージを着た父のフランシス、レザージャケットを羽織った若い頃の環、2人の前には娘のうちのひとりが髪を三つ編みにした、天使のような幼少の頃のなおみだった。
そのノスタルジックな写真の上には、幸せな画像とはかけ離れた内容が書かれていた。「家族にとって不名誉。私たちは何年も砂漠やジャングルの中にいるけど、まだ生き残っている」。それに力こぶと赤いハートの2つの絵文字が続き、“#HappyLovingDay”というハッシュタグがついていた。
6月12日、このツイートがされた日は、Loving Dayとしても知られている。1967年に最高裁の裁定“Loving v. Virginia”によってフロリダを含むアメリカの16の州で残っていた、異人種間結婚をすると逮捕される法律が無効化されたのだった。この数年後に日本で生まれた環にとっては、何も影響のないものだった。だが、彼女の連帯の気持ちは、ある深い経験からきたもので、彼女のツイッターのハンドルは長く結婚記念日と“自由”になっていた。
日本が諸外国を遠ざけてきた歴史は1630年代に遡る。徳川家光の時代に、他国との関係が完全に切り離されたのだ。この分離主義の影響は何百年も残り、今も続いている。特に環が生まれ育った根室は、世界でも混血がもっとも少ない地域のうちのひとつである。北海道の東の果てにある根室は同一人種の砦だった。しかし、母によって札幌にある高校へ進学することになり、環の世界は一気に広がったのである。
1990年代の初めは、外国人が札幌に移り住み始めた初期の頃だった。そこでニューヨークから留学に来ていたハイチ生まれのレオナルド・マキシム・フランソワは、当時北海道にいたわずかな黒人のうちのひとりだったのだ。2人は両親に隠れながら、何年も交際を続けていた。すると、20代前半になり、環の父がお見合いを勧め始めたのである。すぐに真実が明るみになった。環はすでに交際相手がいたのだった。外国人で、しかも黒人。父は激高し、家族に恥をかかせるなと激しく非難した。
このカップルは南下して大阪へ移り、環と日本語が上達していたフランソワは職を見つけた。10年以上も環は家族と連絡を絶っていた(このことについて環の父に話を聞きたかったが、連絡がつかなかった)。
まりとなおみの娘たちは大阪で、18ヵ月の間を置いて誕生した。1999年のある晩、まだ2人が幼児の頃に、フランソワはフレンチ・オープンに登場した18歳のビーナスと17歳のセレナのウイリアムズ姉妹にくぎ付けとなった。2人はダブルスで優勝。フランソワはこの頃、少しだけテニスをしていた。
だが、ウイリアムズ姉妹の父で後に2人のコーチとなったリチャードは、まったくテニスの経験がなかったという。それでもリチャードは壮大なプランを立てて、娘たちにサービスを強く打つ方法、コートのどのコーナーからでも強力なストロークを打つ方法を教え込んだ。「そこにはすでに青写真(前例)があったんだ。それに従うだけだった」とフランソワは教えてくれた。
アメリカではなく日本で
なおみには、日本で過ごした幼少期の記憶はほとんどないという。3歳のときに家族でハイチ人の祖父母の住むロングアイランドへ移住したからだ。そこではジムや無料で使える公共のコートがあり、フランソワは描いていたプランを本格的に実行することができた。そこで指導書やDVDを参考に、少女たちに毎日、何百回、何千回とボールを打たせた。
「ボールを打つのはあまり好きじゃなかったと思う。それよりもとにかく姉に勝ちたいという思いだけだった」となおみは教えてくれた。試合になると、なおみはいつも0-6で負けた。「まりにとって、私は相手にもならなかったけど、私にとっては毎日がコンペティション」。いつもコートに立つと、“今日こそあなたに勝つよ”と挑んでは敗れた。最初に姉を倒すまでに12年もかかったのだ(まりはプロ転向後、ケガで苦しんだ影響もあり、現在はランキング350位)。
なおみにとってロングアイランドでの5年間は、文化的にも多くの刺激を受けた時期でもあった。「ハイチと日本の文化、両方に囲まれて私は育った」と言う。フランソワの両親は英語を話せず、ハイチのクレオール語で家族の空間を満たし、スパイスの効いたハイチ料理を振る舞った。それと同時に環は2人に日本語で話しかけ、海苔を巻いたおにぎりを学校のお弁当に持たせ、特別な日には着物を着せた。
アジアの側を選んだのは、ほかにも欠かせない要因があった。娘たちは父ではなく、母の名字を名乗ったのだ。日本語の名字は、生まれた都市と同じ「0SAKA」という冗談のようなものだった。日本に住んで、子供たちを学校に入れ、アパートを借りたりするのに日本名はとても役に立った。少女たちがアメリカで成長するにつれ、大坂という名前は彼女たちがいつか代表することになるであろう母国を、いつも思い出させてくれた。
2006年に一家はテニスにフルタイムで集中できるように南フロリダへ移動した。ほかの子供たちがスクールバスに乗って学校へ通う中、姉妹はペンブローク・パインズ・パブリックコートで練習し、夜に自宅でホームスクールを行った。彼女たちは強く、才能に恵まれながら育った。
その頃、環は15年近く音信不通だった日本の家族とも会わせるべきだと思い立った。そして、なおみが11歳くらいのときに姉妹は初めて日本に住む祖父母を訪ねた。ただし、環が望んでいたほどの喜ばしい帰省にはならなかった。環の両親は子供たちに興味深々だったが、テニスを中心にした生活とホームスクールについては否定的だったのだ。「テニスは職業なわけでなく、単なる趣味に過ぎないのに……」と両親の理解を得られなかった環はこぼした。
フロリダに戻ると、娘たちはウイリアムズ姉妹と同様にジュニアの大会をスキップして、プロの下部大会で年上の選手たちに挑んだ。10代前半でなおみは急成長を遂げて、いつのまにか、まりより強くなっていた。彼女たちのプレー映像がコーチや代理人の間で話題となったにもかかわらず、どちらも実戦経験に乏しく、ジュニアランキングも目立った成績を残せなかった。
全米テニス協会は2人をサポートすることに、少しだけ興味を示し始めた。しかし、父フランソワはアメリカで何百人もの才能にあふれたジュニアと競争するのではなく、極めて重要かつ賢明な決断を下した。それは娘たちが13歳になったら、10年以上も前にあとにした日本国籍の選手としてプレーさせることだった。
「父は私が母に育てられ、日本人の親戚も多いから日本国籍を選んだのかな……。よくわからない」と大坂は困惑した表情で話した。アメリカの文化に染まり、典型的なアメリカ人の子供として育ったにもかかわらず、大坂は「自分がアメリカ人だとはあまり思えない。アメリカ人の子供がどんな感じなのか、よくわからない」と言う。
姉まりは日本語を流暢に話すが、なおみの日本語はまだ心もとない。「みんなが知っているかわからないけど、私はほとんどの日本語を理解できるし、話したいときは話すことができる。特に家族や友人とはね」と今年初めにツイートしている。恥ずかしがり屋で完璧主義のため、公の場所で話すことを躊躇しているという。彼女のこの姿勢により、記者会見では日本の記者の問いに英語で答えるという奇妙なやり取りが行われている。
日本国籍でプレーすることは、大坂の人生に大きな影響を及ぼしている。日本、そしてアメリカでどのように認識されているかは、2020年東京オリンピックを前に日本人トップアスリートとして、多くのスポンサー契約を交わしたことからも理解できるだろう。テニス界の複数の関係者は、彼女の決断が果たしてスポンサー契約に影響するのかと思案しているところだった。
錦織圭という日本人スターの前例もあるが、彼女たち姉妹はまだ若く、そこまで活躍できるか不確定要素が多すぎたと主張する。女子テニス界のスターが枯渇していた日本テニス協会は、彼女たちに機会を与えた。日本で長年暮らした過去を持つ環とフランソワにとって、姉妹が自分たちの生まれた国の代表としてプレーすることはごく自然なことだった。たとえ、彼女たちにとっては疎外された苦い過去のある場所だとしても。(後編に続く)
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