リー・ナが新しい指標を刻む----テニス名誉の殿堂入りした初のアジア生まれの選手に

左からエフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)、メアリー・ピアス(フランス)、リー・ナ(中国)
NEWPORT, RHODE ISLAND - JULY 20: Li Na (right), Mary Pierce, and Yevgeny Kafelnikov pose for a picture after the press conference announcing the class of 2019 at the Tennis Hall of Fame on July 20, 2019 in Newport, Rhode Island. (Photo by Omar Rawlings/Getty Images for International Tennis Hall of Fame)

「ゴールには、それを達成するために必要な力や意図と同じだけの価値がある」とピアースは29分のスピーチの出だしに溢れる涙と闘いながらこう言った。

 45歳のカフェルニコフは彼の記念額の中で、“彼の世代の中でもっとも圧倒的なロシア人プレーヤー”と表現されている。彼は1996年にフレンチ・オープンで優勝し、その3年後にオーストラリアン・オープンでもタイトルを獲得していた。

「僕は今、名誉の殿堂のメンバーになるということが何なのかがわかった」と観客に向かって言った。

「僕は残りの人生を通し、この責任を担うことになる。そして、皆さんを失望させることがないよう願っている」

 2002年に世界ランク1位となったカフェルニコフは、卓越したベースラインプレーを主軸にプレーを組み立てる選手だった。彼は2000年シドニー五輪の男子シングルスで金メダルを獲得しまた2002年にはロシアのデビスカップ優勝に貢献した。

「僕がそれをやってのけられたのは、ハードワークゆえだった」と彼はコメントした。

「これらの成功のすべては、自分自身が大いに努力をしたからこそ実現したんだ」

 殿堂入りする前日に、殿堂内の展示室に足を踏み入れたカフェルニコフは過去に引き戻された。

「階段を登って初めてミュージアムに入っていったときには、本当に驚いた」と彼は振り返った。

「テニスの記録からトロフィー、オリンピックのメダルまで…どれほど感情を揺さぶられたか言葉では表現できない」

 44歳のピアスにとって、フレンチ・オープンでプレーすることは夢のひとつだった。そして彼女は2000年にそこで優勝し、それ以上のことをやってのけた。彼女その5年前に、オーストラリアン・オープンでも優勝していた。

「少女の頃、テレビで観ていたフレンチ・オープンでプレーするというのは私のテニスでの夢だった」と彼女は明かした。

「それから実際にそれに優勝することで、私の夢は実現した」

 2006年USオープン3回戦で、ピアスはリー・ナに対して彼女のグランドスラムでの最後の試合をプレーしていた。

「私たちが今日、どこにいるか見てほしい」とピアースは、すぐ隣に座っているリー・ナを見ながら語りかけた。(C)AP(テニスマガジン)

※トップ写真はリー・ナ(中国)
NEWPORT, RHODE ISLAND - JULY 20: Li Na gives her speech after being inducted with the Class of 2019 in to the International Tennis Hall of Fame on July 20, 2019 in Newport, Rhode Island. (Photo by Omar Rawlings/Getty Images for International Tennis Hall of Fame)

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