クリケットからテニスに復帰したバーティがグランドスラム女王に [フレンチ・オープン]

今年ふたつ目のグランドスラム「フレンチ・オープン」(フランス・パリ/本戦5月26日~6月9日/クレーコート)の女子シングルス決勝。

 当時のアシュリー・バーティ(オーストラリア)は、テニス、プレッシャー、期待、毎週毎週の骨の折れる辛い仕事から休みを取る必要があると感じた。それゆえ彼女は2014年にツアーから離れ、母国オーストラリアのプロチームに加入してクリケットで力を試す生活に行きついたのだ。

 そして約2年離れていたあと、バーティはツアーに戻ってきた。よい選択だった。彼女は今、グランドスラム・チャンピオンなのだから。

 フレンチ・オープン決勝で出だしから試合の舵を握り、それを最後まで決して手放さなかった第8シードのバーティは、19歳のマルケタ・ボンドルソバ(チェコ)を6-1 6-3で下して初のグランドスラム大会優勝を遂げ、この上なく急速な浮上を見事に仕上げて見せた。

「私は決して、どんなドアをも閉めなかった。『もう二度とテニスはしない』などと言いはしなかった。私にはただ、少し離れて普通の生活を送る時間が必要だっただけ。なぜって、テニスの世界での人生は間違いなく普通ではないから。私には人間として成長し、成熟するための時間が必要だったのだと思うわ」とバーティは語った。

 では彼女はどうして、3年前に戻ってきたのだろうか?

「競い合いが懐かしくなった。1対1の戦いがないことを寂しく感じ、気持の満ち引き、勝ったり負けたりすることからくる感情をまた味わいたいと思った」とバーティは説明する。彼女は月曜日に世界ランクを一気に登り、大坂なおみ(日清食品)に次ぐ2位にまで上昇することになる。

「それらは非常にユニークで、プレーしているときにだけ、多大な努力をし、攻撃されやすい状態になり、誰も考えないようなことをやろうとするときにだけ得ることができる」

 この言葉の最後の部分は、彼女が相応しい角度やスピードを探し、ある瞬間に対戦相手のどこにもっともつけ入るべきかを理解しようとしながら各ポイントにどのようにアプローチしているのかについての適切な描写だ。

 それを決勝でボンドルソバに対して実行するため、バーティはスライスのバックハンド、トップスピンのフォアハンド、キックサーブなどを駆使した。彼女はそのプレースタイルを、「ある種のアッシュ・バーティ・ブランドのテニス」と呼んだ。

 ボンドルソバの見解は?

「彼女は様々な球種やスピードを混ぜる。それから、彼女のサービスは強烈だわ」とボンドルソバはコメントした。

「だから彼女に対してプレーするのは、非常に難しいの」

 決勝でのバーティは一気に4-0とリードを奪い、そこから踏みこたえた。前日にやはりノーシードから勝ち上がった17歳のアマンダ・アニシモワ(アメリカ)に対する準々決勝の第1セットで、5-0のリードを棒に振ってしまったことから教訓を得たのだということを示して見せながら。

「まったくのジェットコースターだったわ」という言葉でバーティはその準決勝の顛末を表現した。

 彼女のコーチを務めるクレイグ・ティザーは、ふたりでバーティのメンタル面を助けているベン・クロウと相談し、決勝では間違いなくそのようなトラブルを避けられるようにするための非常によい話し合いができたのだと明かした。

 23歳のバーティも、対戦相手のボンドルソバも、これ以前には一度もグランドスラム大会の決勝でプレーしたことがなかった。双方が今週まで、グランドスラム大会準決勝に進出したこともなかった。

 しかし、出だしにそわそわしているように見えたのはボンドルソバだけだった。より経験の浅い彼女は、一度もフィリップ・シャトリエ・コートでプレーしたことがなかったのだ。

 こうしてバーティは、ロラン・ギャロスで優勝杯を勝ち獲った1973年のマーガレット・コート以来のオーストラリア人プレーヤーとなったのである。

「私は今日、完璧な試合をプレーしたわ」とバーティは胸を張った。

 特に出だしは、確かに完璧にかなり近かった。試合終了までには、バーティはウィナー数で27対10とボンドルソバを大きく上回っていた。すべてを終わらせるのにかかった時間は、総じて70分ほどだった。

「彼女は今日、私にレッスンを与えてくれた」と世界38位のボンドルソバは振り返った。

「私は今日、あまりいい感じを覚えることができなかった。それは彼女が、私に自分のテニスをプレーさせてくれなかったからなのよ」

 前夜から雨で持ち越された男子準決勝のあとに組まれていたため、女子決勝は予定より1時間半ほど遅れて始まった。

 驚きに満ちていた女子のドローの中で、バーティはたったひとりのシード選手としか対戦しなかった。それは第14シードのマディソン・キーズ(アメリカ)だったが、彼女は4回戦でセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)を倒した20歳のソフィア・ケネン(アメリカ)、準決勝ではシモナ・ハレプ(ルーマニア)の連覇を阻んだアニシモワを退けていた。

 5年前のUSオープンのあと、バーティは競技テニスに一旦別れを告げた。彼女は2011年ウィンブルドン・ジュニアで優勝した将来を嘱望されるジュニアで、すでにグランドスラムで3つのダブルス決勝をプレーしていた。しかし彼女は去り、自らの仕事とそれについてくるすべてにどうアプローチすべきかについて再考する必要があった。

 そうした結果は? 彼女が今どこにいるかを見てみるといい。

「もし彼女が休止期間をとっていなかったら、彼女がまだプレーしていたかは分からない。だから、少しテニスから離れる時間を持ったのは、彼女にとって最良のことだった」とティザーは語った。

「彼女はこれがなくなって寂しいと感じ、これが自分がやりたかったことなのだと理解したんだ」(C)AP(テニスマガジン)

※写真はアシュリー・バーティ(オーストラリア)
撮影◎毛受亮介 / RYOSUKE MENJU

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