アメリカの新星ティアフォーが好発進 [ウインブルドン]

 フランシス・ティアフォー(アメリカ)は、ティーンエイジャーにさえなっていないときに、両親に対して、テニスは彼らの生活を変えると約束したことを覚えていた。

 ティアフォーのテニスの才能は、彼の父親がメンテナンスの工員として働いていたメリーランドのUSTAテニスセンターで明らかになった。父のコンスタントは家族とともに、彼らのアパートメントの役を果たしていたセンターのオフィスに住んでいたのである。幼きティアフォーは、自分の能力を家族の生活状況をよりよくするために使うと誓った。

「僕は11歳か12歳くらいのときに、両親に、これ(プロテニス選手)が自分がなるものだと告げたんだ」

 ウインブルドン1回戦に勝ったあと、オールイングランド・クラブの記者会見場に座り、ティアフォーはこう言った。

「だから、ただゆったりと、待っていてくれと」

 そして、もはや待つ必要はない。現在20歳のティアフォーは今、もう少しでトップ50に割り込もうとしているところだ。彼はすでに、自分のテニスによる収入が両親を、シエラレオネ共和国から移民としてアメリカにやって来たあとに彼らが直面した生活苦から、遠く離れたところにいざなえるだけのレベルに至っていた。

「まだこれから、長い道のりを歩かなければならない」とティアフォーは言った。

「でも僕は、『みんなの生活を変えるんだ。あなたたち皆に家を買うんだ。僕はX、Y、Zをやり、僕のキャリアの終わりには、皆がいい生活をできるようになり、誰も、何も心配する必要がなくなるようにする』と言ったんだ」

 もし彼が、元ウインブルドン・ベスト8で第30シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に対してやったようにプレーし続けることができれば、彼の家族は心配する必要はないだろう。ティアフォーは、重要なポイントで相手を凌ぎ、ベルダスコを7-6(6) 7-6(5) 3-6 6-3で倒した。ティアフォーは、直面した15本のブレークポイントのうち13ポイントをセーブし、自分が手にした4つのブレークポイントのうち4つをものにした。

「果敢に出るべきときに、僕は勝つために戦った」と彼は言った。

 ティアフォーは、その人生を通し、果敢に挑み続けてきた。テニスが答えであると、彼の両親が確信を持つことができないでいたときでさえ。

「父はいつも僕を信じていた。母は、僕に大学に行ってほしがっていた。大学に行ったあとには、何でも好きなことをやっていいと言ってね。そして僕は、そんなふうにはならないんだ、と言ったんだ」とティアフォーは言った。

「プランはひとつであり、それだけだった。プランBなどない。なぜならそれはプランAから気持ちをそらさせるものだからだ。僕には展望があり、僕はそれを毎日望んでいた。毎日その夢を追っていた。僕がコート上でやっていることには、いつも目的がある。何故って結局のところ、それは僕だけに関わることではないのだから。僕の両親は、僕と兄弟(彼は双子で、もう一人はフランクリン)のために犠牲を払ってくれた。そして僕は今、彼らのためにそうしなければならないんだ」

 彼の母、アルフィナは、火曜日に11番コートで息子のプレーを観ていたとき、息子のキャリアについて不満に思っているようには見えなかった。

 ティアフォーが勝利を決めたとき、彼女はこう叫んだ。

「あれが、私のかわいい息子よ!」(C)AP(テニスマガジン)

※写真はフランシス・ティアフォー(アメリカ)
LONDON, ENGLAND - JULY 03: Frances Tiafoe of the United States looks on during his Men's Singles first round match against Fernando Verdasco of Spain on day two of the Wimbledon Lawn Tennis Championships at All England Lawn Tennis and Croquet Club on July 3, 2018 in London, England. (Photo by Clive Brunskill/Getty Images)

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