大坂が喚起したメンタルヘルスの問題についてテニス選手たちが論議

写真はフレンチ・オープン女子シングルス1回戦での大坂なおみ(日清食品)(Getty Images)


 大坂なおみ(日清食品)はメンタルヘルスの問題のためにグランドスラム大会の途中でリタイアした最初のプロ選手ではないし、恐らく最後のひとりでもないだろう。他の者たちはただ、必ずしも大坂のように目立つ立場にいた訳ではないだけなのだ。

「人が知ろうと知るまいと、メンタルヘルスの問題を抱えたことのあるプレーヤーは大勢いますよ。私はここ8~9年、その手の問題で苦しんだことのある多くの選手たちと話してきました」と元世界ランク7で現在はデビスカップのアメリカ代表監督を務めるマーディ・フィッシュ(アメリカ)は語った。彼は2012年USオープンでロジャー・フェデラー(スイス)と対戦する前にパニック発作を起こし、棄権した経験を持っている。

 今年のフレンチ・オープンとウインブルドンで行われたビデオや電話によるインタビューで現在や過去のテニス選手たちが、テニスは特にストレスや不安感或いはうつ病などの問題を抱えやすい傾向があると思うと話していた。

 結局のところ、テニスは絶えず世界を旅して回る生活を余儀なくされる個人競技である。選手たちは給料などの保証はなく、結果とランキングによって収入や評価が左右される。そしてほとんどの選手にとって、通常は負けることのほうが多くなるのだ。

 個人スポーツのため、基本的に彼らには頼ることのできるチームメイトもいない。負荷の管理に関しては休みがなく、プレーヤーは多くの大会で試合中にコーチの指導を受けることすらできない。

 グランドスラム大会で3度8強入りし、2004年アテネ五輪では男子シングルスで銀メルを獲得した実績を持つフィッシュは「目が覚めたときに気分が優れなかったり気持ちが落ち込んだりしていても、『今日はこの試合をプレーしない』などと言うことはできない。そして彼らはそれらを自分自身でやらなければならない」とテニス選手の大変さについて説明した。

 新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックにより、最近になって状況は拡大している。

「私は長いこと、多くのことを自分の心の内に留めておいているわ。それは時間の経過とともに大きな雪だるまとなりかねないものなの。ある時点でそれが爆発したら、『うわー、これはいったいどこから来たの?』という感じになるのよ」と今年のオーストラリアン・オープン準優勝者で26歳のジェニファー・ブレイディ(アメリカ)は打ち明けた。

 グランドスラム大会優勝歴4回の大坂が5月にフレンチ・オープン2回戦を前に棄権したとき、このトピックに世間の注意を引き付けることになった。彼女はメディアと話す前に「膨大な不安の波に襲われる」と言い、「長い期間、鬱に苦しめられてきた」と告白した。彼女はウインブルドン出場も取り消し、オリンピックで競技に戻ってくる予定になっている。

 彼女に起きたことは孤立した特殊なケースではないし、テニスに限って起きることでもなかった。様々なスポーツのアスリートたちが自分の経験を口にし、その中には元競泳選手のマイケル・フェルプス(アメリカ)、フィギュアスケート選手のグレイシー・ゴールド(アメリカ)、NFLのプロアメリカンフットボール選手であるダック・プレスコット(アメリカ)、NBAのプロバスケットボール選手であるケビン・ラブ(アメリカ)、プロのストックカーレースドライバーであるブッバ・ウォレス(アメリカ)もいた。

「私たちはもうずっと、この問題について議論しています。あるアスリートが彼らの経験を私たちに打ち明けてくれたり世間に公表したりするたび、私たちはそこから何かを学ぶことができます」と女子テニスツアーを運営するWTA(女子テニス協会)のメンタルヘルス部門副主任であるベッキー・アールグレン ベディクス氏はコメントした。

 グランドスラム大会を含めたほとんどの大会で、WTAはプレーヤーが30~60分のセッションをリクエストできるよう会場内に臨床医と面談できる場を設けている。またビデオや電話による会話なら、いつでもどこでも可能となっている。

 WTAの総合的なウェルネスに関するプログラムは、1990年代にスタートした。昨年、男子ツアーを運営するATP(男子プロテニス協会)は、セラピストとのアクセスを提供する会社と提携したことを発表した。

 一部の選手たちは自分のメンタルコーチと一緒にツアーを回っており、定期的または不定期にスポーツ心理学の専門家などと話をしている選手もいる。それ以外にも、例えば自分のコーチやパーソナルトレーナーなど自分をよく知る人物と話し合うというケースもある。

「僕は父を亡くしてから、家を離れらなくなるほどの不安感に対処してきた。でも僕は救われたんだ。僕はかなり頻繁にセラピストと話している。それは弱さじゃない。誰かに尋ねない限り、誰かが何を潜り抜けているのかまったく分からないものだ」と31歳のスティーブ・ジョンソン(アメリカ)は自身の経験を交えて誰かに相談することの大切さを訴えた。

 その懸念が個人的なものでも職業に関わることでも、他の人たちと同じようにアスリート人生の中にもそれは存在する。

 だからこそ2020年フレンチ・オープン優勝者のイガ・シフィオンテク(ポーランド)はスポーツ心理学者と一緒にツアーを転戦し、今年のフレンチ・オープンで栄冠に輝いたバーボラ・クレイチコバ(チェコ)がロッカールームを離れることが怖いと感じさせたパニックの発作について話すために自分のメンタルコーチを必要としたのもそのためだ。

「多くのプレッシャーがあり、私は自分が世界20位のときにそれを感じたわ。足首のケガから復帰してランキングポイントを守らなければならず、人々が以前のような成績を期待しているのにそれができていなかったときにも感じたの」と33歳のミハエラ・ブザネスク(ルーマニア)は明かした。

 ダブルス種目でグランドスラム5勝を挙げている選手でアンディ・マレー(イギリス)の兄である35歳のジェイミー・マレー(イギリス)は、パンデミックのために設けられた規制がメンタル的に重くのしかかっていると指摘した。

「僕たちは基本的に、世界中でバブルからバブルにしか行くことができない。テニスから離れて気分転換することができないんだ。試合をプレーし、例えば負けたとしよう。負けたときのほうが難しくなるからね。それでホテルに真っ直ぐ帰ってくる。4枚の壁に囲まれた小さなホテルの部屋で、窓を開けることができない場合もあるから新鮮な空気もない。ただそこに座っているしかないんだ」と言ってマレーは手で顔を覆った。

 ウインブルドンの間はすべての選手がひとつのホテルに泊まっており、自分で家を借りて家族や友人と過ごすことはできなかった。イギリスの選手は自宅が近くても自分の家で寝泊まりすることは許されず、試合会場に行くとき以外は誰もホテルから離れることができなかった。

 パリではプレーヤーたちは1日1時間の自由時間を許され、2月のオーストラリアン・オープンでは自分の乗ってきたチャーター便に陽性と判定された者が出た場合には2週間に渡ってホテルの部屋から一歩も出ることができなかった。

「これは誰の人生においても脆くて元気の出にくい時期だ。バブルの中では各人がどれだけ負担を感じていても誰も考慮してくれない。精神的にあまりいい状態じゃないときには気が滅入ってしまいがちで、それは怖いことだ。本当に恐ろしいことだよ」と23歳のライリー・オペルカ(アメリカ)は警鐘を鳴らした。(APライター◎ハワード・フェンドリック/構成◎テニスマガジン)

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写真◎Getty Images

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