リー・ナ「アジアのヒロイン」
最初は大勢いる中国選手の一人に過ぎなかった。しかし、強力なフォアハンドを武器にして、中国からアジア、そして世界へとはばたいていった。アジア選手として初のグランドスラム優勝を手にし、世界2位まで駆け上がるなど誰が予想できただろう。妥協を許さない強い意志が、リー・ナを成功へと導いた。(※原文のまま、以下同)【2016年4月号掲載】
レジェンドストーリー〜伝説の瞬間〜
Na Li|PROFILE
リー・ナ(中国)◎1982年2月26日生まれ。中国・武漢出身。自己最高世界ランキング2位(2014年2月17日)、ツアー通算単9勝、複2勝 ※2014年9月引退
写真◎Getty Images、BBM
アジア人選手として、男女を通じて世界ランク最高位の2位を記録し、シングルスで初のグランドスラム・チャンピオンに輝いた。
しかし、リー・ナを中国女子、あるいはアジア選手という括りで語るのは、彼女の選手としての実態に合っていないように感じられる。もちろん、彼女もそう聞かれれば、それに相応しい言葉で答えることもなくはなかったし、引退時には中国テニスの発展に寄与したいと話していたのだが、現役選手時代の彼女の意識の中には「中国人、あるいはアジア人として初」という類いの話には、ほとんど重きを置いていなかったようだ。
むしろ、その正反対側のスタンスがリー・ナの強さを形作ったと言ったほうがよく、あくまでも世界の王道のテニスで強くなろうとしていた選手だった。
99年にITFサーキット3大会で優勝し、00年にはさらに7タイトルを追加して134位まで浮上した。当時の中国女子としてはトップクラスの戦績だった。
だが、02年に一度引退を表明。理由としては、後に結婚することになるジャン・シャンさんとの交際を当局に反対されたから、あるいは大学に進学するためなどと言われたが、ニューヨークタイムズ紙の取材に対しては、当時のコーチが彼女に禁止薬物であるステロイド剤の服用を強要しようとしたからと話しているのが興味深い。
彼女はこれで一時完全にテニス界から離れ、03年にはプレーしていない。国家の期待に対するあからさまな反抗だった。04年のフレンチ・オープンでは1歳下のジェン・ジーが4回戦に進出して注目されたが、リー・ナの本格的な活躍は広州の大会でツアー初優勝を果たした04年以降で、グランドスラムでの本格的な活躍は06年ウインブルドンのベスト8まで待つことになる。
キャリアのハイライトとなるのは、09年後半から14年夏に引退するまでの5年間だ。
00年代中期の女子テニス界を牽引したジュスティーヌ・エナンが08年に一度引退し、リー・ナとはライバル関係でもあったキム・クライシュテルスも07年で一線を退いた。セレナ&ビーナスのウイリアムズ姉妹はともに一時的に勢いを失っていて、08年と09年は女子に力の空白が生まれたような時期だったが、リー・ナはこの時期に勝ち星を積み重ねることで、トップ選手としての自信を手に入れ、真の強豪へと成長した。
最初に訪れたチャンスは10年のオーストラリアン・オープンで、準々決勝でビーナスを破って準決勝に進出。この大会ではジャン・ジーもベスト4に勝ち上がっており、もし2人とも勝利していれば、中国勢初のグランドスラム・タイトルというだけでなく、決勝が中国勢同士になるという大一番だった。
だが、このときは両者ともに敗れて快挙の達成はならず。翌11年のオーストラリアン・オープンで初めて決勝に進出したが、ここでもクライシュテルスに敗れて、またも優勝を逃してしまう。
しかし、グランドスラムで優勝する力を持っているのは疑いようがないという雰囲気になったのもこの頃のことで、それはおそらく、本人がもっとも感じていたに違いない。
そして、この年のフレンチ・オープンでフランチェスカ・スキアボーネを破り、ついにグランドスラム初優勝を果たす。
前年は3回戦でスキアボーネに敗れていた。スキアボーネは2連覇をかけての決勝だったが、リー・ナは最初から最後まで落ち着いて勝負に徹した。ときにトリッキーなプレーを見せたり、スライスを多用したスキアボーネに対し、安定したショットを打ち続け、最後は押しきった。
中でもフォアハンドの威力と精度はスキアボーネに反撃の糸口を与えない力強さを見せた。スキアボーネは「彼女のフォアハンドが常に深く入ってきて苦労した」と言い、「ネットに出たり、コートの内側でのプレーをさせてもらえなかった。スライスを使って崩そうにも、彼女は足を深く曲げて、しっかりとタイミングを合わせてきた」と続けた。スコアは6-4 7-6だったが、終始、展開を支配していたのはリー・ナだった。
また、この大会での彼女はマリア・シャラポワ、ビクトリア・アザレンカ、ペトラ・クビトバを連破しての優勝で、どこからも文句のつけようがない完璧な優勝だった。
「ヒッティングパートナーである私の夫に、たくさんスライスを打ってもらったおかげかしら」と試合後、笑顔で話していたのが印象深い。
フォアのクロスに強烈なボールを持っていた。展開に関わらず、一撃で決められるのがフォアのクロス。これを武器として持つ強みは大きく、彼女の最大のアドバンテージだったが、それをさらに極めて安定感の高いバックも持っていて弱点と呼べるものがなかった。ストロークの打ち合いでは無類の強さを見せ、サーフェスを問わず、どの大会でも手強い実力者として、この時期のテニス界に強いプレゼンスを確保した。
フレンチ・オープンでの優勝をきっかけに中国でのテニス人気が爆発。グランドスラムに取材に来る中国メディアの数が倍々ゲームで増え、観客にも中国人の姿が増えた。
だが、「テニス」という彼らにとって目新しい競技の特性を知らなかったことで両者に深刻な行き違いが生じ、まずはメディア、続いてファンとも諍いを起こしたリー・ナは、その人気とは裏腹に、母国とは完全に一線を引いた選手活動を続けていくことになってしまった。
こうした騒動の影響もあってか、フレンチ・オープンの優勝後は長めのスランプに陥り、12年の夏にはエナンのコーチを務めていたカルロス・ロドリゲスとコンビを組んで立て直しを図って、13年オーストラリアン・オープンでふたたび準優勝。そして翌14年にはオーストラリアン・オープンで2度目のグランドスラム・タイトルを獲得した。31歳での優勝は大会史上最年長記録だった。
2人が築いた信頼関係は強く、リー・ナが引退を決意する2ヵ月前のウインブルドンまでともに活動を続けたのだが、ロドリゲスは13年のフレンチ・オープン2回戦で敗れた後に引退すると言い出したリー・ナを思いとどまらせ、ふたたび闘志を甦らせて彼女を浮上させたという逸話がある。14年の全豪制覇はそうした2人の絆で取ったものと言ってもいいものだったが、結果としてはこれが最後の栄光となった。
引退の理由は膝の故障。08年以来3度手術したのが右膝で、左膝にも一度メスを入れているという。「私の身体がもう辞めて欲しいと言っている」というのが引退時のコメントだった。
WTAは彼女の引退時に「先駆者」という呼称を贈っている。リー・ナは21世紀という成熟した時代で、先駆者としての苦労も栄光もすべてを経験したレジェンドだった。
バドミントンから転向
リー・ナは元々バドミントンの選手を目指した少女時代があった。バドミントンと卓球は中国の国技と言える花形競技。のちに彼女の活躍でテニスの人気も沸騰することになるのだが、それはまだ遠い先の出来事で、リー・ナがテニスを始めた当時の中国におけるテニスの存在は、数ある球技の中のひとつという程度でしかなかった。
「バドミントンの選手になりたかったが、幼い頃にテニスに向いていると転向を勧められた」と話したことがある。
父親に無理矢理、体育学校に入れられ、まったく自由のない生活に嫌々ながらの毎日だったとニューヨークタイムズ紙の取材に応えたことがあり、「スポーツ選手として身を立てたのは偶然だった」と話したこともある。
「私は国のためではなく、自分のためにテニスをしている」というのが揺るぎのない信念で、それが中国の体育当局やメディアと激しい軋轢を生じさせることになったのだが、そういう強烈な独立心も、テニス選手としての大成にはプラスになった。
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