アンドレ・アガシ「テニス界の革命児」
どんなボールでも、とにかく強く叩き込んだ。奇抜なファッションとその強気な言動でも注目を集め、瞬く間にトッププレーヤーへの階段を駆け上がった。その性格ゆえ、アップダウンの激しいキャリアだったが、生涯グランドスラムを達成、五輪でも金メダルを獲得。人気と実力が伴った真のスーパースターだった。(※原文まま、以下同)【2016年2月号掲載】
レジェンドストーリー〜伝説の瞬間〜
Andre Agassi|PROFILE
1970年4月29日生まれ。アメリカ・ラスベガス出身。自己最高ランキング1位(1995年4月10日)、ツアー通算単60勝、準優勝30回。2006年引退
写真◎Getty Images、BBM
テニス界の常識を覆すカラフルなファッションで現れた天才少年時代。ピート・サンプラスとのライバル関係を燃やした1995年頃。そしてランキングを100位以下まで落としながら、不死鳥のように甦ってナンバーワンに返り咲いたキャリア後期。アガシには大きく分けて3つの時代がある。
どの時代のアガシにも違った輝きがあり、また違った話題で騒がれた。ただテニスが強いだけの選手ではなく、常に何らかのドラマとともに語られ、それがアメリカ人ファンの心をとらえ続けた。
「どんなときでも僕のことを見捨てず、常にサポートし続けてくれた」と引退が近くなった頃は、ファンに感謝の言葉を述べていたが、彼は常にファンとともにあった存在と言うこともできるだろう。ベーブ・ルースとヤンキースタジアムの逸話をもじった「アンドレが建てた家」というプラカードを持ったファンが、アガシの最後の舞台となった2006年のUSオープンのセンターコートの観客席にいたが、テニスを商業的な意味で今のスケールに育てるに至った原動力のひとりであるというのも、間違った評価ではない。テレビ時代に必要とされたスターの要素をすべて持っていたのがアガシという選手でもあったからだ。
本名はアンドレ・カーク・アガシ。イラン系アメリカ人の父親は元ボクシングの五輪代表で、幼いアンドレにスパルタ式でテニスを仕込んだことで知られる。それは強力なピッチングマシーンをコートに吊り上げ、猛烈なボールを子供のアンドレに打たせたという練習に代表されるように、テニスの玄人からすれば考えられない方法ではあったが、後のアガシの凄まじいまでのリターン力と、ストロークにおけるライジング能力の基礎はこれで築かれたとしか言いようがない。
しかし、今日の視点で言えば虐待とも言える激しい指導は子供時代のアガシを深く傷つけた。父親とは長く不仲で、妻となったシュテフィ・グラフが仲を取り持つまでは和解することがなかったという。
アガシのテニスの才能が開花したのは、13歳で入ったニック・ボロテリーのアカデミーでの指導を受け始めてからだ。「すごいショットメーカーだ」という言葉を当時のボロテリーは残している。ボリス・ベッカーのビッグサービスがセンセーションを巻き起こしていたのが1980年代中盤から1990年代初頭のテニス界。決して大柄ではないアガシがベースラインからの強打でウィナーを取りまくった。その姿はベッカーとは別の意味で衝撃的だった。
グランドスラムの優勝は同世代のライバルのマイケル・チャンやサンプラス、ジム・クーリエに先を越され、「勝負弱い」という批判もあるにはあったが、ヘビメタ界のアイドルだった、デイビッド・リー・ロスを思わせる金髪に染めた長髪と、蛍光色やデニムのウェアでテニス界の常識を覆したルックス、人気女優たちとの交際などの華やかさは、それまでテニスに関心を持たなかったような若いファンに強くアピールし、新たなファン層を開拓した。
そんなアガシのグランドスラムの初優勝が1992年のウインブルドンだったのは、やはり彼が選ばれた本物のスーパースターだった証だろう。「歴史と伝統」に滅法弱いアメリカ人にとって、USオープン以外で特別なものと見なしているのは唯一ウインブルドンだけ。「アメリカ四銃士」の中でウインブルドンを最初に制したのがアガシだったことが、彼をさらに特別な存在へと押し上げた。さらに言えば、ウインブルドンの「ドレスコード」を嫌ってスキップする数年を過ごしていたアガシが、真っ白なウェアに身を包んで強敵たちをなぎ倒して行く姿の痛快さもまた、多くのファンの心を鷲づかみにした。
純粋に技術的な視点から言っても、強力なサービスを持たず、リターンとストロークの力でウインブルドンを制した選手というのは、大会史上でもアガシの他にはレイトン・ヒューイットやラファエル・ナダルが現れるまでは、ほとんど例がない。
若者たちには「聖地」を「悪ガキ」が制する気持ちの良さを植え付け、保守的なファンたちにもそのプレーの質でその存在を認めさせたのが、この初優勝だったと言っていい。アガシはこれで名実ともに真のスーパースターとなったのだ。
1990年代中期のテニス界は、アガシとサンプラスのライバル関係が彩った。中でも1995年のUSオープンで、サンプラスがアガシの連覇を阻んだ決勝は今も語り継がれる大接戦で、アガシのパスとサンプラスのネットプレーというコントラストのはっきりとした若き日の2人の対決は、今の目で見ても極めて上質で、後に14度のグランドスラム優勝を果たす「史上最強選手」のサンプラスにとって、唯一無二のライバルと言えばアガシで、彼は常に「名勝負」の担い手だった。
しかし、アガシは手首や右肩の故障、女優のブルック・シールズとの交際や結婚による私生活の激変などで大スランプに陥り、1997年には一時147位までランキングを落とし、テニス界の表舞台から姿を消してしまう。一時のアガシは完全にオーバーウェイトとなって動きも悪く、闘志も消えて、もう終わったというのが当時の雰囲気だった。
だが、アガシは「恩師」でもあり、親友でもあったブラッド・ギルバートとのコンビでチャレンジャー大会から出直すことを決断。奇跡的な復活を遂げることになる。こうした復活劇が、アメリカ人ファンの心をとらえないはずはなく、サンプラスがどれほど活躍しようと、人気面ではアガシが常に上だったのは、彼が常にドラマを背負ってコートに立っていたからだ。
1999年には全仏オープンとUSオープンで優勝し、ウインブルドンでも準優勝。翌2000年全豪オープンでも優勝して30代でナンバーワンに返り咲いた。
さらに、2001年頃にヒューイットやマラト・サフィンと言った新世代の選手たちが台頭し始めると、ギルバートからダレン・ケーヒルにコーチを変え、自分のテニスをさらにパワーアップすることで新時代に対応しようした。
アガシの晩年と言える2005年のUSオープンでは当時急上昇中だったトマーシュ・ベルディヒやジェームズ・ブレーク、ロビー・ジネプリと言った若手選手たちをなぎ倒して決勝に進み、まさに自分の時代を築きつつあったロジャー・フェデラーと対戦。惜しくも敗れはしたが、お互いに高速のストロークでラインを削り合う熱戦は、彼のテニスの集大成として相応しい緊張感のある戦いだった。
後の状況から考えると、アガシはこのUSオープンを最後の舞台と考えていたようにしか思えない。持病の腰の状態はすでに深刻で、この年の全仏オープンの1回戦では試合中に突然動きが落ちてヤッコ・ニーミネンに2セットアップからの逆転負けを喫し、その後はウインブルドンをスキップしてまで北米シリーズにすべてをかけて臨んだのが、このUSオープンだったからだ。翌2006年も「フェアウェルツアー」と称してプレーを続行したが、恐らく彼の中での戦いはこのときにすでに終わっていたのだろう。
アガシは実にナイーブな人物で、それは「反逆者」と言われた若い頃からずっと変わらなかった。派手なウェアと金髪で注目されていた頃にはすでに頭髪が禿げ始めていて、それが生涯で一番ショックだったと後に笑い話にしたりしたが、彼のキャリアで繰り返されたアップダウンも、すべてはその繊細な性格から来たものだろう。だが、完璧でないからこそ愛された。8度のグランドスラム優勝に対して準優勝が7回。アガシらしい数字とは言えるだろう。
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