トッププレーヤーたちが“テニスを始めた頃”を調査せよ! 前編
過去から現在までのトッププレーヤーたちは、どのようにしてテニスと出合ったのか。テニマガ捜査本部は彼らの“テニスを始めた頃”のエピソードを調査してみた。テニス界の“謎”を大捜査_こちら、テニマガ捜査本部「トッププレーヤーたちが“テニスを始めた頃”を調査せよ!」前編(2018年5月号掲載記事)
CASE 01 ビヨン・ボルグの場合
我流を貫き、壁打ちで腕を磨く。ジュニア時代は手に負えない“ワル”
父親が卓球大会の賞品でテニスラケットをもらってきたことから、テニスと運命的な出合いを果たす。自宅近くのテニスクラブは定員オーバーだったため、家のガレージでひたすら壁打ちをし、その壁を当時スターだったアーサー・アッシュ(アメリカ)に見立ててプレーしていた。
レッスン本などにはまったく興味がなく、周囲に執拗に指導しようとするコーチもいなかった。それにより、我流のテニスを追求でき、個性的なフォームや当時はまだ革新的なトップスピンをものにできたと言われている。
昔はラケットを放り投げて審判に食ってかかり、相手選手には暴言を吐くほどの悪童だった。ジュニア時代には6ヵ月の出場停止処分を受けたこともある。優等生と評されたプロ時代から想像できないほどの問題児だった。
CASE 02 ジョン・マッケンローの場合
テニス歴1年で国際大会に出場。何もかもが規格外の天才少年
両親の記憶によると(本人は“10歳頃までの記憶がまったくない”と語る)、プラスティック製のバットを使ってボールを打ったのが生後8ヵ月(!)。母のケイは彼のことを「幼児期から闘争心を持った子」と評して、その成長を見守った。
10歳の頃、住んでいたニューヨークのテニスクラブに入会。プロ選手たちも多く出入りすることから、彼らもジョンのプレーを観て高く評価していた。のちにメキシコのデ杯選手を務めたアントニオ・パラフォックスに6年もの間、コーチングを受けることになる。
初めてジュニアの国際大会に出場したのは11歳。テニスを始めてから1年ほどで国際舞台に立つほどの成長ぶりだった。おかげでラケットも1本しか持っておらず、弟パトリックのラケットを借りて遠征に出たことも多々あったようだ。
CASE 03 マルチナ・ナブラチロワの場合
幼少期はスキーが身近な存在。ナブラチロワの姓は継父からもらったもの
祖母は旧チェコスロバキアで有名なテニス選手だが、両親はスキーにかかわる仕事で、その結果、生まれて間もない頃から身近なスポーツはスキーだった。
3歳の頃に両親は離婚。母親と田舎町に移り、そこでのちのテニスコーチであり、継父のミロスロフと出会う。ミロスロフは厳格であり、献身的な指導者だった。マルチナに対して常に「ウインブルドンで戦っている自分の姿をイメージしろ!」と諭していた。さらに「お前は必ずチャンピオンになれる!」と語りかけ、テニスの技術面だけでなく、精神面においても全面的にサポートしていたようだ。ちなみに、5歳の頃にミロスロフの姓である「ナブラチル」を女性形とした「ナブラチロワ」を名乗るようになった。
CASE 04 ジミー・コナーズの場合
祖母と母親はテニスコーチ。自宅の裏庭にコートがあった
祖母と母親はテニスコーチ。生まれる前から自宅の裏庭に生徒を集めてレッスンできるテニスコートがあった。
テニスを行う環境はすで揃っていたが、誰かに強制されて始めたのではなく、自然の流れで打ち込むようになる。その証拠に、昔から近所の空き地でアメリカン・フットボールに打ち込み、高校生になるまでプレー。しかし、大柄なプレーヤーからタックルを見舞って吹っ飛ばされて気絶。意識を失った経験もアメフトを止める一因だったそうだ。
ただ、コナーズ自身は幼少期からテニス一辺倒の育成方法に反対。最終的にテニスを選ぶのであれば、他競技をプレーするのはいいことと主張している。
CASE05 クリス・エバートの場合
テニスに熱中するきっかけはご褒美!?
父親のジミー・エバートは元テニス選手で、ふたりの兄と妹ジャンヌ(プロ選手)と4人兄弟。当初はテニスのことがそれほど好きではなかったが、楽しいと思うようになったきっかけは、通っていたテニスクラブの女性コーチ。練習の際に、ネットを越せればボール1個につき1セントがもらえるなど、ご褒美をモティベーションにしてプレーしていた。
テニスが上手くなるとノルマも変わり、「練習試合に勝てたら10セント」「女性コーチから1ゲームを獲るごとに10セント」と難易度が上がり、課題クリアを目指して腕を磨いたという。結果的にスーパースターとなったエバートはその女性コーチへの恩を忘れず、プロ選手になってから何度もウインブルドンに招待するなど、交流を続けた。
CASE 06 ボリス・ベッカーの場合
母国のサッカー選手に憧れた幼少期。挫折から這い上がったノンエリート組
テニスと同じくらいサッカーやバスケットボールが好きで、人生で初めて抱いた夢はサッカー選手になることだった。憧れは母国のスーパースターだったフランツ・ベッケンバウアーで、彼のような選手になりたかった。
12歳までサッカーとの両立を試みるも、泣く泣く断念。選択を迫られた際に、自分の力で勝敗が決まるテニスを選んだ。12歳以下のオレンジボウル制覇が決断の理由とも言われている。ダイナミックなプレーは相手の脅威だったが、不安定なプレーも目立ち、ジュニア時代はドイツの選抜メンバーから落選。若くして大きな挫折も味わった。
だが、この逆境が彼を強くし、以降は練習の取り組み方を変えた。15歳のときにドイツのジュニアチャンピオンとなり、その2年後にはウインブルドンで最年少優勝。世界から注目を集める選手となった。
CASE 07 イワン・レンドルの場合
目が離せないほど活発的で、時間さえあれば練習し続けていた
両親は旧チェコスロバキアの国内上位選手。物心つく前から遊び場はコートサイド。2歳になる頃にはひとりでテニスクラブを歩き回り、しばしば迷子になるほど無邪気で活発的な子だった。
両親は、目が離せない我が子をネットポストに結びつけて練習に集中しようとするも、おもちゃの木製ラケットを持てるようになると、飛んでくるボールに対してラケットを振っていたそうだ。6歳からは同クラブの少年クラスに入会。コーチが音を上げるほど練習が大好きで、ずっとコートにいるような子だった。
レッスン時間外はコートから閉め出され、壁打ちに直行。そこで、何時間も過ごすことが多かったが、のちにそれは「楽しい思い出ではない」と語っている。ただ、その壁打ちがストローク力の土台となったことは言うまでもない。
CASE 08 シュテフィ・グラフの場合
初の大会は出場資格がなかった!? シュテフィは当時の呼称だった
3歳のときに父親からもらった木製ラケットをきっかけにテニスを始め、5歳でジュニア大会に初出場。母親とドイツのミュンヘンで行われた大会の会場に向かうも、年齢が出場資格に足りず、大会ディレクターの考慮によって6~7歳グループで出場することができた。
身体の線が細く、小さかったことから「シュテフィ! シュテフィ!」の声援で会場は大盛り上がり。試合には敗れたが、大会の人気者に。その2年後、彼女は国内有数のジュニアトーナメントで優勝する選手となった。
ちなみに、本名は「シュテファニー・マリア・グラフ」だが、初めての大会で呼ばれた「シュテフィ」を登録名に使用している。
CASE 09 アンドレ・アガシの場合
生前からプロテニスプレーヤーになることを義務付けられた運命
元ボクサーの父親からスパルタ指導のもと、3歳からテニスを始める。父親自らが造ったテニスコートが家にあり、生まれる前から「この子はプロテニスプレーヤーになる」と言っていた。
初めて手にしたラケットは、ノコギリで短くした子供用のラケット。父親は厳しかったが、ボールを力強く打った際に狙ったものが壊れても怒ることがなかった。選手時代の武器でもある強打のストロークは、幼少期に培われたものだった。
考えたことはすぐ行動に移してしまう父親に連れられ、地元に訪れたジミー・コナーズやビヨン・ボルグとボールを打ち合ったこともあるなど、父子の破天荒なエピソードは絶えない。おかげで昔からアメリカでも有名なテニス親子だった。
CASE 10 マイケル・チャンの場合
父親のサポートを受け、兄と打ち合いながら成長
裕福な家庭ではなく、3つ年上の兄カールがテニスのレッスンを受けている間、父親がレッスン内容をひとつ残さずメモに残して帰宅。すぐさま3人で近くのコートへ行き、メモをもとにレッスンの“再現”をしていた。年上の兄と打ち合うことで力をつけ、15歳のときには全米オープンジュニアで優勝するなど早くに才能を開花させた。
普段は人見知りだが、コートに入ると持ち前の負けん気を発揮。どんな相手にも闘争心を見せた。それがもっともよく現れるのが父親との練習試合で、自分よりもはるかに大柄な相手に負けると、その場でラケットを折って悔しがったエピソードもある。
写真◎Getty Images、BBM
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