世界1位バーティが母国のグランドスラム大会を制した1978年以来のオーストラリア人女子プレーヤーに「私にとって夢の実現」 [オーストラリアン・オープン]

写真は女子シングルス表彰式で母国のレジェンドであるイボンヌ・グーラゴング(オーストラリア/左)からトロフィーを受け取ったアシュリー・バーティ(オーストラリア)(Getty Images)


 今年最初のグランドスラム大会「オーストラリアン・オープン」(オーストラリア・ビクトリア州メルボルン/本戦1月27~30日/ハードコート)の女子シングルス決勝で第1シードのアシュリー・バーティ(オーストラリア)が第27シードのダニエル・コリンズ(アメリカ)を6-3 7-6(2)で倒して同大会での初優勝を遂げるとともに、母国のグランドスラム大会を制した1978年以来のオーストラリア人女子プレーヤーとなった。

 1978年に大会がまだクーヨンで開催されていたときに栄冠に輝いたクリス・オニール(オーストラリア)も、観客席からこの歴史的出来事を見守っていた。自身もアボリジニーと呼ばれるオーストラリアの先住民族の血を引くことからバーティはアボリジニー初の女子トップアスリートだった母国のレジェンドであるイボンヌ・グーラゴング(オーストラリア)に憧れて育ったが、そのグーラゴングは表彰式でバーティに優勝杯を渡す役を務めた。

 そして観客席ではオーストラリア名物『ベジマイト』(イースト菌と塩で作られたビタミン豊富な珍味なペーストで、パンなどにつけて食べる)のロゴにバーティの名前を入れたTシャツ姿のファンたちが、大喜びで声援を送っていた。正にオーストラリア一色の日だった。

「これは私にとって夢の実現よ。私はオージー(オーストラリア人)であることを誇りに思うわ」とバーティは語った。

 バーティはクリケット選手であることを辞めてテニスに戻ってきて以来ずっと苦楽をともにしてきたコーチングチームにお礼を言い、「私の第二のキャリアの開始時点から、私たちはすべてを皆で一緒にやってきた。誰一人変わっていない。信じられないような日々だった」と話した。

 2011年ウインブルドンでジュニアの部を制したバーティは2014年USオープンのあとツアー生活に嫌気が差し、しばらくテニスから離れることを宣言した。それから約2年間ツアーから離れた彼女はクリケット選手として活動したが、2016年にふたたびプロテニスの世界に戻ってきた。

「あなたたちを死ぬほど愛しているわ。あなたたちは本当に最高のプロよ。私のためにつぎ込んでくれた愛と時間を考えると、いくらお礼をしても足りないほどよ」

 この日のバーティは多彩なショットを織り交てコリンズのスピーディーなリズムを崩してスムーズに第1セットを取ったが、第2セットになると様相が変わった。第1セットを先取して地元優勝に大きく近づいたことで急に緊張感やプレッシャーを感じ始めたのかバーティにそこまでなかったようなミスまでが出始め、同時にコリンズがミスを減らしてプレーレベルを上げていったのだ。

 最初のブレークを許したバーティはそのままじりじりと引き離されてコリンズがポイントをコントロールして5-1までリードまでリードを広げたが、そこからまた流れが変わった。

 目覚めたように落ち着きと本来のショットを取り戻したバーティは効果的なサービスを叩き込みながら挽回して5-5に追いつき、そのあと互いにキープし合ってタイブレークに突入した。コリンズのミスも増えていく中で逆クロスのフォアハンドウィナー、ドロップショット&スマッシュ、パッシングショットと多彩なレパートリーで相手を圧倒したバーティは勝利の瞬間に両手の拳を握りしめ、天に向かって雄叫びを上げた。

 コリンズは表彰式で涙ぐみながら自分のチームや家族、恋人にお礼を言ったあと、「彼女が1位までランキングを登っていき、彼女が夢を実現するのを目にするのは素晴らしいことでした。私は心からプレーヤーとしてのあなた、そしてあなたのテニスの多彩さに感嘆しています。その一部を私も身に付けられたらと願うわ」とバーティに賛辞を送った。

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写真◎Getty Images

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