1992年女子シングルス決勝、魅惑のフレンチ・オープン決勝でセレスがグラフに競り勝つ【AP Was Thereシリーズ⑥】

 歴史的な決勝を戦ったあと、グラフは諦めることを拒否したセレスの姿勢に賛辞を送った。

「他の試合でも見たことがあったでしょうけど、彼女は間違いなくタフな選手よ。競っていても疲れていても、彼女は常に思い切って打っていく。それは間違いなく、非常に大きな資質だわ」とグラフは相手を称えた。逆に彼女は、自分自身のパフォーマンスには満足していなかった。

「自分の挽回ぶり、劣勢になるごとに反撃する姿勢はとてもよかった。特に第3セット3-5からカムバックしたときには、とてもよく頑張ったと思う。でも、自分がリードしているときのプレーぶりにはがっかりしているわ」とグラフは自己評価した。

「自分がリードしてからのポイントで、私は思うようなプレーが出来なかった。私はその前のゲームのようにすべてのボールを追い、すべてのショットで思い切って攻めていくという感じにトライしていなかった。でも、常にそれを実行し続けるというのは難しい」

 観客は圧倒的にグラフの肩を持ち、繰り返しリズミカルに手を叩いて「シュテフィ、シュテフィ!と彼女の名を叫んだ。

「今までにあれほどのサポートを受けたことがあったか、私には本当にわからない」とグラフは観客に対して感謝の意を述べた。「ただただ素晴らしかったわ」。

シュテフィ・グラフ(ドイツ)(Getty Images)

 出だしの第1セットをコントロール下に置いたセレスは、最初の14ポイントのうち12本を取って主導権を握った。グラフは第1セットの終わりからプレーレベルを上げ始め、あるゲームではラブゲームでブレークしさえした。

 第2セットの序盤にブレークポイントをセーブしたグラフはセレスが2-0とリードすることを阻んだことで、心理的に解放されて反撃への手応えを掴んだように見えた。そのあとグラフはブレークして4-3とリードしたときに優勢の波に乗り、3つのブレークポイントをセーブして5-3とリードを広げ、それからラブゲームでブレークしてセットを取り返した。セットポイントでのセレスは、グラフのフォアハンドのウィナーを追いかけることさえしなかった。

 最終セットで3-1、4-2、5-3とリードし続けたセレスは、それからグラフのサービスゲームで4本のブレークポイントを手にした。グラフは深いフォアハンドで最初のポイントを切り抜け、次はフォアハンドを決め、3本目をコーナーへのフォアハンドで凌いだ。そしてアプローチとして放った滑るバックハンドスライスにより、4本目のマッチポイントもセーブした。

「私は『とにかく思い切ってやるしかないのよ』と自分に言い聞かせた。あれらのポイントで、私は彼女に多くのチャンスを与えなかった。私は自分のほうがアグレッシブに戦う側であろうとしていたの」とグラフはその場面について説明した。

 一方のセレスは、「シュテフィはプレッシャーの中で何本かの素晴らしいショットを打ってきた。私は少し安全にプレーし過ぎていたわ」と分析した。セレスは次のゲームをキープすれば勝てるはずだったが、グラフが強力なフォアハンドでポイントの主導権を握り続け、ブレークに成功して5-5のタイに持ち込んだ。

 ふたりはそこからお互いにキープし合ったが、グラフがフォアハンドをミスしてセレスがブレークに成功し、ついに8-7とリードした。しかしグラフはバックハンドで完璧なドロップショットを決めるなどしてすぐにブレークバックに成功し、次のゲームでセレスが長いラリーの末にバックハンドのショートクロスを決めて9-8とふたたび王手をかけた。

 3度目のサービング・フォー・ザ・チャンピオンシップを迎えたセレスは、首尾よく40-15とリードした。5本目のマッチポイントでグラフは見事なフォアハンドのウィナーを決めたが、ついに6度目のピンチで彼女はフォアハンドをネットに引っ掛けた。

「アップダウンの激しい試合だった」とセレスはコメントした。「1、2ポイントが勝負を分けたわ」。

 死闘の末に栄冠にかがいたセレスは37万2896ドルを勝ち獲り、キャリア通算の獲得賞金総額は500万ドルを超えた。一方のグラフは、準優勝者として18万6457ドルを受け取った。(APライター◎スティーブン・ウィルソン/構成◎テニスマガジン)

※写真は1992年フレンチ・オープンで優勝を果たしたモニカ・セレス(当時ユーゴスラビア)(Getty Images)

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