福井烈の本音でトーク_第14回目のゲストは都並敏史さん(サッカー元日本代表)
(※原文まま、以下同)1994年のサッカー・アメリカ・ワールドカップ最終予選。日本代表は悲願の初出場を目前にしながら、ロスタイムで涙を呑んだ。「ドーハの悲劇」――その場所に、アジアナンバーワンの左サイドバックと称えられた都並敏史さんはいた。一次予選のあとわかった不運な足首の疲労骨折を抱え、四番目の選手としてー。誰よりも日本代表を愛したその人が今回のゲスト。【1999年3月号掲載|連載第14回】
都並敏史さん (サッカー元日本代表)
つなみ・さとし◎1961年8月14日、東京都生まれ。10歳からサッカーを始める。都立深沢高校卒。19歳で日本リーグにトップデビューを果たし、読売クラブ、ウェルディ川崎でプレー。日本リーグ通算205試合、5得点。Jリーグは60試合に出場。96年アビスパ福岡、97、98年はベルマーレ平塚でプレー。82年スペイン・ワールドカップ予選で初めて日本代表に選ばれ、以降、86年メキシコ大会、94年アメリカ大会の予選にも選ばれた。日本代表として78キャップを誇る技巧派のサイドバック。99年1月31日、惜しまれながらも現役生活にピリオド。指導者としての新たな道を歩み出した。
福井烈プロ
ふくい・つよし◎1957年福岡県生まれ。柳川高校、中央大学を経て、1979年にプロ転向。過去、史上最多の全日本選手権優勝7回を数える。10年連続デ杯代表、9年(1979〜1987年)連続JOPランキング1位の記録を持つ。1992〜1996年デ杯日本代表チーム監督。現在は、ナショナルテニスセンターの運営委員長を務める。ブリヂストンスポーツ所属。本誌顧問
選手が本当にやる気になったときしか練習は身にならないです。(都並)
やる気にかなうものはありませんよね。(福井)
福井 コーチ研修を受けているそうですね。
都並 はい、C級ライセンス(日本体育協会認定資格)を取ろうと思っています。
福井 ライセンスはテニスにもあるんですが、たぶん一般の方はそういうものを知らないでしょうね。
都並 基本的にJリーグの監督になるにはS級が必要です。S級というのは日本サッカー協会が発行するもので、C級というのは文部省認定の日本体育協会が発行するものです。普通、C級→B級→A級と進むんですが、Jリーグの監督になるにはA級は必要なくて、C級→B級→S級と進みます。
福井 B級を持っていないとS級は受けられないんですか?
都並 基本的には。特例もあるんですけど、基本的にはC級→B級と進んで、A級はインストラクターに必要で、Jリーグの監督になるにはS級を受けるかたちになっています。進む時間は、成績優秀者は少し短縮されたりするんですが、僕が普通に取るとすればC級からS級を取るまでに3年以上かかるんです。
福井 かかりますよね~。
都並 はい。ちょっと時間をかけてじっくり取ろうと思っています。
福井 いよいよ指導者への一歩を踏み出したわけですね。
都並 はい、頑張って勉強します(笑)。
福井 ところで都並さん、テニスはなさるんですか?
都並 何度か。いきつけの寿司屋の板長がテニス好きで、誘われて(笑)。
福井 そうですか。テニスは昔に比べて、ラケットがすごく進化して、それまで打てなかったスピードボールが打てるようになったりしているんですが、でもサッカーは、人間の体が直接ボールに触れるわけですから、そういう大きな変化はないはずですけど、でもなぜか昔の写真を見ると、すっごく昔って感じがするのはどうしてでしょうね。
都並 そうですね……。でもサッカーも、道具はずいぶん変わりましたよ。例えばボールとか、今のボールは本当によく飛ぶ、軽い。スパイクもいろんな素材、形状のものが出てきました。だけどね、僕思うんですけど、結局、日本人って道具にこだわりすぎて、本質を忘れがちなんですよね。
福井 わかります、わかります。
都並 僕は読売クラブで育って、ブラジル人の選手と多く接してきたんですけど、彼らは雨の日だろうが、泥の中だろうが、全然、支度なんか関係ないんです。なぜかっていったら、みんな子供の頃から裸足で、泥のグランドで球蹴りしたっていう歴史があるから。そこで培った体のバランスのよさといったら、僕らとまるで違うわけです。そういうことを僕は忘れないでおきたいなと思っています。
福井 大事ですよね、そういう基本的なこと。そこでもうひとつ。戦略といったものも変わってきていたりしますか? 素人目に見ても攻撃的になっていることはわかるんですけど。
都並 そうですね。それこそ監督の数だけ戦い方はあると思います。今回のワールドカップは少しまた攻撃的なよさみたいなものが持ち出されたところがありました。今、全体的に相手のよさを消してしまう守備的なサッカーが流行になっていて、サッカー好きには面白くない時代になっていると思うんです。
福井 都並さん自身はどんな理想をお持ちなんですか?
都並 これは選手の育つ環境と国の文化とが大きく影響してくることだと思うんですが、きっと福井さんも感じておられるでしょうけど、選手が本当にやる気になったときしか練習は身にならないですよね。それから、あとは、選手がモティベーションを保ち続けられる環境を、どれだけ与えてあげられるかってことが、すごく大きなことじゃないかと思うんです。
福井 そうなんですよね。
都並 例えばブラジルの選手は、サッカーで生計を立てることが一番貧乏から脱出できる方法だと考えます。だから必死にやります。クロアチアでは国のために結果を残すことが生活の保証になったりします。でもそれを日本に当てはめたって、選手はモティベーションを感じないでしょう。日本には日本のにんじんのぶら下げ方ってあるんじゃないかと考えますね。
福井 どういうものなんでしょうね。
都並 日本は豊かだから、選手がどうやって何をやる気のもとにしてサッカーをするかっていうことがすごく難しいのかもしれません。Jリーグが始まってお金と名声がバーンッと前に出て、それが当たり前になって、人間のやる気がしぼんで停帯した部分があると思うんです。
でも今は、中田(英寿・イタリア/ペルージャ所属)のおかげで、みんなが中田のように外に出るぞ、出られるぞって、サッカー選手の本質に火がつきました。今、若い選手の間にやる気が充満していくのがわかるんです。すばらしいことだと思いますよ。
福井 やる気にかなうものはありませんよね。
都並 はい。選手にはたとえ小学生であってもレギュラーでいたい、監督に褒められたい、エースでいたい、選抜チームに選ばれたい、もっと上のカテゴリーへ行きたいっていう、伸びたい、伸びたいって気持ちがあるじゃないですか。それがいつまでも続かないといけないと思うんです。
日本はあるところで世界との壁が大きかったので、僕はその典型ですけど〈日本代表になりたい〉そこでしか夢を持てなかった。それがあるとき到達したら、燃えカスみたいになっちゃって…。だから今は、その上の世界とつないでくれた中田選手とか、ワールドカップに出た選手たちが、本当に日本にとって大きな存在なんだと思います。
求められる監督になりたいですね。それが実力のある監督だと思うんです。(都並)
30代後半、40代前半のパワーある指導者の方が増えていますね。(福井)
福井 なるほど。今、テニスは伊達(公子)、松岡 (修造)、沢松(奈生子)が引退して、世界のトップに通用している選手が杉山愛ちゃんしかいないんです。たいへんです。
都並 そうですか。そうそう、僕、ニューデリーのアジア大会のとき、井上悦子さんといっしょだったんです。好きだったなあ(笑)。
福井 へえ~(笑)。確か82年、その頃、えっちゃん、大活躍でしたから。
都並 スター!
福井 世界の27位でした。
都並 日に焼けてかわいいんですよね~。
福井 伝えますっ (笑) ! それで都並さん。この間、鹿島アントラーズがテニスのイベントをされたんですが。そこで、その鹿島というチームについてお聞きしたいんですけど、地域密着型というスタイルを確立しているように感じます。それは理想のかたちというか、何と言ってもチームは強いですし。そこに地域との一体感もあってとても魅力的ですよね。
都並 それはJリーグの基本理念の中に謳われていることで、みんなそのかたちを目指しているんです。密着の仕方はクラブの考え方によって変わってくると思うんですが、あそこのかたちは完全にブラジルスタイルです。
福井 それはジーコ (鹿島アントラーズ・テクニカルディレクター)さんが?
都並 はい。ジーコさんはブラジルのフラメンゴというチームに所属していたんですが、フラメンゴのスタイルがまったくあのかたちで、テニス、バスケットといったいろんなクラブを会員制にして会費を取って、それを全部サッカークラブの財源にしています。ブラジルではサッカーが一番のスポーツで、当然、他のスポーツをやりながらもみんなサッカーを応援します。そして自分のクラブを誇りに思うんです。そういうかたちを鹿島は確立しつつあるんだと思います。
福井 強いわけは、そうしたシステムがうまく回っているからですか?
都並 もちろんそうですね。強くある理由ってさまざまなことがあると思うんですが、間違いなくそのシステムの好影響として考えられることが、いつも高いモティベーションで選手に試合をさせる環境を作っているということです。周りのボランティアや鹿島の住民のみなさんが、自分たちの土地の小さな日本代表みたいな感じで鹿島アントラーズを応援しているわけです。
福井 それは励みになりますよね。
都並 当然、選手に伝わります。雨の日も風の日もそういう気持ちで応援してくれる姿があるんですから。でもそれだけでは、チームは勝てませんよ。現場で動くのは選手。その選手の選択を、外から取る選手、下から生え抜きで育てる選手というように選択できる、しっかりした“目”が鹿島にはあるということです。
日本はまだ歴史が浅いんで、例えば人事などの決定権を持つ方がサッカーをあまり理解していない、お金の使い方がわかっていない、そういう現状があるんですが、でもそこに目もあり、力もあるジーコさんが入って、すべて条件を揃えたわけです。それが現場に力を生んでいるのは間違いないですね。
福井 そのモティベーションについてですが、都並さんは子供の頃からずっと日の丸に憧れて、常に日本代表になりたいという気持ちを持ち続けたんですよね。
都並 日本代表でい続けることが、僕の中ではステイタスだったんです。僕はサッカーは今でも大好きだし、たぶんプレーは一生止めないと思いますけど、ただ、あるときよくわかったんです。
僕は19歳から26歳まで日本代表で、27歳のときメンバーから外されました。それはたぶん自分に甘えがあったから、コンディションを崩していて、プレーの質も落ちてた。だから外された。その挙げ句に病気になったんです。
そのとき気づいたのが、腐っていたらダメだということでした。僕は、代表に入りたかった。それに気づいて、もう一度節制を始めたんです。そのときのことですが……福井さん、減量されてましたよね?
福井 え? はいはい。確かに減量しました。
都並 そういう記事をどこかで見たんです。それで体が軽くなったとどこかで見て、僕も減量しようと思ったんです(笑)。
福井 へぇー(笑)。僕、バタッと勝てなくなったときがあるんですよ。結構、太る体質で、そのとき周りから体のキレが悪いと。余分な肉を落とすようにトレーナーから命令が出たんです。それで減量しました。コーヒーに砂糖を入れなくなって……。
都並 ケーキをやめたと書いてありました(笑)。僕ら、その頃、アマチュアで、プロってそういうものなんだって感じたんですね。だから僕もルールを決めて節制しました。そうしたら、あるときオフト(元日本代表チーム監督)に呼ばれて日本代表にって。あのときのうれしさっていったらホントなかったですね。福井さんのおかげです(笑)。
福井 いやいや(笑)。僕はあの頃、たぶんちょっと天狗になってたんです。俺が俺がっていうのがあったと思うんですよね。
都並 まったくいっしょです。節制を始めて、自分のプレーの質を上げていこうという気持ちになったあとは、クラブの監督が僕を褒めてくれたり、専門誌のサッカーマガジンの評価が高くなったりしたわけです(笑)。そうするとモティベーションがだんだん高くなって、また日本代表にって気になって。それで31歳でまた戻れたんです。やっぱり僕は最後の最後まで代表に戻りたかった。それが僕の中では最高のやりがい、刺激なんですよね。
指導者としての勉強は、上に向かって進む今までの僕のスタンスと同じ。(都並)
福井 引退はいつ意識されたんですか?
都並 僕が上に行けないことを、もう自分の体が知ってました。いろんな節制をしてすべてにチャレンジしても、以前より下がってしまうのがわかるんです。たぶんサッカーを続けることはJ2(Jリーグの下部リーグ)で、お金を半分、3分の1にしてもらって続けることはできたと思うんです。
でも以前のような刺激を持てるかっていったらもう持てない。そう考えたとき、2年ぐらい前から指導者のことを視野に入れました。指導者としての勉強は、上に向かって進んでいくという、今までの僕のスタンスと同じでしたから。だから今、すごく前向きでいられます。2月の給料がないけどがんばるぞ、みたいな(笑)。
福井 在籍は1月20日までですよね。
都並 これから先は金銭的に苦労するだろうけど、でもそれだってすべて監督としての成功につながればって思います。
福井 今の目標は日本代表を引き連れてワールドカップへ、ですか?
都並 それは考えてないです。ただ僕は監督の力が足りない、駄目だから、もういらないって言われるんじゃなく、また次に求められる監督っていうのになりたいですね。それが実力のある監督だと思うんです。
福井 都並さんのワールドカップと言えば、アメリカ・ワールドカップ最終予選。苦い思い出でしょうが、あのときの姿が描かれた『狂気の左サイドバック』(一志治夫著/小学館)を拝見しました。骨折を押して、注射を打ちながら練習に参加して、試合に出たいんだけれども出られないジレンマを抱えて…。
都並 あの内容はほんと僕の本音です。あのドーハのあと、いろんな方からあのときの話をしてくださいって言われたんですけど、負けた直後って嫌ですよね。絶対しゃべらねえぞって思ってたんですけど(笑)。あのときはまだケガしてましたし、練習できなくて何か溜まってたんです。で、一気に吐き出したいなって思ったタイミングでしゃべったんです。毎日、デニーズで4時間ぐらい(笑)。それがいい作品になって、大賞(週刊ポスト20世紀国際ノンフィクション大賞)を取って。
福井 つらい経験でしたよね。
都並 僕は今、思うんですけど、やっぱりケガした選手が3人の枠に入ることは、絶対間違いだと思います。
福井 後悔することがあるんですか?
都並 いや、そうは思ってないです。ただ、僕がこれから指導者になっていく上で、選手のレベルが上がって、プロ意識が高まって、例えば10年後に僕が同じような状況に陥ったときは、僕は絶対ケガ人を連れて行かないです。
いくらそのチームを盛り上げてくれるキャラクターを持っている選手でも、100%の体+αの仕事をしてくれる選手を22人連れて行きます。それが準備だと思います。あの時代、オフトは僕が必要だった。でも、そういうのはバックアッププレーヤーという中で準備しなきゃいけないものでしょう。30人用意していいわけです。ただ、そこから選抜するタイミングを考えないといけない。今回、カズ(三浦知良/クロアチア・ザグレブ所属)の件でもめましたよね。
福井 あのとき、カズさんが代表メンバーから外れたときはどう思いましたか?
都並 悔しかったですね。岡田(武史・前日本代表監督)さん、ずいぶん不憫なことするなって。どうしてそこで切るんだと。だったら、なぜもっと前に切ってやらないんだと。怒ってました。これから飲み"に行く約束をしているので、ちょうどいいです。
福井 エッ? これから話すんですか?
都並 はい。テレビで話すことは面と向かって言えないとダメです(笑)。
福井 そうですよね(笑)。
都並 陰口はダメ。だからどんどん言う(笑)。
福井 その会話聞かせてほしいですね(笑)。今、サッカー界はパワーのある指導者の方が増えてますね。30代後半、30代前半の指導者のほうがすごく増えてる。テレビでの露出度が大きいから、そう感じる部分もあるんでしょうけど、スポンサー問題や観客動員など、いろいろあるかもしれませんが、でも絶対盛り返してくるって感じがしますよね。
都並 あのニューデリーのアジア大会のときのメンバーが、今、みんな指導者として頑張っているんです。だから楽しいです。
福井 都並さんのつらい経験って、指導者になったときすごく生きてくることでしょうね。
都並 好きなことですから。でも、あのタイトル (「狂気の~』)、よくつけたなと思うときありますよ。今、注射、恐いですもん(笑)。
福井 だって、それによってサッカーができなくなるかもしれなかったんですよね。
都並 あのときはできなくなってもいいと思ってました。日本がワールドカップに出られるなら、本大会に行けなくたっていいと思ってました。それぐらい悲願なわけです。
福井 今回のワールドカップはどうご覧になりました?
都並 うらやましいとかいっさいなかったです。アルゼンチン戦で、ウォーミングアップのために選手が出てくる直前までなかったです。でも選手が出てきてボールを蹴り出したら、俺、もしかしたらここに出たかもなーって、一瞬うらやましい気持ちが出ました(笑)。
でも、やった! ほんとによかった!と。願いでしたから。僕はね、まだいい方なんですよ。Jリーグでお金もらえたし、それこそワールドカップのドーハの経験はこれからの僕の糧になるだろうし。でもそれに関われなかった僕らの先輩、みんな一生懸命サッカーやってたのに、おいしい部分を享受できなかった人もいる。その人たちのことを考えるとうらやましいなんてこれっぽっちも思わない。まあ、その人たちも思わないでしょうけど(笑)。
~対談を終えて~
我が家の息子がサッカー少年ということもあり、彼からの情報で、都並さんへのイメージが大きく膨らんでいました。「狂気の左サイドバック」。この少し大装ともいえる形容で語られていた都並さんは、息子に教えられた通り気さくで繊細で、それでいて男気のある人でした。
何よりも感銘したのは、選手としての一線を退く今、しっかりとした長期展望を持って指導者としての道を歩もうと決意されていることでした。サッカー界のこと、自らのこと、じっくりと考えられる都並さんの懐の深さを感じました。
都並さんの行かれるところは、どこも明るく、人の和ができます。都並さんの視点で分析されたサッカーのお話を、今度は息子もいっしょにお聞きしたいものです。福井 烈
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