広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第5回_なぜスポーツマンシップを教えなければならないのか?
あなたはスポーツマンシップの意味を答えられますか? 誰もが知っているようで知らないスポーツの本質を物語る言葉「スポーツマンシップ」。このキーワードを広瀬一郎氏は著書『スポーツマンシップを考える』の中で解明しています。スポーツにおける「真剣さ」と「遊び心」の調和の大切さを世に問う指導者必読書。これは私たちテニスマガジン、そしてテニマガ・テニス部がもっとも大切にしているものでもあります。テニスを愛するすべての人々、プレーするすべての人々へ届けたいーー。本書はA5判全184ページです。複数回に分け、すべてを掲載いたします。(ベースボール・マガジン社 テニスマガジン編集部)
その4
なぜスポーツマンシップを教えなければならないのか?
……スポーツマンシップなしにスポーツは成り立たないからです。
Key Word
コーチの役割、モラル、人格形成、道徳的概念、美徳と修練
スポーツを知ることは何の役に立つ?
スポーツの指導をしているコーチの中には、「おいおい、スポーツの本質だって? スポーツなんて誰でも知ってるよ。問題はそれがうまいかへたかだけさ」とか、「うちの選手たちがどうしたら勝とうという気になるのか、それこそ考えなければならないことであって、スポーツとは何かなんて考え立って、その役には立たないだろう」とおっしゃる方もいるでしょう。はたしてそうなのでしょうか? ここでは、なぜ子供たちにスポーツの本質やスポーツマンシップを教えなければならないのか考えていきましょう。
スポーツのとらえ方でコーチングが変わる
スポーツを単調な日常の仕事から解放されるひととき、あるいは緊張を強いられる重要なことから解放される楽しみだと思うなら、スポーツとは快楽であり、遊びだということになります。そしてその目的は「気持ちがリフレッシュされて仕事に戻れるようにリラッックスすること」となります。こういう考え方であなたには効果的なコーチングが可能ですか? 練習をうまくやれますか? ゲームでうまくコーチングができますか?
また、それとは逆に、スポーツが勝つことのみであるとするなら、勝つことがすべてに優先する重要な事項になるでしょう。この考え方のもとにあなたがコーチングするのは、有効でしょうか?
あなたがスポーツという身体活動をいったいどのように位置づけているかによって、あなたがコーチングをしているプレーヤーたちは相当な影響を受けることになります。
遊び心と真剣さのバランス
ここでは、現場の視点で考えてほしいのですが、プレーヤーはあくまで遊びの一種であることを心にとめながら、一方で何よりも重要であるかのようにプレーしなければなりません。
極言すると、スポーツマンシップの原理というのは、スポーツの核心を成す“遊び心“と“真剣さ”との微妙なバランスの上に成り立っているものだと言えます。
スポーツマンシップは美徳につながる
若年層のスポーツにかかわるコーチ、親、ファン、競技の審判、その他すべての人たちは、程度の差はあれ、モラルを教える立場を担うことになります。もっとも、それは決して道徳くさい教えを垂れるということではありません。またそういうことをすべきではないと思います。けれども、好むと好まざるとにかかわらず、コーチの皆さんが若年層の人格形成にある役割を果たすことになるのは避けられないのです。
気をつけていただきたいのは、スポーツマンシップを教えるのは、管理する者にとって扱いやすい態度を身につけさせることではない、ということです。そうではなく、スポーツマンシップというのは人格的に優れているということを問題にすべきであり、伝統的な言い方で言うなら美徳につながることなのです。
倫理的概念を言葉にしよう
スポーツのスーパースターたちが、往々にして人格的にも素晴らしいお手本になっているということは、決して単なる偶然ではありません。スポーツにおいて人格的な視点が、長い間欠落してきたのは実に悲しむべきことです。倫理的概念を再び言葉にしましょう。このようにスポーツの本質について考えることは、4年ごとに開かれるオリンピック大会が遠く古代ギリシアの哲学までさかのぽって、オリンピック理念という伝統的な倫理に基づいているという事実に思いをはせることにもつながるのです。
どういう人間になるのか
言葉にすることには、実は落とし穴があります。美徳はある場合には、悪徳を排除する道徳的な純粋主義を含んでいることがあります。そういう場合、あることをやらないこと、抑制することが美徳として称賛されます。
しかしここでいう美徳は、道徳的な純粋主義ではなく、人格的に優れたことを指します。私たちがここで「美徳を中心においた倫理観」というのは、正しい振る舞いを導き出す原則やルールの基礎となる倫理観ではなく、良い人格の重要性を指向する倫理的な態度や価値観を想定しています。
したがってスポーツマンシップとは、単にルールに従い、期待されるような行儀の良さを示すなどといったことではなく、いったいどういう人間になるか、という問題につながります。スポーツで競うことが、優れた人格を形成する場に身を置くことになり得るのです。
美徳を得るには修練が必要
美徳とは、心の奥深くに染み込んだ習慣の一つであるはずです。したがって、美徳というのは修練によって初めて獲得形成するものだと言えるでしょう。もし自分自身に原理原則を欠いているなら、それを獲得するために修練する機会が必要です。もし勇気や自信を欠いているなら、勇気や自信を身につけるために修練する機会が必要になります。同様に、スポーツマンシップが美徳であるなら、それを身につけるための機会が必要なのです。
古代ギリシアの哲人アリストテレスは、「道徳というものは技術に似ている。それを習得するためには修練が必要なのだ」と述べています。
スポーツが人格を形成する
優れた人格とはいかなるものかという点については、様々な意見があると思います。人類の歴史上、美徳と考えられたことをすべてここであげることはとてもできません。賢明、勇気、自制心、正義、誠実、自立、謙虚、慈悲、慈愛、信頼、憐れみ、責任感、うやうやしさ……等々、延々と続くでしょう。ただ、一つだけはっきりしているのは、スポーツを行ううえでは人格的なものが要求され、したがってスポーツの場でそれが形成され得るということです。
むろんそれはスポーツの場に限ったものではなく、教室や音楽室などでも、あるいは家庭のテレビの前でも、いたるところが人格形成の場ではあるのですが、スポーツが童要な場を提供していることは間違いありません。
人格の可能性と限界を判断せよ
練習をどのように行うのか、ゲーム(競争)についてどのように語るのか、原則に関して生じた問題にどのように対処するのか、これらすべての場面でコーチがどのような人格を評価するのか、立場が明確になります。怠慢なプレーヤーや、相手に侮辱的な言葉を放つプレーヤー、努力は人一倍するのに成果は少ないというプレーヤーそれぞれにどう対応するかによって、そのコーチがどのような人格を評価するのか、彼らにどのようになってほしいかが伝わります。
困難な問題をできるだけ真剣に考え、それをスポーツのカリキュラムにどう組み込むのかということを通して、私たちはモラルを教えているのだという事実を認めたほうがよいのではないでしょうか。
かといってコーチは、自動車を生産するように人格を生産できるのではありません。コーチをする上で忘れてならないのは、子供たちの運動能力の可能性と限界について正しい判断をするだけでなく、人格についてもその可能性と限界について適切な判断を下さなければならないということです。
スポーツマンシップは自分への褒美
スポーツマンシップが必要なのは、スポーツというものが本質的にそれを要求するからです。ルールで規定された競争的な運動として理解されるスポーツは、それを行うために一定の人格特性を必要とします。スポーツマンシップなしにスポーツは成り立たず、また試合すら成り立たないのです。
私たちはどのような人間であり、どのように生きるのか、そして我々の子供たちがどのように育っていくのか、スポーツマンシップはまさにそこを問題にしているのです。勇敢で、公正で、正直であり、また責任感を持ち、つつましく、賢いほうが、そうでないより明らかにましでしょう?
私たちがスポーツマンシップという名で呼んでいる美徳は、汎用性のある便利なものです。好ましい品格は試合に勝つためにも、ビジネスを行うためにも、友情を築くためにも役立つのですから。しかし、それを単なる便宜的なものとして扱い、スポーツマンシップの持つ価値や機能を減少させたりしないように気をつけましょう。
良いスポーツマンシップによって「褒美(実利)を与えられる」のかどうかは別として、良い品行はそれ自体が自分のためになり、さらに言うなら、スポーツマンシップ自体が褒美なのです。
実例3
フェアプレーは勝利の価値を低めるか?ー1984年ロス五輪、山下泰裕選手の金メダル
1984年のロサンゼルス五輪…。柔道山下泰裕は無敵の強さだった。世界選手権で三連勝したのを含めそれまで194連勝、 過去7年間、 世界の誰も彼には勝つことができなかった。
ところがその山下にハプニングが起きた。 2回戦で右足のふくらはぎに肉離れを起こしたのだ。氷で冷やして準決勝に出たが、 ここではまさかの「効果」まで取られた。6年ぶりの失点だ。だが、彼は必死にばん回し、合わせ技でやっと一本を取って逆転する。決勝…。痛みは時間とともにひどくなった。日本チームに不安が走る。佐藤宣践コーチと山下が考えた作戦は「こうなったら、 とにかく早く寝技に持ち込む」ことだった。
決勝の相手はエジプトのモハメド・ラシュワン。190cm、140kgの巨体だ。まずラシュワンが右大内刈りをかけたがこれは空振り。続いて左払い腰にきたところを、山下はうまく外してすかさず寝技に持ち込んだ。作戦通りだ。抑え込まれてもがくラシュワン。30秒はあっという間に過ぎ、ブザーが鳴った。
1分5秒、 横四方固めで山下の優勝。天井に向かってこぶしを突き上げる山下の目に珍しく涙があった。4年前のモスクワ五輪では、日本のボイコットで涙をのんでいただけに、なおのことうれしい金メダルだったに違いない。
しかし、これには後日談がある。ラシュワンが記者会見で語った「山下のけがをした足を攻撃してまで金メダルを取る気はなかった。それは自分の生き方に反するからだ」という発言が後に評価されて、「国際フェアプレー賞」を受賞したのである。こう言われては山下も心外だろう。ラシュワンが功を焦って攻めてきたところをうまくかわして寝技に持ち込んだのである。スポーツの世界で相手の同情で勝ったと言われるほど不愉快なことはあるまい。山下だって苦境の中で、必死に作戦を立てて臨んだ試合だったのである。
(出典:共同通信)
→このケ一スで、「情けをかけたラシュワン選手」は山下選手の勝利の価値を低めたのでしょうか。この問いに対する答えは、実際に起こったのとは逆のケ一スを考えてみれば明瞭です。もしラシュワン選手が山下選手の傷めた右足を徹底的に攻め、ついに優勝をしたとしたら。 ラシュワン選手にはどういう達成感があったでしょうか。
少々意味は違いますが、シドニー五輪で篠原選手を下したフランスのドイエ選手のケ一スはどうでしょうか。「寄判は気づかなかったが、実際に組んでいるドイ工選手は篠原選手に技を返されたことに気づいていたはずだ」という主張がありました。そうかもしれません。となると表彰式のドイエ選手の笑顔と篠原選手の泣き顔の意味は何でしょうか。ドイエ選手は本当に喜んでいたのか? おそ らくYES。では篠原選手の泣き顔の意味は? おそらく誤診に動揺してしまった自分が情けなかったのではないでしょうか。となると、ドイエ選手の笑顔も納得できます。どんな状況でも(仮に審判が誤りを犯しても)、最後まで勝負に徹すること。 ただし、無意味な優位によってではなく。しかし自分にとっ て不可抗力で生じた優位はまた別問題。そこから先は個人の値値観で対応が変わるのでしょう。こういったケ一スを話題にして議論することは決して無意味ではないはずです。
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