守屋宏紀インタビュー「前進あるのみ」
2018年に行った守屋宏紀プロインタビュー(原文ママ)〜プロに転向してから、まもなく10年になる。ライジングショットを武器にボールをとらえ、早い展開で勝負するプレーは変わらないが、テニスに対する考え方は大きく変わった。つらく苦しい時期を経て、取り戻した闘志。このまま終わるわけにはいかない。【2018年8月号掲載】
文◎牧野 正 写真◎Getty Images
PROFILE
守屋宏紀
もりや・ひろき◎1990年10月16日、東京都町田市出身。170㎝65㎏。6歳からテニスを始め、全国中学生大会で優勝。湘南工大附高ではインターハイ3冠王に輝き、全日本ジュニア選手権も制覇。在学中の08年にプロ転向。11年の全日本選手権に優勝し、12年にはUSオープンでグランドスラム大会デビューを果たす。13年はデ杯代表にも選出され、15年には全豪、ウインブルドンにも出場。2016年から拠点をスペインに移して活動。自己最高世界ランクは143位(2015年1月5日付)、現在は219位(2018年6月11日付)。北日本物産所属。姉の友里加はテニスユニバースの所属選手として活躍中
「前進あるのみ」
トップ300から転落
5月下旬にイギリスのレスターシャー州で開催されたチャレンジャー大会で優勝を飾った。チャレンジャー大会は1年半ぶり3度目のV。4月にはウズベキスタンのブハラでフューチャーズでは6度目となる優勝を手にしていた。27ポイントと90ポイント。この2大会の優勝で一時は356位まで落としていた世界ランクを221位まで引き戻した。自分のテニスができた喜びも大きかったが、うれしかったのは、これでウインブルドン予選に出場できることだった。6週間前のエントリー締め切り直前で滑り込んだ。
「4月下旬から6週連続で大会に出場し、ウインブルドン予選の出場をつかむというのが目標でした。1週目のウズベキスタンで優勝することができましたが、その後はなかなか調子が上がらず、5週目が終わった時点で正直、ウインブルドン予選は厳しいかなと。ですから今後の大会につながるように思いきってプレーをしようと、そう気持ちを切り替えて最後の6週目の大会に臨みました。優勝なんて考えもしなかったですし、とにかく自分の力を出しきろうと。でも試合をするたびに手応えが感じられて、決勝はそれまでのように無欲というわけにはいきませんでしたが、しっかりと勝ちきることができて本当にうれしかったですね。
4月の初めまでは本当に思うようにいきませんでした。テニスが嫌いにはならなかったけれど、すごく苦しい時期でした。1月に何年ぶりかでフューチャーズ大会(エジプト)に出場したんです。すごく衝撃を受けました。水もタオルも与えられず、審判もひとり。世界ランクが下がってしまったから仕方がないのですが、ここにいてはいけないと危機感が募りました」
プロ9年目となる2017年のシーズンは散々だった。序盤で8大会連続の初戦敗退。その後も低空飛行が続き、173位でスタートした世界ランクは年末には349位まで大きくダウンしていた。つらかったのは翌年のオーストラリアン・オープンの予選に出場できないとわかったときだ。2012年のフレンチ・オープンからグランドスラム大会の予選には欠かさず挑戦してきた。それが守屋のプロとしてのプライドでもあった。覚悟はできていたものの、それが現実とわかると、その喪失感は想像以上だった。
「昨年は全豪予選の決勝で負けて、そこから4月まで一度も勝てませんでした。そのうち勝てるだろうと心のどこかで考えてはいたのですが、途中からはもうずっと勝てないのかなと。練習してもダメ、休んでもダメ、何をやってもダメで、どうしていいかまったくわかりませんでした。テニス人生の中で、これだけ負け続けたのは初めてのこと。勝ちたいからプレーもちぐはぐになって本当に悪循環でした。
連敗は止まったのですが、フレンチ、ウインブルドンの予選も1回戦敗退、アメリカのハードコート・シーズンも負け越し、秋には1年前に獲得していた大きなポイントを失ってしまって、世界ランクがドンと落ちたんです。それで全豪に出られないと11月頃にわかったのですが、あのダメージが一番大きかったですね。この5~6年は(グランドスラム予選に)ずっと出ていたので、選手として否定された気がしました。自分はもうダメなんじゃないかと考え込んでしまって…。やっぱりプロとして、最低でも(グランドスラムの)予選の場にはいないといけない。そのために日々、戦っているわけですから」
拠点をスペインへ
ジュニア時代は突き抜けた存在だった。テニスを始めた頃は姉に勝つことだけが目標だったが、いつしか夢中になった。週1回のテニスが2回、3回と増え、テニスクラブの近くに引っ越した。全国小学生大会は準優勝に終わったが、全国中学生大会は優勝。高校時代はインターハイ3冠に輝き、全日本ジュニアのタイトルも獲得した。高校卒業を前にしてプロ転向。大学進学がほぼ決まっていたが、思いきってプロの世界へ飛び込んだ。それは小さい頃からの大きな夢だった。
「プロでやれるかどうかという自信よりも、身体が小さかったですし、いや今でも小さいんですけど(笑)、この身体でプロで戦うには難しいだろうなと思いました。戦える身体というか、準備ができていないと、そこが一番の不安だったので。勢いだけでプロに行っても、その先が続かない。でもやっぱり、やらないでダメと言っているよりは、やってみようかなという気持ちになりました。自分自身の人生ですし、やれる環境があるのならば、やれるところまでやってみようと。
プロ入り当初は何も考えていなかったというか、勢いだけでしたね。たいへんなことも多かったですけど、でもやりたくて飛び込んだ世界だったので苦にはならなかったです」
低い軌道のストロークを巧みにコーナーへと打ち分ける。スピン系ではなく、ライジングの早い展開を武器にする守屋のテニスは独特だった。フィジカル面を鍛え上げ、プロ3年目の2011年には早くも全日本選手権を制覇。すると翌年には予選3試合を突破したUSオープンでグランドスラム大会デビューを果たす。ナショナルチームのメンバーにも選ばれ、デ杯にも出場。世界ランクは150位を突破し、錦織圭、添田豪、伊藤竜馬、杉田祐一に次ぐ『5番手』の位置をつかんだ。だが、トップ100が見えかけてきたところからが苦しく、なかなか勝てなくなった。
「150~200位前後に長くいて、そこで戦い続けることに慣れてしまったというか、新鮮味が持てなくなったり、向上心の部分が少し薄れてしまったように思います。トライしてははね返されて、それを繰り返しているうちにしんどいなという思いが出てきて。気持ちがダウンしたことはないのですが、そこを突破できない自分がもどかしく、苛立ちというか、葛藤というか、そうした時間が続いていました。
それで何か変化を求めていかないといけないという気持ちもあり、2年前に拠点をスペインに移しました。自分に足りないものを取り入れ、どんどん新しいことを吸収しようと。現在は「マスターテニスバルセロナ」で練習して、そのクラブのコーチに見てもらっています。スペインに行って『心のスペース』ができたことが大きい。例えば、僕はどちらかと言うと、自分で何でもやりたがるのですが、そんなにこだわる必要はないんじゃないかと言われたりして。そんな考えにも助けられたり、いろんな選手と練習したり、仲良くなったり…自分の幅が広がって、それはテニスにもよい影響が出ていると思っています」
新しいスタート
トップ300から転落し、グランドスラム予選の扉も閉ざされた昨年末、守屋の気持ちは切れかけた。今年初めのエジプトのフューチャーズ出場は、頭では理解していても身体が拒否していた。試合に入り込めていないのがわかった。ずっと上を目指して戦ってきた。苦しかった昨年、どんなに負けてもチャレンジャー大会にこだわったのは、ポイント獲得のためにフューチャーズ大会に降りてしまえば、そのレベルの選手になってしまう怖さからだろう。6週連続の挑戦は最後の最後で実を結び、守屋はまもなく始まるウインブルドン予選に臨む。
「300位から落ちて、いろいろと悩みました。昔はどうやって、やっていたのかなって。でも過去の自分に戻るよりは、この現状をしっかりと受け入れて前に進むことのほうが大事だなと。チャレンジャーの予選で負けると賞金もポイントもないんです。世界ランキングが下がれば、これまで当たり前にできていたことが当たり前にできなくなることを実感しました。いろんなものを削り、ぎりぎりのところまで考えました。
プロだから結果が一番ですけど、それよりも自分の足下をしっかりと見ていこうと思ったんです。結果ではなく、その過程を重視しようと思えるようになって。何が何でも勝ちたいというよりは、そこから少しだけ距離を置いて、自分のやるべきことをやり続けていこうと。その先に結果があり、それが今回のチャレンジャーでの優勝につながったと思います。でも、まだ200位前半に戻っただけですし、また落ちてしまう可能性もあるわけですから、そうならないようにしないと。新しいスタートですかね。グランドスラム出場という目標は変わらないし、自己最高位(143位)をクリアしてトップ100も切りたい。もう27歳で、若手の部類ではありませんが、まだまだやれると思っています」
トップ300から名前が消え、グランドスラム大会への挑戦が断たれ、フューチャーズ大会からの出直しを強いられた。この半年間に経験した出来事を、守屋は明るく振り返ってくれたが、その途中でポツリと口にした。
「本当は……思い出したくもない」
相当に傷ついたのだろう。見かけとは逆に芯が強く、頑固な性格の完璧主義者。数年前、母親の恵美さんから「小さい頃から、慌てず、焦らず、騒がず、そういう子でした」と聞いたことがある。その守屋の心がこの半年間、大きく揺れ動いていた。ウインブルドン予選がかかったチャレンジャーでの優勝は、まだやれる、まだできるという心の底からの叫びだったのではないか。プロ10年目、本当の勝負はこれからだ。
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