1989年男子シングルス4回戦、17歳チャンがケイレンを克服して王者レンドルに勝つ【AP Was Thereシリーズ⑦】

 彼は第3セットの終わりに脚がつり始めたのを感じたが、痛みがひどくなり始めたのは最終セットに入ってからだったと試合後に明かした。

 そのケイレンのせいでまともにサービスを打つことができなかったチャンはコートの真ん中にソフトに入れるだけしか出来ず、最終セットで2度ブレークされた。しかしレシーブゲームで彼は主にバックハンドのダウン・ザ・ラインのウィナーで可能な限り早くポイントにとどめを刺し、4度に渡ってブレークした。

世界ナンバーワンとして君臨していたイワン・レンドル(当時チェコスロバキア)(Getty Images)

 ポイント間のチャンは許された15秒の間に可能な限りの水を飲み、ベースライン付近を歩き回って筋肉が固くなることを防ごうと努め続けていた。

 チェンジコートの際の彼は、ベンチに座らず立ち続けていた。彼は腰を下ろすことで筋肉が完全に緊張し、棄権しなければならなくなることを恐れていたのだ。

 第5セットの第3ゲームで、チャンは時間を取りすぎたことで警告を受けた。のちに彼が明かしたことによれば、そのポイントで彼は諦める覚悟を決めたのだという。

「あれほど長く踏みこたえられたことに自分でも驚いた」とチャンはコメントした。「警告を与えられたとき、両方の腿がつっていた。もはや続けられないと思ったが、僕は神に祈り、ケイレンが少し収まった。僕は落ち着きを保ち、パニックに陥らないようにしたんだ」。

 母親が観客席から見守る中、最後に彼は疲労と歓喜が交じり合った状態で仰向けに倒れこんだ。

 そしてその栄光の瞬間に、チャンは自分の驚くべきパフォーマンスよりも体の回復を図ることにより気持ちを割いていたのだ。彼の次の相手は、ノーシードから勝ち上がってきたロナルド・アージュノール(ハイチ)だ。

「まだ状況をよく呑み込めていない」と彼は本音を漏らした。「僕は今、ケイレンから回復することだけを考えている。ただ眠りたいよ」。(APライター◎アンドリュー・ウォーショウ/構成◎テニスマガジン)

※トップ写真は1989年のフレンチ・オープンでのマイケル・チャン(アメリカ)(Getty Images)

続きを読むには、部員登録が必要です。

部員登録(無料/メール登録)すると、部員限定記事が無制限でお読みいただけます。

いますぐ登録

Pick up

Ranking of articles