史上最強ブライアン・ブラザーズ・ロングインタビュー「興奮のダブルショット」
(※当時の原文ママ)ふたりで勝ち取ったダブルスタイトルは82を数える。ペアとしての歴代最多優勝のこの記録がすべてを物語っている。アメリカが生んだ史上最強のダブルスペア――一卵性双生児のボブとマイクのブライアン兄弟を直撃した。【2013年3月号掲載インタビュー記事】
インタビュー◎ポール・ファイン、翻訳◎川口由紀子、写真◎Getty Images、AP、BBM
※トップ写真は、ロンドン五輪のダブルスで金メダルを獲得したときのもの。ふたりは1978年4月29日、アメリカ・カリフォルニア州出身で、2分だけマイク(写真左)のほうが早く生まれたため兄となる。
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2012年、USオープンのダブルス4回戦で危うく敗北の危機に瀕したとき、ボブ・ブライアンは極めて重要な瞬間にノーマンズランド(注:守備も攻撃もできないエリア)に入り込んでいた。彼は背面から、そして足の間からの巧みなハーフボレーと驚くべきショットを打ち、それに続けてフォアハンドウィナーを打った。
その勢いの変化がボブ&マイク・ブライアンに第2セットのタイブレークで6-5のリードを与え、彼らにカムバックを引き出させ、その結果、サンチャゴ・ゴンザレスとスコット・リプスキーに対してスリリングな6-7 7-6 6-3というスコアで勝利させた。ボブがその大会で注目すべき好ショットを披露した数日後、一卵性双生児のアメリカ人は優勝し、記録的な12個目のグランドスラムのダブルスのタイトルを獲得したのであった。
彼らはナンバーワンにランクされ続け、それは8年という記録を作っただけでなく、ダブルスに新しい活力を与えた。ショットメーキングのひらめきと元気に胸をぶつけ合うことで、彼らは大会に詰めかけたファンを魅了し、世界中でエキシビションやクリニックを開くことで地道にダブルスの促進を図ってもいる。それゆえ、ブライアン兄弟が8年連続でATPのファンの好むダブルスチームに投票されたのも、驚くべきことではない。
奔放な会話の中で、彼らは南カリフォルニアにおける生い立ち、優秀なライバルたち、ユニークな双子関係、そしてテニスへの生涯続く情熱について、率直に語ってくれた。
両親から受けた愛情
――テニス選手の両親と言えば、称賛に値するジミー・エバート(エバートの父)から、議論を巻き起こすリチャード・ウィリアムス(ウイリアムス姉妹の父)、残酷なマリンコ・ルチッチ(ミリヤナ・ルチッチの父)にいたるまで、さまざまです。あなた方は、ご自分の両親をどのように評価しますか? またその理由は?
ボブ「一般的に言って、テニス界における両親はかなり良好だとマイクも僕も思う。ジュニアをはじめとして大学やプロになってからも、素晴らしい親たちと出会っている。スポーツマンシップは我々のスポーツでは礎石であり、両親やコーチはそのことだけでなく、人生に関する他の教訓も教え込ませようとしている。
そして僕らの両親、ウェインとキャシーは、その最たるものだと思う。ふたりとも高いレベルでテニスをしていた。母はツアー選手であり、16歳の部ではアメリカでナンバーワンであり、18歳の部ではナンバー2だった。そしてウインブルドンのミックスダブルスでは準々決勝まで進み、いくつかのツアーの大会で優勝するなど素晴らしいキャリアがある。父はサンタ・バーバラにあるカリフォルニア大学でナンバーワン・プレーヤーとして活躍しており、最近、UCSB(カリフォルニア大学のこと)の名誉の殿堂入りを果たした。
彼らはまた偉大なコーチであり、ゲームの内外のことを本当に良く知っている。テニスを始めた当初から両親とはとうまくやっていた。彼らは常にどのレベルにおいても、子供の頃から次第に年齢が上がる10歳、12歳、14歳、16歳、18歳まで、そしてスタンフォード時代やツアーに入ってからでも、コーチすることを楽しんでいたと思う」
マイク「彼らには素晴らしい情熱があり、テニスに対する彼らの愛を僕らに伝えてくれた。彼らは日々コーチすることを楽しんでいたんだ。母は毎日12番コートでプライベートレッスンをしてくれ、父もプライベートレッスンをしてくれ、ジュニアクリニックでは毎日僕らを含めたみんなに教えてくれた。カマリロにあるクラブには約85人の子供たちがいて、多くの優秀な選手がいたよ」
ボブ「6歳から毎月曜日にジュニア・チーム・テニスでプレーし、ほとんど週末ごとにベンチュラ郡か南カリフォルニアの大会でプレーした。それからのちになって、全国大会やインターナショナル・ジュニア・レベルでプレーした。僕らはまたダブルスも練習した。両親ともにダブルスをプレーするのが好きだったし、クラブでは多くのダブルスのイベントがあったんだ。ジュニアでは毎週、ダブルスに入り、その試合を楽しんでいたよ」
マイク「両親はまた、スポーツマンシップやテニスの社会的な面を強調したから、クラブ内だけでなく、南カリフォルニアや国中のすべての大会で多くの友人を作ったよ」
ボブ「両親が偉大なコーチであるとともに偉大な両親であると考えるのは僕らだけではない。僕らのプログラムに長年参加している他の子供たちに聞いてごらん。そして僕らの両親のことを知っていた他のジュニアやコーチや親御さんに聞いてみるといい。事実、父の本『あなたの子供を運動競技、アート、そして学業におけるチャンピオンになるように育てること』はよく売れていて、今では6ヵ国で発売されている。どの親御さんにも読んでほしい。マイクと僕はそれを読み、僕らの子供を育てるときに同じ人生哲学を使うつもりだ」
マイク「大切なことは、両親は毎日無条件の愛を与えてくれたことだ。たとえ僕らが勝とうと負けようと、駄目になろうともね。そして彼らはプレッシャーを減らすことが上手であり、それに助けられたところが大きい」
ボブ「彼らは常にポジティブであり続けた。もし僕らがタフな敗北を喫しても、思いやりの気持ちを示してくれ、サポートをしてくれた。落ち込んでいるとき、持ち上げるのがうまかった。常に大きな視野で物事を見ていたんだろうね」
「82個の最多タイトル、12個のグランドスラムタイトル、ナンバーワンでいる最多年数の8年を誇りに思う」(ボブ)
「ナンバーワンでいる最多週の記録も入るね。8年連続で“ファンが好きなダブルスチーム”というのもだ」(マイク)
デ杯への熱き想い
――あなた方は数多くのダブルス記録を持っています。どの記録がいちばん重要な意味を持ちますか?
ボブ「82個というこれまでで最多のタイトルと、12個というオープン化時代で最多のグランドスラムのタイトルと、ナンバーワンでいる最多年数かな。8年という」
マイク「ボブと同じ意見だ。それとナンバーワンでいる最多週の記録も入れたいね。今では300週以上だ。僕らはまた8年連続で“ファンが好きなダブルスチーム”に名前が挙がったことも誇りに思う。ATPは毎年賞をくれたよ」
――パトリック・マッケンローが2010年に回顧録『ハードコート・コンフィデンシャル』を出版していますが、その中で2001年から2010年までデ杯監督をしていた彼が、あなた方のことを『デ杯で緊張し切った仲間を勇気づける人』と呼び、『ブライアンズについてだったら、すべての章を使って書くことができるよ。例えば彼らはチームスピリットの概念を別のレベルに持ち上げてくれたとか……そういうのはデ杯チームにぜひともほしいと願う人材だ』と書いています。デ杯に対するあなた方の情熱について話してくれませんか。あなた方はデ杯では20勝2敗というダブルスの記録を積み上げましたが、それはアメリカの歴史の中では最高です。それに2007年にアメリカがデ杯で優勝するのに貢献しています。
マイク「僕らはテニスのチーム的要素が好きなんだ。子供の頃は27か28のジュニア・チームがあったが、たとえそれがジュニア・チーム・テニスのグループであろうと、地区のチームであろうと、ジュニア・チームでアメリカを代表していようと、チームで活動することはとても楽しいんだ。高校テニスも好きだったよ」
ボブ「スタンフォード(大学)で2年間プレーしNCAAのチームタイトルを両方の年で獲ったことはスリルに満ちた出来事であり、決して忘れることができないだろう。僕らは伝説的で偶像のように慕っていた監督、ディック・グールドと偉大なるコーチ、ジョン・ウィットリンガーのためにプレーするという喜びに恵まれた。ポール・ゴールドスタインをはじめ、素晴らしい仲間がたくさんいたよ」
マイク「僕らはアメリカのためにデ杯で戦うことが好きだ。そんなことは他にはない。土曜日に行なわれる勝敗を決するダブルスの試合にはとても興奮させられる。僕らにとってはグランドスラムの決勝よりもビッグなくらい。週のすべてを準備のためにハードに練習し、最高のプレーができるようスケジュールを組むんだ」
ボブ「20勝2敗という記録を誇りに思うし、2007年にカップをアメリカに戻せたことはいつまでも忘れられないだろう。(1995年の決勝でロシアを破って以来)12年間優勝杯を手にしていないので、12月4日にロシアを破って優勝できたときは本当にうれしかった。その年、僕らは4つの試合で無敗だった。アンディ・ロディックとジェームス・ブレークという素晴らしいチームメイトがいた。また別な機会には、友人のマーディ・フィッシュ、ジョン・イスナー、サム・クエリー、そしてライアン・ハリソンといっしょのチームで戦ったが、それも楽しかったね」
マイク「パット・マッケンローは、いっしょにやっている間、ずっと素晴らしい仕事をしてくれた。ジム・クーリエが率いるチームも心地よかったよ」
テニスと音楽の共通点
――音楽はあなたの人生で大きな部分を占めてきました。そのことについて、そして音楽がどのようにあなたのテニスに影響したのか、またテニスがどのように音楽に影響したのかを教えてくれますか?
ボブ「ふたりとも音楽が大好きだ! 僕はキーボードとベースキーボードを演奏し、マイクはドラムとリードギターとリズムギターを演奏する。学校やジュニアの大会でよく演奏したし、あるタレントショー(注:スター発掘番組など素人の出る番組)で優勝したこともある。演奏だけでなく録音もいい。僕らのCD『Let It Lip(ほっときな)』は世界中で、そしてiTunesでもよく売れたよ」
マイク「小さい頃から父といっしょにテニスを練習し、そしていっしょに演奏もしたが、あの頃はまだピアノやドラムの椅子にちゃんと座ることができなかったね。両親はスポーツあるいは音楽における早いスタートの良さを強く信じていた。また父は、基本やスケールやセオリーにとらわれ過ぎるよりは、一度にひとつの歌を学ぶべきだと考えていた。ボブと僕はいつもいっしょに演奏し、僕らの初めての曲は『Heart and Soul』だった。そしてタレントショーで最初に演奏したのはドン・ウィリアムスの古いカントリー音楽『Oh, Lonesome Me』だったね」
ボブ「テニスと音楽の間には多くの類似点がある。両方とも高い技能があり、多くの練習と集中を必要とする。両方ともクリエイティブであり、感情的だ。そして社会性を含むし、そうあるべきだ。それに両方ともプレーしているときはいい気持ちにさせてくれる」
マイク「違いもいくらかあるよ。ひとつは右脳であり、もうひとつは左脳だとかね。ひとつはより身体的であり、ひとつはいくらか知性に訴える。ひとつは基本的に外でプレーするが、ひとつは常に室内でプレーする」
ボブ「バンド名は『Our Bryan Bros』と言うんだ。バンドは毎年いくつかの場所で演奏する。そして僕らにはオールスター・バンドがついている。アメリカン・アイドルのスターのマイケル・ジョンズ、カウンティング・クロウズのドラマー、ジム・ボギオス、グラミー賞にノミネイトされたナッシュビルのシンガー・ソングライターのジェームズ・スレイター、そして南カリフォルニアのスターミュージシャンでソングライターのジョージ・ホルクロフトがいる。
これらの連中はみなテニスが大好きであり、しばしば彼らといっしょにボールを打つ。またマルーン5の素晴らしいリードギター・プレーヤーのジェームズ・バレンタインともテニスのボールを打ったり、ジャムセッションをしたりして楽しむ。毎年行なう最高の演奏のひとつは、ヒューストンの伝統を誇るリバー・オークスで開かれるUSクレーコート・チャンピオンシップスでの演奏だよ」
マイク「テニスを愛するのと同じくらい音楽を愛すると正直に言ってしまおうか」
――ボブ、結婚して父親になったことであなたの生活はどのように変わりましたか? そしてたぶん人間としてあなたをどのように変えましたか?
ボブ「ミッシェルと結婚してよかったと思う。そして小さな娘のミカエラは僕らの生活をとても豊かにしてくれた。そのふたりの女性たちは僕の人生の中心であり、彼女たちといっしょにいると幸せだと感じる。ミッシェルは子供時代の僕の意中の人であり、クラブでいっしょに育ち、母からレッスンを受けた。僕らはいいチームになった。彼女は僕の人生における愛する人といえる。
もちろん、結婚をして、父親になれば人生が変わる。結婚すれば人生が広がり、新しい視野や物の見方が与えられる。他人の目を通して物事を見るようになる。より幸せになり、より満足する。ミッシェルとミカエラは僕が試合で負けようが勝とうが、ただそこにいてくれる。練習や試合のあと帰宅すると、彼女たちはいつでも素晴らしいし、いっしょに人生を過ごすことをとても楽しんでいる。ふたりをとても誇りに思っているよ。マイクはルーシーと結婚したばかりで、彼らもいいチームとなった。家族にルーシーを迎えられてとてもうれしいし、また彼らにもいつか子供が生まれてくれればいいなと思う」
ダブルスの魅力
――ダブルスの技術と戦術はツアーに参加して以来15年の間に変化しましたか? そしてあなた方と2005年以来のコーチ、デイブ・マクファーソンはどのようにその変化に適応してきましたか?
ボブ「最近、ツアーのダブルスは以前よりもタフだと感じている。僕らが最初に参加したとき、それぞれの身長が193cmと190cmで、サーキットでは一番身長が高いチームだった。それが今では僕らといっしょか、もっと背の高いチームが他に多くあるからね」
マイク「それに加え、多くのシングルスのスターたちが最近ではダブルスに出るようになっている。一般的にテニスと同様に、最近はすべてがよくなってきている。つまり選手はよりビッグになり、より速くなり、よりアスレチックになってきている。サービスもよりビッグになり、リターンはよりハードで正確になってきている。そしてネットでのクイックなボレーには目を見張るものがある。シングルスと同様に最近ではダブルスでもよりパワフルになった。昔のようにバックハンドでチップするリターンでうまく切り抜けることはできなくなった」
ボブ「偉大なダブルス選手になるためには、すべてのショットに秀でていなくてはならない。サービス、リターン、ボレー、スマッシュ、ロブと。極めて完成されたゲームが必要だ。ふたつしか得意なショットがないのでは、成功を期待することはできない」
――あなた方は34歳にして、2012年をナンバーワンのダブルスチームとして終えましたが、それはここ7年において6度目のことです。そのような高いレベルでどれくらい長くプレーし続けることができますか?
マイク「長年の安定した位置をとても誇りに思っている。ナンバーワンには8回、ナンバー2には2回なった。あと3年から5年はゲームのトップに居座ることができると感じているよ」
ボブ「同感だ。もちろん健康でいなくてはいけないが、これまでのキャリアでケガに悩まされることはなかったしね。できるだけいい状態でいるために、そしてケガのせいで無為に過ごすことのないように、定期的にジムでトレーニングをしているんだ」
マイク「そして技術とプレー面で、より良くなろうと常に努力している」
――ATPWorldTour.comのファン投票で、2005年から2012年まで、驚くべきことに8年連続して、一番好きなチームに選ばれました。あなた方は世界中のファンにどうしてそんなに人気があるのでしょうか?
ボブ「他のどの記録にもまして、その記録のことを誇りに思っているよ」
マイク「同感だね! テニスはスポーツであるのと同じくらいにエンターテインメントであるべきことを認識している。もし楽しくなければ、人々はわざわざそれを見にやってこない。アメリカのみならず世界中で多大なファンのサポートを得られる僕らは恵まれており、その事実に感謝している」
ボブ「ファンを愛しているし、ありがたいと思っている。彼らと交流するのは楽しみであり、そのことを当然のことだとは思っていない。サインしたり、試合や練習後に彼らと挨拶を交わしたりすることを常に楽しんでいる。そしてエキシビションやクリニックや顔見せなどで多くのファンと触れ合えることを楽しんでいる」
マイク「常にエネルギーと情熱とともにプレーしようとしているし、ときどき意識して微笑もうとし、また人々を参加させようとしている。常にいいロールモデルであろう、勝負に潔くなろうとしている。そして試合には常に全力投球する。またダブルスコートでパートナーと同じようなウェアを着ることだって重要なことだと考えるし、そうすることを楽しんでいるよ。
シュレブポート(ルイジアナ州)で大きなジュニアのクリニックをしたばかりだ。(69位にランクされている)ライアン・ハリソンの父親でありコーチであるパット・ハリソンがクリニックのあと親御さんたちに話してくれ、息子さんや娘さんにダブルスに入るよう奨励してくれた。僕らの父は、もしダブルスのプログラミング、プロモーション、そしてコーチングがもっとなされれば、テニスをする子供の数を4倍にすることができるだろう、と常に言っている」
ボブ「ダブルスはプレーに広がりと幅を与えるからね。ジュニアにとってダブルスは楽しいし、プレーのスキルの仕上げによく、人生のさらなる教訓を教えてくれる。そしてある若者はただ“チーム的なこと”が大好きだったりする。それに加え、ダブルスはたとえシングルスの試合で負けても、2度目のチャンスを与えてくれる」
マイク「そしてミックスダブルスを忘れてはいけないね。男子も女子も本当にミックスダブルスが大好きであり、そこで学ぶ素晴らしい“人生の教え”もまたある」
「パートナーにはポジティブで協力的なことだけを言う。快適にリラックスして楽しくプレーしてもらいたいからね」(ボブ)
不仲説を一蹴
――シングルスがかつてより一元的になってきている現在、男子のトップ100にはほんのわずかしかサーブ&ボレーヤーがいなくて、大部分はハードヒットするベースライナーで成り立っており、女子ではサーブ&ボレーヤーはひとりもいません。ダブルスはかつてよりも重要になっていますか?
ボブ「サーブ&ボレーは、シングルスでは今や失われたアートといった具合だ。シングルスでは果てしのないラリーが続く。だが、ダブルスではサーブ&ボレーはまだ十分生きている」
マイク「そう思う。だがダブルスのドローにいるシングルスガイを見ると、努力はしているものの、やはりステイバックしていて、それは興味深いコントラストを生み出す。一般的にはベストなダブルスプレーヤーが優勝するものだが、ときどきシングルス(スタイルの)チームが活躍していきなりタイトルを獲ったりするよね」
――2004年にマイクは『もっとダブルスの試合をテレビで放映してほしい』と私に言いました。なぜATPツアーはその後、センターコートにはダブルスの試合を入れないことを条件に、テレビの契約にサインしたのですか? それについてあなたのご意見は?
ボブ「その契約のことは知らないが、多くのダブルスの試合がテレビで放映されていると感じている。にもかかわらずテニスファンは『なぜもっとダブルスの試合をテレビで放映してくれないのか?』と僕らに頻繁に質問するが、それは驚くべきことではない。なぜならば、もし日曜日の朝、どこかのクラブか公園に出かけて行くと、たいていの人々がダブルスをプレーし楽しんでいるのを目にするだろうからね」
――2009年のニューヨーク・タイムズ誌の記事で、2年間スタンフォードであなた方の監督を務めたディック・グールドさんが回想しています。『彼らのひとりが左利きだという以外は』、それはボブのことですが、『ふたりは別々の人間と認識するところまで行かなかったね』と。双子でない人は双子であることがどんなだか知りませんから、グールドさんが言われたことについて読者に教えてくれますか? そしてある人々があなた方に対して向けるそのような態度が、あなた方はもちろん“ふたりの別々な人間”なのですから、何かアイデンティティの問題を起こしますか?
ボブ「僕らは偉大な人物ディック・グールドのためにプレーするのは光栄に感じていた。彼からテニスや人生についてとても多くのことを学んだからね。ほんとうに素晴らしい人であり、素晴らしい監督だ。だが、彼は僕らを分けて考えるのにトラブルを抱えていたようだ。僕らのことを“ルーキーズ”と最初の年に呼んだ。そして彼はたいていの1年生のプレーヤーにそうしたが、2年生になってもまだ僕らのことを“ルーキーズ”と呼び、それが真実を語っていた。つまり僕らのことが区別がつかなかったんだ。
マイク「他の多くの人々と同じで、僕らのことをふたりの別々な人としてではなく、ひとつの存在物として、考えているようだ。だがそのことは大丈夫だし、理解できる。人々はブライアン兄弟がプレーしているのを見に会場に行きたがるんだ。ボブ・ブライアンあるいはマイク・ブライアンとして出るエキシビションや試合に行きたがるわけではないからね」
ボブ「マイクと僕は、僕が結婚するまでは、これまでの人生で別れて過ごしたのはほんのわずかな日々しかない。現在、僕はフロリダに住み、マイクは多くの時間をカリフォルニアで過ごすが、僕らは1年のほとんどの日々や週をコートでいっしょにいる。銀行の預金口座も分かち合っていたし、車も家もキャリアもそうだった。すべてをね! そして僕が結婚したとき、すべてを分けるのにしばらく時間がかかったが、それはうまくいった。人生の前半をひとつのユニットとして僕らは過ごし、今、後半を個人として生きている。それがこの世界でのやり方であるし、そうすべきなんだ」
マイク「それぞれに妻がいて、家族を持つが、それでも僕らは親密であることには変わりない。ボブと僕はいつもダブルスコートにいるし、同じバンドにいていっしょに演奏し、テニスのエキシビションやチャリティイベントをいっしょにするから、たいていの一卵性双生児よりもより親密だと思う。いいニュースは、僕らはいっしょにいることが好きだということ。双子でない人々が僕らのことを真に理解するのは難しいだろうけど」
――兄弟間のライバル意識は良くも悪くもなり得ます。お互いを心から愛し合っている一方で、ときには口論や身体的な争いにさえ、発展したとか。ですから双子や普通の兄弟がダブルスを組むときにはどんなアドバイスをしますか?
ボブ「真実を言えば、身体的な争いのすべてがプレスのでっちあげであり、煽り立てられた類のことだ。僕らが口論したり問題があったりすると、常に彼らは煽り立てようとするが、僕らが知っているどの兄弟よりもうまくやっているというのが真実だ。何年も経つうちに別れたダブルスのチームを見てごらん。時が経つにつれ彼らはうまくいかなくなる。でも僕らはうまくやっているじゃないか」
マイク「そういう問題はいつだってメディアによって大袈裟に騒ぎたてられることが多い。僕らはこれまで問題とか短い喧嘩があっただろうか? もちろん、稀にはあったかもしれないが」
ボブ「ダブルスのチームへ僕らがアドバイスすることがあるとすれば、一番のアドバイスは、コートでは口をつぐめ、ということだ。パートナーにはポジティブで協力的なことだけを言う。パートナーには快適にリラックスして楽しくプレーしてもらいたいからね」
マイク「昔、10歳の地区大会のダブルスの決勝の第2セットと第3セットの間のブレークで、父から『いいか、君たちはコートで今お互いに口論をしているが、今日はもうコートでうまくやる必要なんかない。あるいはテニスをするときはいつでも好きにすればいい。勝ちたいと思わないのならね』と言われた。僕らはイライラする気持ちよりも勝ちたいという気持ちが常に強かった。だからそのアドバイスを決して忘れなかった。それは絶大な力を持っていたから、考える余地もなく自動的に従わなくてはならないものであり、ダブルスのコートで続けるべき唯一の方法となったんだ」
「ダブルスは子供たちのテニスのスキルの仕上げをする。ダブルスで秀でるにはすべてのショットを必要とし、ダブルスは人生に関する教訓を教えてくれるからだ」(マイク)
大学テニスの重要性
――アメリカは2003年のUSオープンでアンディ・ロディックが優勝して以来、男子のグランドスラムのチャンピオンを輩出してきませんでした。トップ30にランクされた唯一の女子は、31歳のセレナ・ウィリアムズを別としては、26歳のウズベキスタン生まれのバーバラ・レプチェンコだけです。もしあなた方がUSTA(全米テニス協会)の選手開発計画に関わるとしたら、チャンピオンを育てるために何をしますか?
ボブ「いくつかあるね。子供たちにはできるだけ多くの機会に大学の試合に行くようにさせたい。僕らの父はよく言っている。『チャンピオンは耳ではなく目を通じて取り入れるんだ。チャンピオンになることを夢見るのだったら、まずチャンピオンのプレーを見なくてはいけない。そしてそれを達成する前に、まず気持ちの面で情熱的に取り組まなくてはいけない』と。
だからエキサイティングな大学のテニスの試合に出かけることは30日の練習に匹敵する! クラブのすべてのジュニアや大人をかき集め、バンか大きなバスに乗り、できるだけ頻繁に行くといい。そうすれば彼らはこれまでになく熱中してクラブに帰り、翌日にはかなりいいプレーをするだろう。もっとも高いレベルで戦われた試合を見ることでかなりのことを吸収するはずだ」
マイク「大学の試合は宝物だ。多くの熱意がある。多くの努力がある。6人の男女がいっしょにチームを引っ張り、彼らが持てるすべてをそれに与える。そしてチーム面はとても素晴らしい。オンコート・コーチングもまた素晴らしくダイナミックだ。大学のテニスをサポートする必要があるだろうね。協力とか参加、熱意が必要とされるだろう」
ボブ「ジュニアをプロの試合に連れていくべきだと思う。USオープンに、デ杯に、そしてフェド杯の試合に。あるいはフューチャーズやチャレンジャーの大会、ワールド・チーム・テニスやプロのエキシビションに。もし小学生だったら、地域の高校の試合を見に行くといい」
マイク「僕らはまたジュニア・チーム・テニスの熱心なサポーターでもある。子供たちはチームの一員となることが好きだし、テニスというのは偉大なチームスポーツだ」
ボブ「それにかなり早い段階にスタートすることがいいと思う。10歳ではなく、3歳や4歳や5歳のように。僕らは6歳でプレーして大会に優勝した。また音楽もたいそう早い年齢で始めているんだ」
マイク「ダブルスの大会がもっと多くあれば、子供たちの気持ちをかきたて、それをもっと楽しいものにできる。ダブルスは子供たちのテニスのスキルの仕上げをする。なぜなら、ダブルスで秀でるにはすべてのショットを必要とし、ダブルスは人生に関する教訓を教えてくれるからだ」
ボブ「トレーニングは楽しく、エキサイティングであるべきで、退屈でつまらなくするべきではない。カリスマ性があり、ダイナミックで情熱的なコーチを連れてきてくれ、そうすれば素晴らしいジュニアが続々と輩出するだろう」
マイク「そして僕らの両親がしてくれたことは本当によかったと思う。家にはテレビやコンピューターゲームがなかったんだ!」
強かったダブルスペアは?
――長いキャリアで対戦した中でどのダブルスチームがトップ3でしたか? そしてそれぞれを倒すのにどんな所が難しかったですか?
ボブ「もちろん、ウッディーズ(マーク・ウッドフォードとトッド・ウッドブリッジ)をトップに持ってくるべきだ。安定していながらクリエイティブなダブルスをプレーした本当に素晴らしいチームだ。彼らはすべてにおいて優秀であり、とてもスマートなチームだった」
マイク「プロになりたての頃はウッディーズに3回続けて負けることもあった。たいていの場合、第3セットで6-7とかで負けるんだ。サンノゼでついに彼らに6-3 6-2で勝ったときは、実力が迫りつつあることがわかった。ウッディーズの素晴らしさ、テニスでなしたことを尊敬し、称賛している。彼らのことは大好きだね」
ボブ「マーク・ノールズとダニエル・ネスターもそうだと言うべきだね。彼らとは35回から40回くらい対戦し、常に素晴らしい試合を繰り広げたが、僕らがナンバーワンになる前は彼らがナンバーワンだった」
マイク「ノールズは優れたリタナーでありボレーヤーだった。ネスターには素晴らしい左利きのサービスがあり、素早い反応でボールに飛びつくことができた」
ボブ「リッキー・リーチ、マヘシュ・ブパシ、レアンダー・パエス、そしてマックス・ミルニーといった偉大なプレーヤーと競ったことも素晴らしいことだ。それにロジャー・フェデラーとダブルスコートでいっしょに戦えて楽しかった。彼を5回倒したことがあるんだ。ラファエル・ナダルには負けたことはなかったが、彼はビッグなグランドストロークとヘビーなリターンを持っているので、タフなダブルスプレーヤーだと見なしている。僕らは先週、ブラジルのサンパウロの記者会見に居合わせたとき、ロジャーが僕らのダブルスのキャリアと仕事の美学について何かとても親切でポジティブなことを言ってくれたことに、すごく感謝している」
――ふたりともグランドスラムのミックスダブルスで優勝しています。いっしょにプレーして最高の女性は誰ですか? そして彼女たちとのプレーを効果的で面白くさせたのはどんな点ですか?
ボブ「7つのミックスダブルスのタイトルを獲ったことを誇りに思っているんだ。6人の異なるパートナーと組んだことがあるが、2006年のUSオープンでマルチナ・ナブラチロワと組んで優勝したときに、彼女の最後の(そして59個目の)グランドスラムのタイトルを獲るのに協力できたことはうれしかった。彼女はまるで神のようにボレーができ、すべてのリターンをし、左手で打つ(ファースト)サービスを常にインにできた」
マイク「僕は3回優勝した。すべてリサ・レイモンドと組んでだ。彼女のことを“マネー”と呼んでいたが、素晴らしいボレーヤーであり、リターンやファーストサービスにミスがなく、安定したバックハンドでのリターンがある。ガッツがあり、コートではとても楽しいテニスができた。僕らはUSオープン、フレンチ、そしてウインブルドンのタイトルを獲った。またロンドン・オリンピックでは銅メダルを取り、そのことを誇りに思う。ファンはミックスダブルスを楽しんでいるようだ」
――ボブ、USオープンの4回戦でサンチャゴ・ゴンザレスとスコット・リプスキーに勝った試合の第2セットのタイブレーク、5-5のところで、あなたはノーマンズランドで背面からで足の間からの驚くべきハーフボレーをし、それに続いてフォアハンドのウィナーを打ちました。なぜそんなにリスキーなトリックショットを打ったのですか? 思い返してみると、もしあれをミスしていたら、あの試合を失うことだってあり、4度目のUSオープンのタイトルだってわからなかった。マイクやコーチやお父様は、そのことについて後で何か言いましたか?
ボブ「あれは大きなターニングポイントだったね。でも僕は何年もの間、ああいったショットを他でもしてきた。コートではクリエイティブでありたいから常にリラックスしている。もしあれをミスしたら、僕らは負けていただろうが、父は後でとやかく言わないことがわかっていた。母やマイクやデイブも同じだ。
すべてが瞬間的に起きたのであり、まったくの直感だった。だけどそのショットには全面的に自信があり、それから内角から外角に逸れる厳しくワイドなフォアハンドでは、父はそのショットのことを“ディキシー・ドゥードル(注:アクロバット的なショット)”と呼んでいるんだが、練習では多くの時間をそのショットに費やし、それは多くの競った試合で勝たせてくれた。必要なときにそのショットが自由に打てるように、コートの中央に早めに陣取っておかなくてはならない」
――素晴らしかった2012年の秘訣のひとつは、タイブレークでの30勝8敗という記録とスーパータイブレークでの6勝3敗という記録でした。なぜあなた方はタイブレークでそんなにうまくいくのですか?
マイク「いつでもある程度のプレッシャーのある状態で練習している。父は常に日々の練習やクリニックでするドリルやゲームではいくつかポイントを置いている」
ボブ「タイブレークでは常にかなりリラックスしていて、それが大きな鍵だ。プレッシャーには慣れていて、それはこのスポーツの一部であることを知っているからね。友人のビリー・ジーン・キングはいつでも『プレッシャーはひとつの特権よ』と言っているが、僕らもそれに同意する。父は『プレッシャーがあったほうがうまくなる』と常に言っており、また『ガッツがなければ、栄光もない』とも言っている。母などは『タイブレークを制すれば、大会を制するわ』と言っているくらいだ。
待望の金メダル獲得
――あなた方は模範とすべきチャリティの仕事をしているアンドレ・アガシのことを称賛していると言いました。あなた方はチャリティとして何をしてきたのか、そしてなぜそうするのか話してくれますか?
ボブ「アンドレのことはひとりのプレーヤーとして、そしてひとりの人間として、常に尊敬し称賛してきた。彼はチャーター・スクールとかラスベガスの子供たちのために素晴らしいことをしてきた。それが僕らの世代、アンディ、ジェームズ、マーディ、そして僕にとって刺激となった。だからこそ今、みなチャリティをしているんだ」
マイク「僕らのブライアン兄弟基金は過去数年で300万ドルばかり集めてきて、ベンチュラ郡、南カリフォルニア、そして国中で、子供のプログラムを助けてきた。そしてツアーの友人たちのチャリティを助けるために、あらゆる種類のチャリティ・エキシビションや顔見せをしてきたよ」
ボブ「エルトン・ジョン・エイズ基金、ティム&トム・ガリクソン基金、アンドレ・アガシ基金、アンディ・ロディック基金、ジェームズ・ブレーク基金、マーディ・フィッシュ基金、パム・シュライバー基金、ほかたくさんの基金にお金と時間を寄付してきた」
マイク「ジュニアの、医学の、そして救済のプログラムのために他の多くのエキシビションやクリニックを開いてきたよ。例えばシルバー・ライニング基金、マーティ・ヘネシー・ジュニア・テニス基金……。詳細は僕らのサイトで知ることができるよ」
――ロンドン・オリンピックで、ミシェル・ロドラとジョー・ウィルフリード・ツォンガを6-4 7-6で破って金メダルを獲得したとき、ボブは『これは僕らのキャリアで最大の勝利だ』と言いました。なぜ、そう言ったのですか?
ボブ「すべてのグランドスラムで優勝しており、実に数多くのダブルスの記録を持っているが、アテネのオリンピックではメダルを獲得できなかったことにとても落胆していた。そして北京オリンピックでは銅メダルを手にしただけなので、ふたたびがっかりした。両方とも僕らは第1シードだったからね。そしてロンドン・オリンピックでも第1シードになることがわかっていたので、なんとかその壁をぶち壊したかったんだ」
マイク「ある大会を指して、そのタイトルを獲るつもりだと言うことは難しいが、2012年に入り、僕らは金メダルを目指していると公言した。それが僕らの一番の目標だったから、それを獲得したときはとても興奮したよ」
ボブ「同感だ。これまで金メダルを獲ったことがなかったからね。それは非常に大きい意味があった。それに加え、金メダルを手にすることは僕らのキャリアのてっぺんにチェリーでトッピングするようなものでね。とても満足のいくものだった。そしてそれがウインブルドンでという事実が、より特別な意味合いを持たせてくれた」
――金メダルを獲得したあと、マイクが『ウインブルドンのセンターコートでプレーすることと、金メダルを獲ることは、夢がかなったということ。僕らは明日引退することだってでき、残りの人生を顔に大きな微笑みを浮かべることもできる。これはあなたたちに捧げます』と言いました。なぜ金メダルを獲得したオリンピックのパフォーマンスを両親に捧げたのですか?
ボブ「両親に述べたあと、人々から多くのコメントをいただいた。両親は決して感謝の言葉を要求したり期待したりしていないが、他のすべての記録とともに金メダルを獲得したことは、僕らを頂点に押し上げたわけで、そろそろ公の場で感謝すべき時がきたと思ったんだ」
マイク「ふたりともたいそう感動してくれた。そしてボブと僕はそのことを彼らに言えてよかったと思っている。両親はこれまで本当に偉大なコーチであり、よき師であり、よき両親だった。もし彼らがいなかったら、これほどのことを達成できなかったことは明らかだ。彼らが正しい方向に導いてくれた。僕らはテニスを愛している。音楽を愛している。人々を愛している。そして両親を愛しているんだ」
ボブ「同感だね」
表1/ブライアン兄弟82勝の軌跡
表1の赤色はグランドスラム大会&オリンピック、青色はマスターズ・シリーズ、黄色はツアー最終戦と、ビッグトーナメントを表す。表2、表3の赤文字は現役選手。記録はすべて2012年シーズン末までのもの
表2/ダブルス優勝回数(チーム)
表3/ダブルス優勝回数(個人)
マイクは2002年、マヘシュ・ブパシ(ロングアイランド)、マーク・ノールズ(ノッティングガム)とペアを組んで優勝しているため、ボブより2勝多い
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