台湾系アメリカ人で、敬虔なクリスチャンとして育ったチャンは、その言動そのものは典型的なアメリカの優等生的な人物だが、ルーツであるアジアには特別な思い入れもあると常々話していた。日本の大会にも90年の初来日以来、ケガで来られなかった97年を除いて引退する前年の02年まで毎年参戦しては、多くのファンの期待に応えて熱い試合を見せてくれた。

 チャンが日本で最後にプレーしたのは02年のジャパン・オープン。すでに翌年限りでの引退を発表していた彼は、2回戦でレイトン・ヒューイットに敗れた後の記者会見で「僕が何度も日本にやって来たのは、日本やこの大会が大好きだったからで、選手というのはそういう気持ちがないと、何度も同じ大会に出たりはしないものなんですよ」と話していた。

 記者会見が長くなり、ATPの係員が質問を打ち切ろうとしたのを手で制したチャンが、「まだ大丈夫。いくらでも話すから何でも質問して」と話していた姿が忘れられない。彼は日本に数多くのファンを持った選手だったが、彼もまた日本のファンを大事にしていた選手だった。

 そんな彼が今はコーチとして、錦織圭を支えているのかと思うとまた別の感慨も湧く。錦織とチャンではプレースタイルはまるで違うと言ったほうがいいが、どんなに追いつめられていても、常に勝利のためにその頭脳をフル回転させ、自分の手札を最大限に使い切って突破口をこじ開けようとする姿勢は実によく似ている。稀代の勝負師の系譜は、こうして受け継がれていくのだろう。

続きを読むには、部員登録が必要です。

部員登録(無料/メール登録)すると、部員限定記事が無制限でお読みいただけます。

いますぐ登録

Pick up

Ranking of articles