セレナを変えた男_パトリック・ムラトグルー インタビュー
(※原文まま、以下同)2012年ロラン・ギャロスでよもやの初戦敗退となったセレナ・ウイリアムズ。以前も〝赤土″との相性はよくなかったが、これが大きな岐路になった。ここで手を差し伸べたのがフランス人コーチのパトリック・ムラトグルー。世界のトップコーチとは違う経歴を持ち、ビジネス界から転身。選手の個性を尊重して、一人ひとりに合わせてアプローチする。109勝5敗のレコードが示すように、この2人の相性は抜群で、かつてを上回るほどの快進撃が始まった。【2014年1月号掲載】
SPECIAL INTERVIEW
パトリック・ムラトグルー
セレナを変えた男
インタビュー◎ポール・ファイン 写真◎小山真司、毛受亮介、BBM、AP、Getty Images
Patrick Mouratoglou|PROFILE
1970年6月8日生まれ。1996年、自身のテニス・アカデミーを創立。ジュニア時代から教えたマルコス・バグダティスは2006年オーストラリアン・オープン準優勝。アラバヌ・レザイ、ジェレミー・シャルディ、ローラ・ロブソン、グリゴール・ディミトロフなど世界で活躍する選手たちを多数指導する。2012年フレンチ・オープン終了後からセレナ・ウイリアムズのコーチとなり、ウインブルドンで初のグランドスラム・タイトルを獲得
2001年のジル・ミュラー、2003年のマルコス・バグダティスなどグランドスラム・ジュニア優勝者を育ててきたムラトグルーがプロのコーチとして認められたのは、そのバグダティスがオーストラリアン・オープンで準優勝したときだろう。
教え子のアナスタシア・パブリウチェンコワ、アラバヌ・レザイ、ジェレミー・シャルディ、ローラ・ロブソン、グリゴール・ディミトロフらが順調に結果を残してきたが、グランドスラムで勝つ選手を育てたいというムラトグルーの願望は、昨年ついに思いもよらぬ形で実現する。
2012年のロラン・ギャロスでまさかの初戦敗退を喫したセレナ・ウイリアムズ。この敗戦に動揺したセレナは、2日間ホテルから出てこなかったほどだった。オーストラリアン・オープンでも4回戦で敗れており、もう一度輝きを取り戻すために、技術、戦術、メンタルなどすべてをやり直す決意で、パリ近郊のムラトグルーのアカデミーでトレーニングを始めた。
ふたりの相性は抜群だったようだ。復活のために必要なものを探り、そして、それがすぐに結果として表れる。知り合ってから17ヵ月の間に6大会中4大会でグランドスラム制覇。しかも、ロンドン・オリンピックでは単複で金メダルを手にした。その他にも12個のタイトルを獲得し、マッチ成績は109勝5敗と驚くべき数字を残している。
セレナはムラトグルーのことを「何か特別な関係」と話しているように、プロのコーチと選手という関係と同時に、フェイスブックの写真からはロマンチックな間柄だということが伝わってくる。
この43歳のカリスマコーチがいかにして成功を手にしたのか、セレナの復活に必要だったものは何なのか、すべてを語り尽くしてくれた。
コーチは結果を
出すために雇われている。
選手を非難するのは
コーチの態度ではない。
ラケットを手にしたとき
こみ上げてきた感情
――15歳まで有望なテニス選手でしたが、突然テニスをやめ、7年間ラケットさえ握っていなかったそうですね。
「両親はテニスが大好きで、非常に楽しんでいたと思います。だから、毎週末、彼らとテニスクラブに行っていました。しかし、私が上達するにつれて、彼らは私の将来に不安を持つようになったのです。プロを目指すのが正しい選択なのか、私に真の実力があるのかもわからない。また、たとえ才能があったとしても、それを成長させるための手段を知らない。だから、両親が成功していたビジネス界を見据え、勉強に専念する方がいいという選択をしたのです。だから、プロのコースには進まず、楽しむだけのクラスでテニスをしていました。でも、プロを目指せない環境でテニスを続けることは無理でした。だからテニスはやめることにしたのです。
7年後、私は父の会社で働くことになり、そこで友人とテニスをプレーする機会があり、ラケットを久しぶりに手にしました。その瞬間ですよ。私がどれだけテニスが好きなのかを思い知ったのは。こみ上げてくるものがあったのです」
――次のターニングポイントが26歳のとき。父親の会社を引き継ぐ可能性があったのですが、これを断っています。
「父の会社に6年間務めた頃です。最初は基本的なことからスタートして、徐々に責任ある仕事を受け持つようになり、25歳でグループ会社の統括を任された。父は“私とともに新たなビジネスを始めないか”という話もしてくれた。非常に光栄なことでしたが、そのときに正直な気持ちを伝えました。私はテニスと生きていく運命にある、と。かつてそのチャンスを逃したので、2度とそれを逃したくない。そのために何から始めようかというはっきりしたプランはなかったのですが、まずはテニスアカデミーを立ち上げたいと思っている、と言いました」
――新聞によれば、『俺は世界で最高のコーチになり、グランドスラムチャンピオンを育てるつもりだ』と友人に話したところ、『頭がおかしくなったんじゃないか、何もわかっていない』と言われたそうですが、どうしてそれほどまでの自信を持てたのですか。
「私は物事をポジティブにとらえるタイプです。やりたいことは何でも叶うと考えてきました。やる気に満ちて、それに没頭できる環境があるなら、あとは時間の問題だとね。もちろん、友人たちの反応にショックを受けたけど、必ず成功させるつもりだったので、逆に彼らを驚かせることになるだろうなと思っていました。そんなプラス思考は仕事上での強みだったし、テニスの仕事でも生きるんだと言い聞かせていました。選手に自信を与えるためにサポートしていますが、常に選手たちを信じています。彼らの願いは必ず達成できるはずだと」
――自身は叶わなかった成功を、教え子たちが代わりに果たしてくれる。そういうモティベーションは大きいのでしょうか。
「私のテニスとの出合いは大きなフラストレーションとともに始まったのです。しかし、そういうフラストレーション自体がやがて大きな原動力になることがある。人生の苦しみを糧にして、乗り越えることも可能でしょう。名選手にはなれなかったが、名コーチにはなれると信じていましたから」
――あなたの著書の中で、2006年オーストラリアン・オープンでマルコス・バグダティスが決勝に進出したことが、あなたのキャリアに大きな影響を与えたとあります。
「マルコスとの出会いはフランス・タルブでの14歳以下の世界大会でした。彼の戦い方、テニスとの向き合い方、コート上でのしぐさにまで好感を持ちました。素晴らしいプロ選手になるという直感もあった。彼はキプロスで生まれ育ったのですが、そこにいたままでは世界のトッププレーヤーにはなれない。彼の父も、海外に出してもいいという意見を持っていたので、こまめに連絡を取るようにしたのです。それが始まりでした。私のアカデミーに来てからは、16歳でヨーロッパ王者になり、2年後の2003年にはオーストラリアン・オープンのジュニアで優勝しています。
当時、私たちは非常に強い信頼関係を築いていました。私自身、第二の父親ぐらいのつもりでした。ただ、当時はマルコスが世界王者になると思っていた人は誰もいなかった。2006年には、最後はロジャー・フェデラーに敗れましたが、ロディック、ルビチッチ、ナルバンディアンなどを破ってオーストラリアン・オープンの決勝にまで進出しました。当時21歳、13歳で母国を離れたキプロス人の活躍で、私のアカデミーも世界的に知られるようになったのです。そんな状況で仕事をするのは初めてでした。
そもそも、私はプロ選手としての経験もなく、コーチとしても知られていなかった。世界中にある、例えばニック・ボロテリーのような大規模なジュニア・アカデミーとは違った考え方で運営してきました。端的に言うと、高いレベルの選手を多く育てるのではなく、それぞれの持つ個性を伸ばすことを第一にしました。高いレベルの選手なら皆、素晴らしいショットを持っています。我々の役目は、そういう選手たちが効果的に試合で力を発揮できるように、細部にまで気を配り、彼らがより高いレベルにいくための方法を考えることです。選手によってアプローチは違いますが、それが個性になっていくと思います。マルコスが成功を収めたことで、私のコーチングシステムが機能していることを証明してくれたし、結果が出たことで私自身のステータスも上がり、以前よりも信頼されるようになりました」
結果の責任はコーチに
選手を深く知るのも必要
――あなたは自分の仕事を、全般的な知識を土台に専門職として働く医者に喩えることがあります。
「コーチは選手を成長させるために、すべてのプロセスの中心にいます。コーチは技術、戦術を誰よりも理解していなければならないし、心理学、フィジカルトレーニング、栄養学などもそうです。選手にかかわるすべてのことを理解していなければならない。ここで重要なのは、様々な分野の専門家を雇うとしても、決定をしたり助言をするのはコーチ自身であるべきだということです。選手のことを細部まで知っているのはコーチだし、鍛えていく上で、いろいろな効果、相互作用も見込めます」
――コーチの「7つの掟」というものを説明していますが、それはどんなものなのですか。
「アカデミーではジュニアやプロ選手たちを教えてきましたが、年々、その方法も進化しています。『7つの掟』のオリジナル版は、現在『コーチの10の責任』に発展しています。勝つコーチになるために、どのように考え、組織し、分析していけばよいかを説明するものです。ここですべてを説明することはできませんが、ふたつほど例を挙げましょう。
最初のもっとも重要な責任は、本のコーナータイトルにもしています。それは、『コーチは結果に責任の持てる人間』です。負けた選手を非難しているコーチを見ることがあるでしょう。彼らはもっとも重要なことを忘れているのです。コーチは結果を出すために雇われている。つまり、選手に不平をもらすというのはコーチの態度ではありません。自分の責任だと感じたコーチは、解決方法を探します。選手を非難するコーチは言い訳を探しているに過ぎないのです。これをもう少し発展させて考えるなら、選手たちにも同じ状況があります。テニスコートに不満を爆発させたりしていませんか。これは、私のルールの1番目にあたるのですが、これを理解してもらえば、成功への基本になります。
私がコーチとしてのキャリアをスタートさせた頃、WTAランク500位くらいの女子選手をコーチしたことがあります。彼女は多くの試合を投げ出していました。私がコーチをしてきた中でも最悪の事態です。『あれほどいい練習をしているのに、自分からやめてしまうとは。そんなことでランキングなんか上がるものか』と言うことはできましたが、その有害で非効率的な行動を止める方法を見つけるのが、私のミッションだと感じました。
ある日、私のアカデミーの多くの選手たちの前で彼女は試合をしたのですが、そこでも途中で投げ出して負けました。試合の1時間後、彼女とテーブルにつき、試合の反省会をしました。
『君の試合が他の人たちにどのように見えようと、それは関係がない。でも、ランキングを上げるための最良の方法ではないのではないか。そうさせたのは私の過ちでもあるが、決してやるべきことではない。この試合のために十分な時間を与えられなかったかもしれない。だから、次はもっとそういう時間を作るつもりだ。他の誰よりも勝ってほしいと思っているから』。そういったことを話しました。そこで彼女は、ようやく自分のしたことを後悔したのです。
彼女は以前の自分に戻ろうと努力を始めました。だから、私もそれ以上は何も言わず、ただサポートしました。彼女はキレたり、投げ出したりするような行為をやめました。認めてもらいたいと思うようになったからです。しばらくして、彼女はランキングを上げ始めたのです」
――もうひとつの「責任」は何でしょうか。
「もうひとつは『選手の世界に入ること』です。結果を求める前に、各々の選手の過去を知り、試合をどのようにとらえているかなど、知っておくべき情報があります。どの選手にも同じ言葉が使えるわけではありません。過去のケガや両親との関係、長所や短所…。すべてを知るには多くの時間も必要です。中途半端に情報を集めただけですべての決定を下すのは、リスクをともないます。だから私は、常に時間をかけてからスタートするようにしています」
――クレー、2種類のハードコートと、あなたのアカデミーは多様なサーフェスに対応しています。
「私のアカデミーにグラスコートはないのですが、それ以外はすべてあります。プロ選手にとって、トーナメントと同じサーフェスで練習するのは重要なことです。若い選手にとっては、いろいろなことが学べるという点でクレーがベストでしょう。簡単にポイントを得られないサーフェスなので、戦術が必要になってくる。そういう勉強にも最適ですね。高いレベルになっても生かせることです」
――あなた自身のスタイルを構築する上で、影響を受けたコーチがいたら教えてください。
「これまでに多くの素晴らしいコーチたちと出会えてよかったと感じています。アカデミーを始めた最初の6年間は、ボブ・ブレットが手助けしてくれた。彼からは、この仕事の鍵となる部分を学びました。その後、ピーター・ラングレン、トニー・ローチたちのような素晴らしい人たちから学ぶことができたのは本当に感謝しています。ただ、もっとも影響を受けたとするならば、サッカーコーチのジョゼ・モウリーニョでしょうか。彼のアプローチ、プロ意識、試合への準備は、常に私を鼓舞してくれます。サッカーのコーチングはテニスよりも進んでいると感じています。だから、私のコーチングはよりサッカーのコーチングから得ているものが多いと思います」
クレーの好成績は
ハードワークの賜物
――昨年のフレンチ・オープンで、あなたとセレナはどのようにして知り合ったのですか。
「セレナがビルジニ・ラザノに1回戦で負けたあと、彼女はパリに2、3日滞在していたと思います。そして、彼女の方からコンタクトを取ってきて、私のアカデミーを訪ねてきました。彼女は、自分の戦い方をどう思うか、改良すべき点はどんなところか、といったことを聞いてきました。ラザノ戦で見られた技術的なことを伝えると、『オーケー。じゃあコートでやってみましょう』と。だから次の日、私が気になる技術的なポイントを中心にトレーニングをしました。ディミトロフのためにウインブルドンに行ったときも、可能なら手伝ってくれないかと言ってきた。彼女は、『グランドスラムでもう一度勝ちたい。それができるなら何でもする』と言ってきたのです。そこまで言われたら断ることはできません。断る理由もなかったし、私たちのコンビを妨げるものは何もありませんでしたから」
――『セレナの発言を言葉通りに受け取れば、常に間違うことになる。その裏を読まなければならない』と言っていました。彼女の複雑な性格をどう分析していますか。
「彼女は“レディ”なのです。ご存知のように、レディは自分たちが欲しいものを相手が想像し、そのためにできることを考えてほしいのです。彼女のもうひとつの個性は、女性的で、ナイスで、楽しいキャラクターを演じることができる。ただ、もっとすごいのは、いったんコートに立てばキラーにもなれることです」
――2002年に初めてフレンチ・オープンを優勝した後、赤土での成績は伸びませんでした。その後、7回のロラン・ギャロスで準決勝進出は1回だけです。今年のロラン・ギャロスで、あなたとセレナはそれぞれどのように考えていましたか。
「チャールストン、マドリッド、ローマと、クレーの前哨戦で結果を出していたので、獲れないタイトルではないと思っていました。だから、過去のことはすべて忘れて臨みました。彼女の新たな歴史の1ページにするためにも、現在にフォーカスする必要がありました」
――2013年のセレナはクレーシーズンで無敗。もっとも相性の悪いコートでしたが、何が起こったのですか。
「まず、我々の今年のゴールはロラン・ギャロスの優勝でした。ご存知の通り、彼女のキャリアの中で、もっとも難しいグランドスラムでしょう。それは2004年から2012年までの成績を見ればわかることですが、私はクレーでこそ最高のプレーが出せると思っていました。クレーは我慢がポイントになるサーフェスです。そのため、徹底的にフィットネスを上げたので、クレーでもハードコートと同じぐらいのショットを打つことが可能になりました。本当に想像を超えるほどのフィットネスレベルで成果を上げたのです」
セレナを飛躍させた
スポーツの原点
――セレナに、あなたとのロマンスの可能性を聞いたところ、喜びと仕事を混同していないと言っています。しかしながら、何か特別な感情が生まれているのも確かだと。実際にはどういう関係なのですか。
「彼女の答えは素晴らしいですね」
――セレナは最近、「これまで勝つためにやってきたけれど、勝たなければいけないというところまで追い込まれていた。でも、今は楽しくプレーしている。楽しいスポーツだと感じながらね」と話しています。このセレナの変化は何が原因ですか。
「セレナはテニスとの関わり方を変えたかったんだと思います。これは両親からの影響だと思いますが、勝利第一主義のように勝つことにしか興味がなかった。これが彼女の一部で、これは取り除くことはできない。でも今は、スポーツとして楽しもうという気持ちがあり、練習にも同じ精神状態で臨んでいるはずです。ただ、試合となると本能的な部分が出てきて、負けたくないので、相手を倒すことに専念していますが」
――オープン化以降のグランドスラム・タイトルはシュテフィ・グラフが22個、それ以前ならマーガレット・コートが24個ですが、セレナはその記録を破ると思いますか。
「まだそれを語るのは早計でしょう。現在のセレナは好調で、意欲にも満ちあふれています。しかし、人生は何が起こるかわからない。現在、32歳ですが、グラフのレコードを破るにはまだ6度もグランドスラムを制覇しなければならない。セレナだからすべて可能だとは思いますが、やはり話をするのはまだ早すぎる」
――2012年の3月から6月までディミトロフを指導しています。才能豊かだと思いますが、まだ一度も結果を残したとは言えません。
「まず彼は素晴らしい性格の持ち主で、人間として大好きです。素晴らしい時間を過ごしました。あなたの言うように輝く才能を持っていますが、基本の部分で欠けているものを発見しました。対戦相手も驚くような才能を見せたかと思うと、たびたびショット選択で大きなミスをおかします。これを中心に改善しました。安定感のある試合運びをして、より効率を意識したプレーを目指したのです。
才能があるからと言って、必ずしも勝利につながるとは限りません。彼は驚くほど成長した姿を見せてくれたし、最高レベルに到達するのにそれほど時間はかからないと思っています。しかし、現在は、強いショットを打ち過ぎる傾向にあり、コンスタントに高いレベルを維持するのは困難なのでしょう。まだ成熟していませんが、将来必ず成功するはずです。繊細で、神経質な面もあるので、コーチが自信を植えつけてあげることが大切だと思います」
――セレナは最近、オンコート・コーチングは反対だと話しています。
「セレナの強みは、トラブルに直面してもそこから勝利に持っていく解決策を、自身で見つけることができる点にあります。まさに偉大なチャンピオンたちがそうしてきたように。だから、試合中に他人の指図を受けないのは理解できます。彼女は非常に準備する能力がありますし、あのシステムはコーチ側にとっては都合の良いものですが、選手側からするとどうでしょう。コーチには試合の状況を変えるチャンスであり、私も使ったことがあり、それが有効だった経験もあります。ただ、コーチに頼りすぎる習性がつき、選手の自立を妨げるときもあります。セレナの言うように、勝つための解決策を自分で見つけることができるのが素晴らしい選手です」
母国ファンを取り戻した
強いセレナの姿
――2012年のUSオープン準決勝でサラ・エラーニを破った試合を見て、マルチナ・ナブラチロワは、「セレナが変わったのは、明らかにフットワーク」と評価しています。
「1、2歩目の踏み出し方が、大きく変わったはずです。反応が早くなったことで、ボールをヒットするまでに時間の余裕ができた。速いテンポの試合が可能になり、対戦相手にすれば、ヒットするまでの時間を奪われているのです。正しいフットワークはプレーの質を上げるために不可欠です。セレナだけでなく、私のアカデミーの練習では多くの時間をかけている部分です」
――セレナはパリにアパートを持っていて、フランス語もどんどん上手くなっているようです。フランスでの評判はどうですか。
「人気はぐんぐん上昇しています。その大きな要因は、ロラン・ギャロスを勝ったときにオンコートでの勝利者インタビューをフランス語でしたこと。あれは驚きであり、大きな評判を呼び、彼女の人気を上げたのです」
――6年間にわたってセレナのヒッティングパートナーを務めるサーシャ・バインは過去16ヵ月の成功にどのように貢献していますか。
「サーシャは素晴らしい人間で、大きく貢献しています。いつも全力を出し、彼自身も楽しんでいるのがわかります。チームで重要なことは、それぞれが役割を理解して、それに専念しながらも効率的に動けること。私はセレナのコーチングを担当していますが、身体をケアする理学療法士、フィットネスの専門家、ツアーをともにするシェフなど、多くの担当者たちが関わっているのです。サーシャは、セレナの成功には重要な役割を演じていますが、他の担当者たちも同じですね」
――今年のUSオープン決勝で大きな声援を送ってくれたファンに、「今日は素晴らしい愛を送ってもらった」と話しています。2009年準決勝、2011年決勝での悪態がファンを二極化させた印象もありますが、今年は味方になったと思いますか。
「アメリカ人は勝者が好きです。過去には論争の的になったかもしれませんが、現在は偉大なチャンピオン。ジョン・マッケンローが現在も愛されているように、将来セレナもそうなるでしょう。ファンはチャンピオンたちから多くのモノを得てきたということを知っています。同じようにセレナは今、もっとも支持を集めていると思います」
――これから10年後、テニスの技術と戦術はどうなっていると思いますか。それを自身のコーチングにも生かしていきますか。
「テニスは過去15年、遅いサーフェスの出現により、大きく進化してきたと思います。攻撃しかできない選手は勝利を手にできない時代になり、コートすべてをカバーできる選手が活躍しています。そして、現在のテニスはサービスとリターンが非常に重要な役割を占めています。将来のテニスは、相手のセカンドサービスを攻略することによって一気に主導権を握る方法がさらに進化していると思います。もちろん、私たちコーチこそが、そういうことを考慮しながら、練習を組み立てていかないといけませんが」
セレナはテニスとの
関わり方を
変えたかったんだ。
今はスポーツとして
楽しもうという
気持ちがある。
※トップ写真はスウェーデン・バスタードで大会前の会見に臨むセレナとムラトグルー
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