ステファン・エドバーグ「北欧の貴公子」

それまでスーパースターだったジョン・マッケンローやジミー・コナーズなどがベテランの域に入って勢いが衰え始めた一方で、それまでのテニス人気を牽引していたアメリカ勢に彼らの後継者がしばらく不在となり、「アメリカ勢の空白の時代」に代わってヨーロッパから登場してきたのが彼らだったという側面もある。
70~80年代のテニスブーム以降、若者たちのファッションのひとつとしてテニス人気が続いていた日本でのエドバーグは、文字通りアイドル的な人気を博した。
エドバーグが来日したとなれば、女性ファンの黄色い歓声がそれに付いて回った。涼やかなルックスに、華麗と呼ばれたそのプレースタイルは、彼の「貴公子」という異名に相応しいものだったし、物腰も穏やかで、あくまでも紳士。自由奔放な言動が持ち味だったマッケンローやコナーズといった彼以前のスーパースターとは、発散するオーラの質が正反対で、ある意味では「理想的なテニス選手像」を体現したような存在でもあった。ATPの「フェアプレー賞」部門に彼の名が冠されているのは、彼のコートマナーの潔さを讃えてのものでもある。
伝統的なテニスの持つ美徳を好む傾向が強い日本のファンが、彼に強く惹き付けられたのもある意味自然なことだろう。母国のスウェーデンを除けば、彼にもっとも熱狂したのは日本のファンだったかもしれない。彼の着ていたウェアやラケットも人気を博し、当時のテニス専門誌も彼の特集を組み続けた。誰もが彼のようなキックサービスやビッグサービス、そしてサーブ&ボレーに憧れてコートを駆け回っていたのがこの時代だった。
当時テニスをプレーしていたプレーヤーたちは今は40代半ば以上になっているはずだが、この年代の男性プレーヤーのほとんどが片手打ちのバックハンドなのも、彼や、彼のライバルだったベッカーの影響と言っても言い過ぎではないだろう。
1988年から1990年まで3年連続で、エドバーグとベッカーはウインブルドンの決勝を戦っている。彼らはこの3年間の輝きがもっともまばゆく、そして鮮烈だった。
当初はエドバーグのキックサービスに悩まされ続けていたベッカーも、それを克服して逆襲していく。エドバーグも負けじとキックサービスの威力を上げ、また、フォアとバックのストローク力を磨き、アプローチショットの正確性を磨き上げてネットプレーの鋭さをさらに上げていく。それは彼の「貴公子」のルックスには似合わない実に男臭い、アスリート同士の肉弾戦という側面も強かったはずなのだが、それを常にしなやかなものに見せていたのがエドバーグという選手だった。

ウインブルドン初優勝は88年。ベッカーとの対戦成績は10勝25敗と大きく負け越し
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