古今東西テニス史探訪(11)「硬式」と「軟式」、ふたすじの道

 明治以来の軟球のルール、そして大正期レギュレーションボール採用後の国際ルールにも精通している針重がまず着手したのは、神宮競技大会に初参加する軟式の統一ルール制定でした。準備委員会は、硬球界、軟球界からの委員で構成され、第三者の意見も取り入れて軟式庭球のルールづくりを準備しています。

 こうして制定された「軟式庭球規則」は《読売新聞》(1925年8月19日~27日)にも発表(連載)されました。

 それまでの軟球ルールとの主な相違点は、(1)尺貫法からメートル法表記に改めた、(2)ボールの重量がやや重くなった、(3)ネットの高さとコートの広さを国際ルールと同じにした(ただしボールの性質上センターストラップで下げない)、(4)後衛だけがやっていたサービスを改めて組の二人が交互に行う、(5)シングルスゲームも行う…などでした。

 しかし制定後に日本軟球協会からの反対を受け、第2回神宮競技大会では、ネットの高さ、ボールの重さ、二人交互のサービスの規定、そしてシングルスゲームは見送ることとなります。なおこの頃になるとようやく、軟式庭球のポイント計算でも得点を数え、サービスサイドを先にコールすると統一されています。

 ただし軟球界の意見がまとまらなかったため、「軟式庭球規則」(神宮ルール)の実施は翌年からとなりました。

 「軟式庭球規則」の《読売新聞》発表と同じ日、《東京朝日新聞》には「神宮競技決定事項-野球と庭球-」が発表されました。「庭球」には「前大会には大会までに予選期間なく遂に不参加を見た軟式庭球も今年度より硬球と共に挙行されることとなった」との説明が付されています。

 「軟式」の実施に関して、男子の場合は「北海道各府県及六大都市(東京、大阪、横浜、京都、名古屋、神戸)樺太、台湾、朝鮮、満州において予選を行ひ各地よりセミファイナルに出場した四組の選手を入選とする尚その予選は府県及六大都市は庁其の他はその地の政庁に依頼しその庁において適当と認むるものによること」とあります。

 試合方法は「主催者に一任」、用球は「在来の規約に適合するもの即ち直径二寸一分五厘重量七匁五分」、そして女子の場合はオープン・ゲームで「各団体から推薦せられたるもの二組」となっています。会場は陸軍戸山学校コート(戸山コート)で、「申込所 内務省衛生局明治神宮競技大会庭球部」としてあります。

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