スペインテニスの先駆者、マニュエル・サンタナ氏が83歳で逝去

写真は2015年マドリッド・オープン男子シングルス決勝前に77歳の誕生日をお祝いされるマニュエル・サンタナ(スペイン/中央)(Getty Images)


 世界ランク1位に至り、スペイン人として初めてグランドスラム大会でタイトルを獲得したマニュエル“マノロ”・サンタナ(スペイン)が83歳で亡くなった。マドリッド・オープンは土曜日に大会名誉会長の訃報を発表したが、死因については明らかにされなかった。

 サンタナ氏はグランドスラム大会のシングルスで4度(1961年&64年全仏、1956年全米、1966年ウインブルドン)優勝し、1966年には世界ナンバーワンの座に就いた。彼はまたロイ・エマーソン(オーストラリア)とのペアで1963年フランス選手権(フレンチ・オープンの前身)でも栄冠に輝き、1984年に国際テニス名誉の殿堂入りを果たした。

「天才がテニスで報われるのは難しい。マノロはそれができた数少ない選手のひとりだった」とジーン・スコット氏はサンタナ氏に代わって参席した殿堂入りセレモニーの際に語った。

「彼は文字通り、我々が現在よく目にしているストロークのひとつであるバックハンドのトップスピンロブを発明したのです」

 ラファエル・ナダル(スペイン)はSNSにスペイン語で「我々は皆、あなたがいなくなってて寂しいです」と投稿し、追悼の意を表した。

「あなたはいつも、親切で特別な人のひとりであり続けるでしょう。過去に何度も言ってきた通り、あなたがこの国のためにやってくれたことや他の人たちのために道を切り開いてくださったことに心から感謝しています。あなたは常に私のお手本であり、友人であり、誰にとっても身近な存在でした」

 グランドスラム大会を2度制した実績を持つガルビネ・ムグルッサ(スペイン)は年老いたサンタナ氏と一緒に写った写真を投稿し、彼の「誠実さ、温かさ、そして進むべき道を見せたこと」へのお礼のメッセージを添えた。

「あなたは常に、私たちの基準点でした。スペインテニスの皆にとってのパイオニアでした。いいときも悪いときも近くにいて、気配りをしてくださいました。あなたにもうお会いできないことを私たちは寂しく思います。ご家族に心からお悔やみ申し上げます」

 スペイン国王と首相はサンタナ氏を「伝説的偉人」と呼び、ナダルの感情に共鳴した。

 国王のフェリペ6世はツイッターを通して「レジェンドとなり、国を素晴らしいものにしてくれる人々がいる。マノロ・サンタナはこれまでもこれからもそのような人物のひとりでありつづけるでしょう」とコメントし、ペドロ・サンチェス首相は「彼はロラン・ギャロス、USオープン、ウインブルドンを含む合計72大会で優勝しました。彼はまたオリンピックで金メダルを獲得し、テニスの英雄だけに留まらず我が国で最高のアスリートのひとりになりました」と偉大な功績を称えた。

 1966年ウインブルドンでサンタナ氏とともに初めて女子シングルスのチャンピオンとなったビリー ジーン・キング(アメリカ)は当時のことを愛情を込めて振り返り、「私たちは祝賀パーティーで初めてダンスを踊りました」とツイートした。

 デビスカップのチームメイトだったアンドレス・ヒメノ(スペイン)とは違い、サンタナ氏はプロ転向の申し出を断って1960年代の「シャマトゥール(セミプロ)」ツアーで最大の花形選手のひとりになった。

 1961年フランス選手権で世界トップ3プレーヤーを連破してグランドスラム初制覇を果たしたサンタナ氏は、決勝に勝ったあと1時間ほど泣き続けた。彼は準々決勝で世界3位のエマーソンを下し、準決勝では同2位のロッド・レーバー(オーストラリア)を5セットの戦いの末に最後の11ゲームを連取して倒した。決勝では世界1位でディフェンディング・チャンピオンだったニコラ・ピエトランジェリ(イタリア)に対してセットカウント1-2と劣勢に立たされたが、最後の2セットを6-0 6-2で奪って栄冠を手にした。

 1964年決勝でふたたびピエトランジェリを破って2度目の全仏チャンピオンとなったあと、サンタナ氏はグラスコートに照準を合わせた。彼はフォレストヒルズで開催された1965年全米選手権でシード選手2人を打破し、決勝ではクリフ・ドライズデール(南アフリカ)に4セットで勝ってヨーロッパ勢として1928年以来の全米王者になった。

 ウインブルドンに集中するため1966年フランス選手権をスキップしたサンタナ氏はケン・フレッチャー(オーストラリア)とオーウェン・デビッドソン(オーストラリア)をフルセットで退け、決勝では第1シードのデニス・ラルストン(アメリカ)にストレート勝利をおさめて初のスペイン人チャンピオンに輝いた。彼はのちに、このウインブルドンが最大のタイトルだったと語った。

「これはすべてのプレーヤーが勝ちたいと願うタイトルだ。私は一度それをやってのけることができ、本当に幸せだ」というサンタナ氏の言葉は国際テニス名誉の殿堂の公式サイトで引用されている。

 デビスカップでは優勝できなかったが、サンタナ氏は1965年にスペインを初の決勝に導いた。彼は67年の決勝進出にも貢献したが、2度ともオーストラリアに敗れた。19歳でデビスカップに初出場した彼はスペインの歴代最多となる46対戦でプレーし、シングルス69勝とダブルス23勝は今でも同国の最高記録となっている。(C)AP(テニスマガジン)

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写真◎Getty Images

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