ボブ・ブレットからの手紙「アガシがナンバーワンになった理由」第3回
数多くのトッププレーヤーを育ててきた世界的なテニスコーチであり、日本テニス界においてもその力を惜しみなく注いだボブ・ブレット。2021年1月5日、67歳でこの世を去ったが、今もみなが思い出す、愛された存在だ。テニスマガジンでは1995年4月20日号から2010年7月号まで連載「ボブ・ブレットからの手紙」を200回続け、世界の情報を日本に届けてくれた。連載終了後も、「ボブ・ブレットのスーパーレッスン(修造チャレンジ)」を定期的に続け、最後までつながりが途絶えることはなかった。ボブに感謝を込めて、彼の言葉を残そう。(1995年6月5日号掲載記事)
(※当時のまま)
Bob Brett◎1953年11月13日オーストラリア生まれ。オーストラリア期待のプレーヤーとしてプロサーキットを転戦したのち、同国の全盛期を築いたケン・ローズウォール、ロッド・レーバーなどを育てた故ハリー・ホップマンに見出されプロコーチとなる。その後、ナンバーワンプレーヤーの育成に専念するため、88年1月、ボリス・ベッカーと専任契約を締結。ベッカーが世界1位の座を獲得したのち、次の選手を求め発展的に契約を解消した。現在はゴラン・イバニセビッチのコーチとして、常に“世界のテニス”と向き合っている。世界のトップコーチの中でもっとも高い評価を受ける彼の指導を求める選手は、あとを絶たない。
構成◎塚越 亘 写真◎Getty Images
アガシはケガで戦列を離れたとき、自分の中のテニスの存在を見直したのだと思います。どれほど大切なもので、どれほど楽しいものであるか、それに気づいた今、テニスは彼の人生でナンバーワンです。
このコラムが始まった頃に予想した通り、ジャパンオープンでアガシがナンバーワンになりました。ATPランキングシステムが導入されて以来、12人目のナンバワンとなったわけですが、現在のランキングシステムは改定の余地があると思います。ふたつのグランドスラムを獲った時点で、(アガシは)ナンバーワンになるべきランキングシステムがフェアだと思います。今のベスト14システムだと、得意なサーフェスだけでプレーし、他の大会やグランドスラム大会で活躍しなくても、数字的にはナンバーワンになれます。なにしろ、出れるだけ出場して、14大会だけいい成績を取り、他の大会では1回戦負けでも関係ないわけですから。すべてのプレーヤーが活躍したいと思うグランドスラムは、もっと重要視してもいいと思います。
今から1年くらい前、ある雑誌から「レンドル、ベッカー、アガシ、クーリエ、エドバーグの中で、次に誰がATPランキング1位になることができるか」という質問を受けました。当時サンプラスがナンバーワンで、ナンバー2との差が2000ポイント以上あったときです。私は迷わず「アガシ」の名を挙げました。私はアガシのテニスに対する取り組み方、姿勢の変化を十分に感じていたからです。
世界の都市から都市へ移り行くワールドツアー。毎週違う場所へ移動するツアーでは、世界地図上ではものすごい移動ですが、プレーヤーたちの行動範囲はすごく狭いものです。場所は地球の裏から表へでも、プレーヤーたちはホテルー会場ー練習ー試合ー食事と、実際の行動は信じられないくらい狭いもの。一般の人の日常生活と基本的には変わらないものです。その中で一生懸命やっている人、そうではなく遊びまわっている人は、ツアーを回っている者なら誰にでもわかります。
ここ1年、アガシはグッと変わりました。それまでは、どちらかというとイージーゴーイングで、勝とうが負けようが関係なく、自分の才能以上のことをしようという姿勢が見えませんでした。体重も増え、フィットしていない(テニスプレーヤーとしてはふさわしくない)ことが、誰にでもわかる感じでした。ウインブルドンに優勝したとはいえ、他の大会ではたいした成績もなく、ランキングもナンバーワンとはほど遠い状態でした。手首のケガなどでテニスから離れたとき、アガシはテニスをもう一度見直すことができたのだと思います。テニスが自分にとってどれほど大切なものか、楽しいものか。それまではアガシにとってテニスは一番重要なものではなかったと思います。でも今は、テニスが彼の人生にとってナンバーワンのものになれたのだと思います。本人はそれを肯定するかしないかはわかりませんが、周りはそれを感じることができます。
格好のいい、完璧なテクニックでなくてもいいのです。それよりも真のチャンピオンが必要とするのは、自分の限界を越えようとチャレンジすることなのです。
アガシのテニスが変わったもうひとつの理由は、プレーヤーでもあったギルバートとの出会いです。ギルバートはなかなかの性格です。これは個人の好き嫌いになるので明言は避けたいと思いますが。しかし、テニスセンス、そしてテニススタティクスには先天的なものを持っていました。彼の現役時代のプレーを見たことがある人はわかると思いますが、決してハードヒットの、キレのあるテニスをするプレーヤーではありませんでした。でも、マッケンローとでもボルグとでも、すごくうまいプレーをします。皆さんは信じられないかもしれませんが、コンスタントにトップ10にもいました。最高ではATPランキング4位になったこともあるプレーヤーです。アガシは彼との出会いにより、アガシが持っているパワーを試合に活かせるようになったと思います。それは次のふたつの点に現れています。
チャンスボールを作るとき、彼のプレーは相手を十分にアウト・オブ・ポジションに持っていくことができます。そのようなとき、①彼はそのままネットに出てポイントを取りにいくようになりました。相手に攻め込まれたり、トラブルに遭ったとき、②無理にウィナーを取りに行こうとせず、まず相手に攻撃させ、それをしのぐという考え方ができるようになりました。ギルバートはそういった、しのぐプレーができる人でした。
アガシは決して格好いいスマートなネットプレーヤーではありません。ボレーがうまいとは誰も思わないと思います。しかし、テクニック的にはグレートではなくても、確実にボレーすることはできます。それはエドバーグのフォアハンドがテクニック的には良くなくても、ちゃんと返すことができることと同じだと思います。格好いいテクニック、完璧なテクニックでなくてもいいのです。格好良くたって、ミスをしていては意味がないのですから。
アガシはテニスが自分に占める割合を感じるとともに、いいコーチとめぐり合うことができ、ATPのナンバーワンという具体的なゴールが自分の前に現れました。
何度も言うように、そしてこのことは、あらゆる人に当てはまることだと思いますが、トゥルー・チャンピオン(真のチャンピオン)とは、自分の限界を越えようとチャレンジする人だと思います。一日ナンバーワン(一日天下)でもそれはすばらしいことですが、それよりも限りなく0(ゼロ)に近づく姿勢が、これからのアガシにとって必要だと思います。
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