ボブ・ブレットからの手紙「ボリスの優勝」第16回

ボリス・ベッカー(Getty Images)


 数多くのトッププレーヤーを育ててきた世界的なテニスコーチであり、日本テニス界においてもその力を惜しみなく注いだボブ・ブレット。2021年1月5日、67歳でこの世を去ったが、今もみなが思い出す愛された存在だ。テニスマガジンでは1995年4月20日号から2010年7月号まで連載「ボブ・ブレットからの手紙」を200回続け、世界の情報を日本に届けてくれた。連載終了後も、「ボブ・ブレットのスーパーレッスン(修造チャレンジ)」を定期的に続け、最後までつながりが途絶えることはなかった。ボブに感謝を込めて、彼の言葉を残そう。(1996年3月20日号掲載記事)


(※当時のまま)
Bob Brett◎1953年11月13日オーストラリア生まれ。オーストラリア期待のプレーヤーとしてプロサーキットを転戦したのち、同国の全盛期を築いたケン・ローズウォール、ロッド・レーバーなどを育てた故ハリー・ホップマンに見出されプロコーチとなる。その後、ナンバーワンプレーヤーの育成に専念するため、88年1月、ボリス・ベッカーと専任契約を締結。ベッカーが世界1位の座を獲得したのち、次の選手を求め発展的に契約を解消した。以後ゴラン・イバニセビッチのコーチを務めたが、95年10月、お互いの人生の岐路と判断し契約を解消。96年からはアンドレイ・メドべデフのコーチとして、ふたたび“世界のテニス”と向き合う。世界のトップコーチの中でもっとも高い評価を受ける彼の指導を求める選手は、あとを絶たない。

構成◎塚越 亘 写真◎Getty Images

ボリスはこれまでずっと自分の中でのナンバーワンを目指し、夢を持ち、夢を見続けてテニスをしてきました。だからこそ今回、オーストラリアン・オープンで優勝できたのだと思います。これがテニスの姿だと私は思います。

  96年最初のグランドスラム大会であるオーストラリアン・オープンは、ボリス(・ベッカー)が優勝しました。ボリスにとっては91年のオーストラリアン・オープン以来、5年ぶりのグランドスラム大会での優勝です。

 ドローができた時点では、そのトップハーフの山にはサンプラス、ゴラン(・イバニセビッチ)、エンクヴィスト、カフェルニコフらがいるというハードなものでした。ボリスの立場でドローを見た限りでは、ソーリー(sorry)という感じのドローだったと思います。

 1回戦でルゼドスキー、2回戦でヨハンソンというタフなプレーヤーにフルセットの苦戦を強いられながらも勝ち上がってきたボリスは、徐々に調子を上げていきました。対カフェルニコフ戦など、大事な試合が屋根を閉めたインドア状態でできたということも幸いしているかもしれませんが、このタフなトップハーフをボリスが勝ち上がったということは意外な展開でした。カフェルニコフという若くて勢いのあるプレーヤー。オーストラリアン・オープンでのダークホース的存在であるプレーヤーに対して果敢に、攻撃に次ぐ攻撃でネットにつめていきました。

 サンプラスに代表されるように今のトッププレーヤーたちのプレー、あるいは現在のテニスは、4、5回ラリーを続け、ボールをつくってから攻めていきます。ラリーで角度をつけるか、相手のボールが短くなったときなどに、そのボールをきっかけに前に攻めていったりする“理詰めのテニス”です。

 しかしボリスの試合は、いつも彼がイニシアティブをとっていました。コート上での主役を演じ、keep coming inしています。いつもボリスのリズムでテニスをし、相手にリズムをつくらせる余裕を与えませんでした。

 91年、23歳でオーストラリアン・オープンで優勝してナンバーワンになってから、成績が落ちていったり、グランドスラムの優勝から遠ざかってしまったりしても、いつも新しい課題ーー自分の中でのナンバーワンを目指し、夢を持ち、夢を見続けてテニスをしてきたからこそ、今回優勝を成し遂げられたのだと思います。心より彼を祝福したいと思いますし、これがテニスの姿だと思いました。

 それとともに、決勝まで進出したチャンに敬意を表します。体力的にはどう考えてもディスアドバンテージ(disadvantage)でありながら戦い抜いてきたことは素晴らしいのひと言です。チャン対アガシーーすべてがアガシの味方のような状態の中、アガシに勝ったのは見事でした。


いったん歯車が噛み合わなくなると、その状態からの脱出は簡単ではありません。しかしそこからが本当の勝負です。誰でも突き当たり、どんな人も生きている限り対面しなくてはいけない場面ーー。チャンピオンはそれを必ず克服します。


 もうひとつ印象的だった試合はアガシ対クーリエの試合でした。

 私はアガシというプレーヤーはフロント・ランナーだと思っていました。いつもゲームを引っ張っていき、ゲームを支配するプレーヤーだと思っていたのです。

 ところがクーリエとの試合は2セットダウン。勝負の流れはクーリエのほうに行っていたと思いました。しかしアガシのファイティング・スピリットはそんなピンチであるにもかかわらず土壇場で発揮されました。彼のグランドスラムに対する執念を見たような気がします。

 私が予想した以上に早くムスターはナンバーワンになるようです。そのことについていろいろと批判する人は多いようですが、彼を悪く言う必要はありません。彼のフォールトでも何でもないことです。ポイント・システムなどを批判しても、ムスターを悪くいうことはないと思います。ムスターの努力は評価すべきことだと思います。

 私の感じるランキングでは、ナンバーワンはサンプラス、2位ベッカー、3位ムスター、4位チャン、5位アガシというところでしょうか。


 オーストラリアン・オープンに続き日本(東レPPO)でも、公子(伊達)が負けたということを聞きました。今、彼女にとっては非常につらいときだと思います。

 勝ち続けていたり成績が良いときは、どんな試練や苦しいことがあってもそれで克服できてしまいます。それらに耐えることができ、そんな苦労なども楽しんでできてしまえるほどの余裕があるものです。でもいったん歯車が噛み合わなくなり出すと、その状態からの脱出は簡単ではなくなってきます。

 しかしここからが本当のテストです。本当の勝負と言い替えてもいいと思います。誰でも突き当たり、どんな人も生きている限り、対面しなくてはいけない場面でもあると思います。が、チャンピオンはそれを克服してきます。

 もし「love the tennis」だったら、誰もそのテニスを奪い取ることはできません。テニスが好きだったら、きっと公子もカムバックすると思います。かつてのチャンピオンたちは皆そうしてきたのですから、彼女にもできるはずです。いつも応援しています。

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