が、88年の年間グランドスラムの翌89年にはツアーで14タイトル、86勝2敗という数字を叩き出したグラフを唯一、追いつめた選手がいた。89年のフレンチ・オープンでグランドスラム・デビューを果たし、15歳にしてベスト4に勝ち上がったモニカ・セレスだ。

 セレスとグラフは通算で15試合戦って、グラフが10勝とリードしてはいるのだが、セレスが93年4月のハンブルクでの試合中に、グラフのファンを自称する男に刺される事件が起きる前までは6勝5敗だった。

 グラフのフレンチ・オープン優勝回数は、クリス・エバートの最多7回に次ぐ6回を誇るが、90年と92年の決勝でセレスに敗れている。中でも92年の決勝は、グラフが珍しく感情をむき出しにして戦った壮絶なバトルで、最終セット10-8というフレンチ・オープン史上でも屈指と言われる名勝負だ。

 この92年は、両者がもっとも激しく戦ったシーズンだった。パリで敗れたグラフは、自分の牙城でもあったウインブルドンでは意地を見せてセレスを退けて優勝。クレーではセレスの強打をかわしきれなかったが、芝では技術の多彩さでセレスを押しきった。

 87年8月17日から186週間続けてきた世界ランク1位の座を、91年3月10日にグラフから奪ったのもセレスで、その後はセレスとの熾烈なナンバーワン争いが続いたが、91、92年はセレスがグランドスラム3冠を達成。グラフはウインブルドンを死守するので精一杯だった。

 グラフの片手打ちのバックハンドはセレス以外には武器として十分に機能していたが、セレスには完全に弱点として狙われた。当時のグラフはこれを克服しようとバックの強打の練習を積み、一時は両手打ちに変えようとしたことすらあったという。テニス史に残る活躍をしたばかりのグラフが、突然の強力なライバルの登場にプレースタイルの変更まで検討し、練習を積んでいたという事実は興味深い。

 そんなときに刺傷事件が起き、セレスが約2年ほど戦線離脱。誰にとっても衝撃的な事件だったが、被害者のセレスにとってはもちろん、グラフにも大きな痛手だったし、女子テニス界にとっても巨大な損失だった。

 セレスという得難いライバルを、しかも自分のファンを称する男に奪われたグラフは、さらに孤独感を深めていく。セレス不在となった93年のフレンチ・オープン以降のグランドスラムをグラフは4連勝するのだが、この間のグラフは何度も「モニカには早く戻ってきてほしい」と繰り返していた。セレス以外には負けられないとでも言いたげな、どこか悲壮感すら感じさせる戦いぶりだった。

 94年頃には父親の脱税問題などで周辺が騒がしくなり、一時スランプのような状態に陥ったが、セレスが95年に復帰を果たし、USオープンの決勝でグラフと対戦し、グラフが勝つと、これで肩の荷が降りたのか、翌96年にも出場しなかったオーストラリアン・オープンを除いてグランドスラム3冠を達成。95年フレンチ・オープンから数えて、出場したグランドスラムでは6連勝という強さを見せつけた。

4歳下のセレスとは激しい女王争いを繰り広げた。対戦成績はグラフの10勝5敗

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