松岡修造_サービス講座「僕はこうして“サービス”を武器にした」

EPISODE3 プロ中期

トスを前に上げ、スピンを減らしてスピードアップ

 サービスエースより、サービスポイント(相手がうまくリターンできないものも含め、サービスが効果的に働いたことで獲得できるポイント)を目指す方向性は確立されていて、サービスで迷うというようなことは、もうありませんでした。ただ、この頃になると膝の故障などがあり、うまく付き合っていかなければならなくなったのです。対策として、膝を深く曲げずにパワーを生み出すフォームを目指すことになりました。

 僕は身長が188㎝と高さがありましたから、トスを前に上げて、スピンを減らしてスピードを上げることにしました。このスピンとスピードのバランスが重要です。前に上げすぎるとバランスが崩れるので、どこがベストの打点か模索しました。一方で、当時最先端だったPNFトレーニングを取り入れ、体幹を鍛え、トスを前に上げてもバランスが崩れないようにしました。

 当時はトルネード投法と呼ばれた野茂英雄投手やピート・サンプラス(アメリカ)のサービスの上半身のひねり戻しに注目して、膝をそれほど使わず、上半身のひねり戻しでパワーをつくるようにしました。

91年セイコースーパーテニス。故障していた膝の負担を減らすため、膝を深く曲げないフォームを模索。上半身のひねり戻しを使ったサービスにした

サーブ&ボレーの苦手意識が薄らいできた

 トスを前に上げるようになり、動きとしてはサーブ&ボレーに近い重心移動になりましたが、実は僕はボレーがうまくなく、サーブ&ボレーはほとんどしませんでした。ただ、ウインブルドンは芝という特性から、サービスのよい選手はサーブ&ボレーをしていましたが、僕にとっては、まだポイントが取れる手段として確立できていませんでした。

 1989年から僕のコーチはアルバロ・ベッタンコで、ボブはその後、ゴラン・イバニセビッチのコーチになるのですが、ここで面白いエピソードがあります。1992年のウインブルドン前哨戦、クイーンズの3回戦で、僕はイバニセビッチと対戦して勝ちました。その試合で僕は、ネットに行けなくて下がってしまう場面が何回かあったんです。それを見ていたボブが試合後、イバニセビッチのコーチをしているにもかかわらず、僕に「もっとネットに行け、下がったらダメだ」とアドバイスをしてくれたんです。それはすごく憶えています。

 その後、僕は準決勝で当時2位のステファン・エドバーグ(スウェーデン)に勝ちました。1回も下がらずにサービスゲームをプレーしたのです。

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