ジョハナ・コンタ独占インタビュー「可能な限り、最高の選手になれるように努力している」

2018年9月、来日したジョハナ・コンタに独占インタビュー(原文ママ)〜左足のケガでクレムリン・カップを欠場。シーズン終盤の失速により、シンガポールのWTAツアーファイナルズ出場を逃した。しかし、今季はランキング4位まで上昇するなど、昨季に続くトップ10入り。シーズンを振り返り、自身のルーツ、初めての来日について語る。【2018年12月号掲載】

取材◎池田 晋 写真◎Getty Images

Profile
ジョハナ・コンタ◎1991年5月17日生まれ。シドニー出身。右利き、両手バックハンド。両親はハンガリー国籍。8歳でテニスを始め、13歳でスペイン・バルセロナのアカデミーに移り、2008年、16歳からロンドンを拠点に活動する。同年にプロ転向し、ボスニア・ヘルツェゴビナでのITF1万ドル大会に初優勝。12年にイギリス国籍を取得し、ワイルドカードでウインブルドン初出場。グランドスラム最高成績は16年オーストラリアン・オープンと17年ウインブルドンでのベスト4。今年7月に自己最高となるランキング4位に到達した。食べるのが好きで、特にヘーゼルナッツ味やコーヒー味のジェラートが好物

「可能な限り、最高の選手になれるように努力している」

2つの母国では心地よく戦える

――日本は初めてですか?

「ええ。まだあまり見たわけじゃないけど、すごく気に入ったわ。私は家の中が片付いていないと気が済まない性格。だから、日本のホテルやショッピングセンターはすごく綺麗に整っていて、たった数日で日本が大好きになったわ」

――日本で何を食べましたか?

「本場の日本食をとても楽しみにしていたから、初日はホテルのお寿司屋さんに行ってみたの。でも満員で入れなくて、結局日本で最初の夜はメキシコ料理。すごく美味しかった! 日本人の仕事の細かさ、緻密さに驚いたわ。2日目はラーメン。これも最高だった。食券を買うシステムも初めてで、テーブルには醤油など調味料が綺麗に並べられ、箱に入ったお箸も自由に取り出せる。すべてが欲しい場所に揃っていて『なんて素敵なの!』って思った」

――あなたのキャリアについて伺います。オーストラリアからイギリスへ拠点を移した理由を教えてください。

「チャンスをつかむための決断だった。まず、13歳のときにオーストラリアからスペインへ移ったの。遠く離れたオーストラリアよりも近いからと、両親もロンドンへ移ってきた。2人ともハンガリー国籍でEUに移住することは、当時は何の問題もなかった。スペインで16ヵ月を過ごしたあとロンドンへ移り、1年、5年、12年と経って、今もそのまま住み続けているわ」

――出身地のシドニーに戻る選択肢はなかったのですか?

「テニスのことを考えると、ヨーロッパかアメリカにいたほうが、多くの大会への移動距離が短くて済む。あなたもよくわかるように、日本、オーストラリアからヨーロッパはすごく離れている。プレーする機会が多い場所に住みたかったから、シドニーに戻ることは考えなかった。イギリスに移って7年くらい経つと、もうそこが自分のホームになり、選手として成長したのもそこだった。だから、イギリスの代表選手として戦うことは、自然な成り行きだった。今は移動時間も少し短くなり、世界全体が狭くなっている。でも私が若かった頃は、まだフライト代も高く、遠く感じられた。私の姉とその家族は今もシドニーに住んでいるから、シドニー国際のときはいつも会うのを楽しみにしているわ」


東レPPOはバーボラ・ストリコバに敗れて2回戦敗退終わったコンタだが、ファンからの人気は今大会でも高かった

――オーストラリアン・オープン、ウインブルドンと2つのホームタウンで戦える大会は、やはりよい結果を残せるものですね。

「自分は国際的な人間だと思う。両親がハンガリー出身で、私はオーストラリア生まれだから、そのルーツには誇りを持っている。今はイギリスが私の家で戻るべき場所だから、その代表選手として戦っている。選手の多くは地元の大会で大きな力を発揮するもの。私も2つの国で心地よく戦えるから、成績もいいと思う。それと同時にアメリカやアジアでも自分のベストを発揮するための環境づくりが重要だと思っている」

――ツアーに専念するためにフェドカップを辞退する選手もいますが、あなたにとってイギリス代表として戦うことの意味は何ですか?

「シーズンは長いから、今はいいバランスでプレーできていると思う。私は自分の体と相談しながら、どの程度の試合数をプレーできるかを決めている。普段のツアーは個人競技だから、国を代表してチーム戦を戦うことはエキサイティングで、また違ったチャレンジになり、自分がうまくなるには素晴らしい経験になっている。体調の問題もあって、すべての試合に出場することはできないけど、今後もできるかぎり参加したいと思っている」

――今年は4月にマイアミで優勝するなど好調でした。

「マイアミに行くときは、まだ自分のフォームを探していたところだった。インディアンウェルズは3回戦敗退とよくなかったし、あの頃は試合が多すぎた。2月にフェドカップもあって、ドーハは欠場せざるを得なかった。マイアミの1回戦はとてもタフだったけど、何とか勝てて、試合を重ねるごとによくなっていった。一番よかったのは準決勝のビーナス・ウイリアムズ戦。とてもハイレベルな試合だった」

――その後も好調でしたが、その要因を教えてください。

「私は常に、可能な限り最高の選手になろうと努力している。大会の成績、ランキングで自分を測ろうとは思わない。いつも向上心を持って、あらゆる手段を尽くして自分の能力を最大限に高めようとしている。うまくなりたいという欲求が、いつも自分の中から湧いてくるの」

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