古今東西テニス史探訪(12) 長崎外国人居留地のテニス物語

『1億人の昭和史 第13巻:昭和の原点 明治(中)』(1977年刊、毎日新聞社)の第180ページ掲載。【原写真は長崎歴史文化博物館所蔵】




■グラバー邸山側の広場

 その他、グラバー家アルバムには、「@グラバー関係写真」としてたくさんの画像が収録されています。アルバム(複数の画像収録)の場合は「拡大画像表示」をクリックしてからサムネイル画面の下の小さな三角のボタンを押すと、次の画像が確認できるようになっていました。

 アルバムの主人公であるトーマス・B・グラバー(Thomas Blake Glover)は、1838年スコットランド生まれの英国人です。1859(安政6)年、21歳のときに来崎し、1862(文久2)年にグラバー商会を設立しました。幕末の動乱期には武器や船舶の売買もしていましたが、明治初期には実業家に転じ、小菅修船場、高島炭鉱など近代工業技術の導入に尽力しています。

 彼は幕末の外国人居留地開設期に、商用と住宅用の土地の永久借地権を確保しています。住宅用として確保した松の大木のある南山手3番地と1番地の一部には、1863(文久3)年に木造の洋風住宅を建てました。現在は観光名所になっているグラバー園の、旧グラバー邸です。

 グラバー家アルバムには、幕末に長州藩からイギリスに密留学した井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(伊藤博文)ら5名の写真など歴史記録写真も多いようです。筆者は「グラバーさんが頼まれて密航の裏準備をしたのは薩摩藩の五代才助(五代友厚)、松木弘安(寺島宗則)、森金之丞(森有礼)ら15名だったけど、長州の5名にも関与していたのかしら……」などと、うろ覚えの歴史を復習しながら、次々と画像をクリックしてみました。

 とはいえ、「@グラバー関係写真」の多くはグラバー家の家族に関連しています。長崎居留外国人の歴史に詳しいブライアン・バークガフニ氏の『グラバー家の人々』(2011年改版)など、一連の著作を読むようになってからは親近感が増して、心の中でグラバーさん、ツルさん(妻)、富三郎さん(長男)、ハナさん(長女)などと家族を「さん」づけで呼ぶようになりました。

 バークガフニ氏はまた、『リンガー家秘録 1868-1940』(日本語訳版)を2014年に上梓しています。1865(慶応元)年にグラバー商会の茶検査担当として来崎したフレデリック・リンガー(Frederick Ringer)は、3年後にホーム・リンガー商会を創設して、1874(明治7)年にはグラバー邸の南側に立てられた家(南山手2番)を譲り受けています。そして結婚を機に、1883年(明治16)年からは自宅として住み始めたそうです。

 資料を読むようになってから改めて「長崎でローンテニスを楽しむ人々の集合写真」を見ると、写真の中央に立っているのがフレデリック・リンガー、その前で椅子にかけているのがリンガー夫人、最前列の中央に座って友人とラケットをクロスさせている口ひげの男性がホーム・リンガー商会のウォルター・G・ベネット、彼の背中側で左手にラケットもっているのがハナとわかります。この写真からは、ウォルターとハナの婚約を祝う集まりのような温かい雰囲気が感じられました。

 そして、最後列に立っている左から2人目がトーマス・B・グラバー、同じく最後列の右端に立っているのが富三郎でしょう。富三郎は、おそらくこの前後に戸籍名「倉場富三郎」として独立しています。


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