古今東西テニス史探訪(12) 長崎外国人居留地のテニス物語

『1億人の昭和史 第13巻:昭和の原点 明治(中)』(1977年刊、毎日新聞社)の第180ページ掲載。【原写真は長崎歴史文化博物館所蔵】




グラバー園の案内図

第2ゲート(山側)を入ってすぐ左側の旧三菱第2ドックハウスはグラバー園の最も高い場所に移築されている。2階ベランダからは、長崎の海や町並みを南から北まで一望できるそうだ 
グラバー園公式ウエブサイトより


■思い出の長崎

 それにしても、「長崎でローンテニスを楽しむ人々の集合写真」からは当時の長崎外国人居留地の人々の和気あいあいとした雰囲気が伝わってきました。結婚後はホーム・リンガー商会の韓国・仁川支店に赴任したベネット夫妻の家族写真には、子供用らしきラケットを手にした男の子たちも写っていました。

 イギリスについで各国とも新条約を締結した日本は、外国人居留地を撤廃して、1899(明治32)年からいわゆる内地雑居になります。日露戦争後の長崎でも外国人たちは国外・国内の各地に別れていきましたが、ホーム・リンガー商会は長崎をベースにして事業を継続させました。

 一方、東京に戻ったグラバーは妻ツルに先立たれましたが、麻布・富士見町の新邸宅に住み、ときに外国人たちの避暑地となっていた日光でフライ・フィッシングを楽しんだりしています。故郷スコットランドでの少年時代を懐かしんでいたのでしょうか。

 また天気のよい日には人力車に乗って、当時は永田町にあった東京ローンテニス倶楽部に行き、長年の友人F・ブリンクリーらと旧交を温めてもいたようです。

 当時の若手会員で、のちに日本庭球協会(現、日本テニス協会)初代会長となる朝吹常吉の回想記には、晩年のグラバーが倶楽部の椅子に座って、「私のうちは富士見町だが、サムタイムス・富士見えん町」と冗談を言ったりしてオープン・エアーを楽しんでいたようすが記されていました。
(トーマス・B・グラバーと家族の物語については下記の参考文献をお読みください)

〈追記〉
 明治期テニス史をテーマにした探訪記は、今回の第12回で最終とさせていただきます。好奇心任せの拙文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。
 今後は、「古今東西テニス史探訪〈補足編〉」として折々に報告させていただく予定です。相変わらずの不定期となる見込みですが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


【今回の主な参考文献】※原本の発行順
・活水学院編、『KWASSUI 活水75年の歩み』(1954年刊、活水学院)
・朝吹磯子編、『回想 朝吹常吉』(1969年刊、私家版)
・『長崎県庭球史』(1984年刊、長崎県軟式庭球連盟、藤波テニスミュージアム所蔵)所収の田中一雄・記「編集後記」
・日本軟式庭球連盟(表孟宏・編著)、『日本庭球史-軟庭百年-』(1985年刊、遊戯社)
・菱谷武平著、出島研究会編、『長崎外国人居留地の研究』(1988年刊、九州大学出版会)
・内藤初穂著、『トーマス・B・グラバー始末』(2001年刊、アテネ書房)
・ブライアン・バークガフニ著、『グラバー家の人々』(2011年改訂新版刊、長崎文献社)
・ブライアン・バークガフニ著、大海バークガフニ・訳『リンガー家秘録 1868-1940』(2014年刊、長崎文献社)
・姫野順一著、『古写真に見る幕末明治の長崎』(2014年刊、明石書店)
・後藤光将氏執筆、「近代日本のスポーツ事始め」(『オリンピックに懸けた日本人』(2018年10月刊、洋泉社、所収)
・ブライアン・バークガフニ編著、『グラバー園への招待』(2019年第4刷刊、長崎文献社)
・ブライアン・バークガフニ著、『トーマス・B・グラバー』(2020年刊、長崎文献社)

=報告=
 今回の連載第7回で探訪しました記事などをきっかけに美満津商店の伊東卓夫氏関係のご親族の方から連絡をいただき、このたび伊東家の墓参りをすることもできました。
 美満津商店の業績・資料・研究については、しかるべき手順で発表されるよう各方面で準備中です。明治期スポーツの黎明期がさらに解明されるよう、どうぞみなさまの側面サポートをお願いいたします。



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