古今東西テニス史探訪(12) 長崎外国人居留地のテニス物語

『1億人の昭和史 第13巻:昭和の原点 明治(中)』(1977年刊、毎日新聞社)の第180ページ掲載。【原写真は長崎歴史文化博物館所蔵】




■2021年、長崎再訪

 6年ぶりに筆者が長崎を訪ねたのは、2021(令和3)年11月です。9日、11時過ぎに長崎空港に到着、午後3時過ぎにグラバー園へ入園し、ローラーの場所へ直行したところ、「日本最初のテニスコート」説明板はなくなっていました。代わりにあったのは「芝生用のローラー」説明板です。

 説明文の中には「明治初期、旧グラバー住宅と旧リンガー住宅の間に位置するこの一帯は芝生で覆われ、外国人居留地の人々がイベントや娯楽を楽しむ広場だった。この石造りのローラーは、芝生の手入れのために使われていたものである。芝生で覆われていた広い敷地(庭)はイギリスならではの文化であり、開港後の外国人が母国の生活文化を日本に持ち込んだことがわかる。」と書いてありました。


ローラーの左側に「日本最初のアスファルト道路」説明板、右側に「芝生用のローラー」説明板が配置されている (2021年11月、筆者撮影)

 翌10日には、長崎歴史文化博物館資料閲覧室に行きました。コロナ感染対策のため閲覧時間は制限されていましたが、事前の問い合わせに応じてレファレンス担当者が探し出してくださった「長崎でローンテニスを楽しむ人々の集合写真」はパソコン画面で見ることができました。

 ようやく巡り会えた集合写真の資料名は「韓国他」、別名は「倉場富三郎写真帳@グラバー関係写真」、オリジナル番号は「18 244 045(県図)」でした。なんと「韓国他」アルバムを190回ほどクリックして、最後から3番目にあったのです。ちなみに最後の写真もテニスコートでの集合写真でしたが、こちらはメンバーも、時と場所も違う写真です。

 また、英字紙《The Rising Sun & Nagasaki Express》の1896(明治29)年1月から1897(明治30)年1月の複写版も、机上に出しておいてくださったので能率よく閲覧することができました。とはいえ、限られた時間での閲覧でしたから、テニスに関連して見つけられた記事は1897(明治30)年1月のハナとウォルター・ベネットの結婚記事だけでした。

 考えてみれば、『リンガー家秘録 1868-1940』の第158ページにも掲載されていた「下関でテニスを楽しむ外国人たち」にテニス姿のハナとウォルターが写っていて、「明治28(1895)年ごろ」と書いてあったのですから、むしろ1895(明治28)年の英字紙を優先して閲覧すべきだったのかもしれません。

 その外にも、1889(明治22)年に開催されたという「ナガサキクラブ、ボーリングクラブ、女性ローンテニスクラブのメンバーのために喫煙音楽会」(『古写真に見る幕末明治の長崎』第88ページ)についての記事も英字紙で探したかった事柄でしたが、叶いませんでした。また、念のため、雲仙にも行ってテニスコートについて調べてみたかったけれど、今の筆者にはそれほどの行動力はありません。いずれどなたかが調べてくださることを願うばかりです。

■それぞれの写真について結論

 長崎在留外国人のローンテニス事始めについて、筆者なりに調べてきました。管見の限りではありますが、その結論は以下の通りです。

(1)「The Ipponmatsu Tennis Club」写真の撮影場所は、グラバー邸裏の広場と推論します。写真左端に見えるネットから判断して、プレーされていたのはコートの広さを土地なりに決めることができた初期ローンテニスでしょう。右端には、段丘状に設けられた南山手居留地の土地の山側の壁が見えます。グラバーは3番および1番の一部の借地権を取得していたということですから、現在の三浦環像のある広場のプッチーニ像付近ではないでしょうか。撮影時期は、アルバムに書いてあるという1880(明治13)年でしょう。

(2)「長崎でローンテニスを楽しむ人々の集合写真」の撮影場所は、グラバー邸裏の広場より1段上の、現在は旧ウォーカー住宅が移築されている広場と推論します。写真中央にF・リンガー夫妻が主催者のように写っていることと、ここはホーム・リンガー商会が所有する永代借地権の土地であったことが推論の根拠です。また、『グラバー園への招待』(2019年9月に第4刷)第46ページにも「ウォーカー邸は解体され、旧グラバー住宅と旧リンガー住宅の間にあったテニスコート跡地に移築された」という記載があります。

 撮影時期は、ハナとウォルターの婚約後、1895(明治28)年の夏ではないでしょうか。時間制限のため、英字紙で確認できなかったことは返すがえすも残念でなりません。

 これらの2枚の写真には、長崎外国人居留地の人々の家族的な交流が活写されています。今後、背景が明らかになれば、長崎のテニス物語がさらに豊かに語りつがれることでしょう。

 またグラバー関係アルバムには、外国人居留地以外でのテニス写真も数枚ありますから、それらを手がかりにして長崎の近代化を担った人々や学生たちとのテニス交流が明らかになることを願っています。


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