広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第14回_第3章スポーツマンシップを語る(2) 川淵三郎「スポーツマンシップとGood Loser」

フェアプレーを教えないとGood Loserも生まれない

広瀬 もし、指導者がそういう指導ができて、10人のうち1人でもGood Loserが育ったとすると、それは指導者冥利につきるんじゃないでしょうか。

川淵 それは本当に指導者冥利につきる。もっとも、そういうことはすぐに答えが出るものではない。指導者から言われたときって、子供はわりあいと無表情で無反応でしょ。子供たちどうしは表情豊かなんだけど。でも、無表情だからわかってないだろうなぁと思っていると、実は言ったことがその子の胸にズキンと響いていて、何十年経ってもそのことを忘れないでいる、ということがよくあるんです。あのときあの先生が僕にこう言ってくれたからこうなった…とか。子供たちは大きな影響を受けたとき、その場では必ずしも大きな反応を示すわけではない。

 そういうことを真剣に考えると、ある意味非常に怖いところもある。しかし、その子が人間として生きていくために何が重要なのか、という基本的なことさえきちんと教えていくことができれば、その子の将来に役立つことになるわけだから、そこのところだけ心していれば何も怖れる必要はないと思う。

広瀬 これだけ日本が閉塞状況に陥っていると言われているときに、そういう子供たちが増えていけば、恐れるに足りないんじゃないかと思うんです。

川淵 絶対にそうだね。言ってみれば、Good Loserが出ないのは、ひがみ、ねたみ、やきもち、嫉妬心、などが人の心の中で大きな位置を占めていて、相手を敬う気持ち、賞賛する気持ちのようなものの価値のほうが、あまりにも過小評価されているからだと思うな。

広瀬 特に、教育行政が、戦前の道徳教育につながるということで、1970年代ごろを境に、残しておくべきことまで削除してしまったという悲しい歴史がありました。

川淵 最悪だね。

広瀬 そういう状況の中で20世紀の最後に失われた10年というのがあり、そういった精神的なものの欠落感、欠乏感を皆が持っていて、川淵さんが話す「理念」的な話に「なるほど」とうなずくのでしょう。僕らの世代までは、昔は精神的な話をよく聞いていた。それをしばらく言語化するのを忘れていた、あるいは怠っていたという状況があった。でも、僕らより下の世代はまったく聞いたことがないんですよ。

なぜ芝生のグラウンドが必要か

広瀬 次にお伺いしたいのが、スポーツマンシップやGood Loserという概念が、川淵さんのおっしゃっているJリーグ百年構想の中にどのように位置づけられているかなんですが。

川淵 Jリーグが標榜(ひょうぼう)している「スポーツを通じてもっと幸せな国へ」ということの意味は、スポーツそのものが楽しいのにスポーツをする場所が日本にはなかなか身近なところにないわけです。僕は小さいときからどんなスポーツでも好きだった。だからスポーツをする場所が日本にあったらどれだけハッピーになるだろう、という思いはずっとあった。そしてヨーロッパに行けばどこでも見ることができる芝生のグラウンドが日本にいっぱいあったらみんなが本当に幸せになるのになぁってずっと思っていた。

 芝生ってすごい力があるんだよ。これこそが僕が言いたいこと。昔は芝生には農薬の問題などがあったけど、今は相当に技術開発が進んでいて、芝生先進国のアメリカで一番問題になっているのは、農薬でなくて、むしろ芝刈り機の出す排気ガスなんだって。もっとも、それくらい芝生が多いってことだけど。

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